手中の宝は諦めた ――奥州の独眼竜が右目を失って荒れている。 そんな噂が波に乗って瀬戸内の海に辿りついたのがつい先日。 東北に向けて動き始めた豊臣の軍師がどうやら一枚噛んでいるらしいということだった。 それを聞いた元親は元就との長丁場となりつつあった海上戦をあっさり放棄し、奥州へ船を向けたのである。 北に進むにつれ、だんだんと潮風が冷たくなって来るのをここ数日、肌で感じていた。 その風を一身に受けながら、船の舳先に足をかけて元親はふと織田を攻めたときのことを思い出していた。 あの日、前田家の風来坊の計らいで各国の武将が安土の城に集まった。 真田幸村とともに織田を討ちに行った政宗が、幸村に肩を借りて城から帰ってきた時だった。 その時初めて、元親は政宗を見た。 そして驚いたのだ。 幸村の手を離れて腹を手で押さえながらも自力で立とうとする男はすらりと細い。 筋の浮かぶ首や額に貼りつく髪は温かな木肌の色で、その前髪の下にぎらりとのぞく灰青の瞳の強さを和らげていた。 毎日海の日差しを浴びて焼けた自分の肌とはまさに白黒の対をなす、刺すような日差しを知らなさそうな真っ白な肌。 その白い首筋や額に髪の毛が汗で張り付いている様は男のものとも女のものとも言えない色気があった。 こいつが、あの、独眼竜…… 若干十九にして奥州をまとめ上げたというからどんなにごつい奴かと思っていた元親は、目の前に立つこの青年が噂に聞きし独眼竜だとは信じ難かった。 話しかけようとした瞬間、ぐらり、と政宗の身体が傾いだ。 挨拶のために差し出した右手はそのまま咄嗟に政宗を抱きとめることになった(すぐに竜の右目に半ば強引にひったくられるのだが)。 「おい、大丈夫か!?しっかりしろ!」 かくん、と意識を失った政宗の頭が力なく後ろに反る。 その頭を左手で支えながらも右手で抱いた腰の細さにどくりと心臓が跳ねた。 すっかり血の気を失った顔に、黒く長い睫がやけに目立つ。 頭が反ったために半開きになった薄い唇からちらりと白い前歯が覗く。 その唇が映える白い肌に唇を寄せればきっと綺麗な痕がつく。 触れてみたい。 それは元親が政宗を欲しいと思った瞬間だった。 * * * 海岸から数刻馬を走らせ、やっと着いた米沢城。 門前に来ると予想していたがさっそく伊達軍の数人に囲まれてしまった。 「誰だ、てめぇ」 「西海の鬼こと長曾我部元親。独眼竜が荒れていると聞いたもんで、ちょっと様子見にな」 「帰れ。そんな簡単に筆頭に合わせられると思ってんのか?」 「思ってねぇが、合わせない理由もないだろ。殺し合いに来たんじゃねぇ。どきな」 元親は門番の目の前にこれ見よがしに肩に担いでいた槍をつき立てた。 「てめぇ!」 「待てよ……この方なら……」 元親に今にも飛びかからんと目を吊り上げていた男を、一番気の弱そうな男が止めた。 それから男たちは目を見合わせて一言二言交わし、 「筆頭は一番奥の部屋にいらっしゃる」 先ほどとは正反対の態度で返された。 どうやら男たちに政宗は手に負えない状況らしい。 一縷の希望を託されたのか、それとも厄介払いをさせられたのかは分からないが、好都合であることに変わりはない。 元親は堂々と門をくぐって米沢城に足を踏み入れた。 廊下を歩けば、その城内の造りも庭もずいぶんとこざっぱりして簡素だ。 派手好きの自負のある元親にはその城はとても質素に見えた。 だが、目を凝らして見れば枯山水の庭園やすらりと伸びる樹木はとても丁寧に手入れされている。 質素ではあるが趣味の良さを感じさせる。 これもあの竜の趣味なのか、と思えば妙に納得がいく。 言われた部屋の前で、声をかけるかどうか元親は迷ったが、意を決して勢いよく障子をあけた。 そこに竜の姿はなかった。 しかし、その部屋は明らかに竜がいたと思しき形跡を残している。 「こりゃ、想像以上だな」 静まり返った庭園とは対照に、室内は物という物があるべき居場所を失っていた。 倒れた燭台。 頁の折れたまま床に投げられた書。 破片となって畳を彩る唐三彩の壺。 部屋の惨状から一筋縄ではいかなそうだと悟った元親は、散らばった破片を踏まぬように足元に目をやりながらその奥を目指す。 襖の開いた奥の部屋は、閨か。 そろりと襖越しにのぞきこむと、そこは予想どおり閨であった。 しかし、布団は上げられ竜の姿は見当たらない。 「動くな」 低く押し殺した声とともに、首筋にひやりとした感触がした。 元親の背後から現れた政宗は元親の首に脇差を突き付けていた。 「竜が右目を失って荒れてると聞いたんでね、慰めてやろうかと」 「余計な世話だ。竜の右目に代わりはない」 「あ?ここにあんだろ、鬼の右目がよぉ」 「要らん」 「つれないねぇ。ま、とりあえずこの剣下ろせよ、やり合いに来たんじゃねぇ。武器は門の前に置いてきちまったぜ」 さもつまらなさそうに舌打ちをして、政宗は元親の首筋に当てた脇差を下ろした。 しかしそれを鞘に納めることなく手に持ったまま、部屋を出ようとして元親にくるりと背を向ける。 「とっとと帰れ。鬼とさし向って話す気なんざねぇ」 その言葉にかちんと来た元親は政宗の背中に向かって荒げた声で一気に捲し立てた。 「お前、どれだけ痛々しいツラしてんのわかってんのか?俺がここまで入ってこれたのはなぁ、お前の家臣がお前を扱いかねて俺に匙投げてきたからなんだぞ? 主がそんなんでどうする、右目が見たらどれだけ嘆くだろうなぁ」 「Shat up!!」 振り返りざまに政宗の手を離れた脇差はひゅ、と元親の頬を掠めて背後の壁に突き刺さった。 壁に刺さって静止した今でさえありありと殺気を感じるのだ。 あと一寸ずれていれば完全に自分の身体を抉っただろうそれを元親はちらりと見やり、肝が冷えた。 「ッ……言われなくたってわかってる!でもっ俺にはっ……!あいつだけだ……」 海にきらめく魚の背のように青とも銀とも見える不思議な色合いの隻眼がきっと元親をを捉え、射抜く。 怒りをまざまざと表しているにもかかわらず、その目は今まで見たどんな宝石よりも美しいと元親は感じた。 その瞬間。 手に入れたいと、渇望に身体が震えた。 気づけば体が動いていて、元親は政宗の腕をぐいと引くと強引に口づけていた。 くぐもった声をあげて、元親の肩を押し返そうと必死に抵抗するものの、元親が軽々と抑え込める力だった。 それをいいことに元親は両腕ごと抱き込んだ。 抑え込まれる前に拳を振るうこともできたはずなのにそうしなかったのは一瞬でも右目との口づけを思い出して気が緩んだからだ。 そう踏んだ元親は堅く結んだ唇の隙間を舐めて、政宗が一瞬戸惑った隙に舌を割り込ませた。 その感触にくらりと目眩がした。 唇も口内も熱くて驚くほど柔らかく、男相手にと思いつつも自分でも驚くほどに興奮している。 それと同時に恐怖も感じた。 波に攫われて息ができず、溺れると身をもって悟った時と同じ恐怖だ。 あの右目も、このようにこの男に溺れたのだろうか。 ついに抵抗を忘れた政宗の口内を存分に堪能してから、元親は政宗を解放した。 よろよろと力ない足取りで後ずさった政宗は、その背が壁に当たると体重を預けたままずるずると座り込んだ。 「てめぇ……最悪だっ…死ねっ」 息苦しさでかそれとも羞恥でか、頬を紅潮させて涙目で睨みつける様は元親を煽る。 濡れた唇を手の甲で拭うのも、どこか舌っ足らずに罵詈雑言を並べ立てるのも煽情的でしかない。 今ならこの場で衝動に任せて組み敷くことだってできる。 だが、そうしたいわけではない。 無理やり身体を繋げたところで政宗の心は手に入らないということはわかっているのだ。 「泣けよ」 「は?」 「あーもう、まったく手のかかる奴だな。おら、少しは泣いてすっきりしちまえって言ってんだ。お前がそんな顔してるからうっかり手ぇ出しちまったんだろうが」 「何言って…離せ……離せっ!」 嫌がる政宗を胸に抱き込み、頭を撫でると威嚇していていた子猫が牙を収めたかのようにしゅんとおとなしくなった。 あやすように後頭部を撫でる手に伝わるのは、温もりと震えだった。 「右目の代わりでいいから」 すん、と鼻をすする音が時折静かな室内に響く。 ただ涙を流すだけの政宗の肩を抱いても、声を上げることはない。 まるで、泣き方を知らないかのようにただ溢れるままに涙をこぼすだけだ。 自分には、この涙を止めてやることさえできない。 じわりと上着に広がる湿った感触に、掻きむしりたいほどの苛立ちを覚えた。 「こじゅ、ろ……」 おそらく無意識にだろう、涙に滲んだ声で、政宗がぽつりとつぶやいた。 敵わない、と感じさせられた。 自分の腕の中にいるはずなのに、政宗の心が自分に向けられることはないのだ。 抱いても、自分はその意識の片隅にすら入り込めないのかと思うとぎゅっと胸の奥が詰まった。 手中にあるにもかかわらず手に入らない宝もある。 喉から手が出るほど欲しくて、無理やり奪っても、決して手に入らない。 元親は初めて欲しいと思った宝をあきらめたのだ。 ----------------------- 後書き☆ タイムライン的にはアニメ弐の2〜6くらいの間? 小十郎がいなくなって元親が秀吉に負ける前くらい。 元親と政宗はそこそこ馬が合うと思う。 元親は政宗が好きだけど小十郎がいるとわかっていて、でも自分の好きな子には笑ってほしいから自分の恋を諦めて政宗を応援する。 うちの親は健気過ぎてかわいそうになってきました笑 [*前へ][次へ#] [戻る] |