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熱い舌は海と同じで

熱い舌は海と同じで




「好きだ」

まるでいつもその男の名前を呼んでいるのと同じように、ぽろりと口から零れた。
言ってしまってから、気づいた。落としたものに数歩歩いてから気づいたみたいに。
落としたものは小十郎、という音ではなく愛を告げる言葉だった。
今まで胸が痛くて眠れないほどこのたった一言に悩まされてきたというのに、いざ口にしてみれば呆気ないほど安っぽく響いた。

だがそれを聞いた当人にとって、それは耳を掠めた風と同じでその意味にまでは気づいていないみたいな顔をしている。
いかがしましたか、と様子をうかがってくるときと同じ表情をしたままだ。
だから、気づけと祈りながらもう一度言ってみた。

「好きだ、小十郎」

ご丁寧に名前もつけてやったんだから気付かないとは言わせない。
ようやく気づいた小十郎はしかし、更に難しい顔をした。
ただでさえ渋い顔の眉間に皺が刻まれる。
あぁなんて男くさい色気を放つやつだ。
その皺さえ俺にとっては愛しくてたまらない。

「政宗様、そのような言葉は簡単に口にしてよいものではありません」
説教に託つけた婉曲な拒絶。
声をいつもの調子と変えず言われてかちんときた。
だって、そんなことどうでもいいと一蹴されたみてぇだろ。

「何でだよ、昔から言ってたことじゃねえか」
「それはそのときと寸分違えず同じ意味でですか、そうではないでしょう」
「な、なんで……」
「小十郎も同じ気持ちを政宗様に抱いているからです。ですが、貴方は奥州を統べる主。
家臣一人のために現を抜かすことはできない身。そして、伊達の血を途絶えさせぬためお世継ぎを作らねばならない身。
お気持ちは嬉しいことこの上ありません。ですがどうか忘れてください」
「なんだよ小十郎!俺と同じ気持ちだなんて嘘吐くんじゃねぇ。俺はお前が一番だ、お前がいたらいいんだ。
お前のためなら奥州も天下もいらねぇ。主じゃなくてもいい。お前だけなんだ。逃げるな、俺から。俺をちゃんと見ろ」

政宗様、と俺を呼んで近寄ってくる小十郎。
何をするかなんて長年の付き合いでわかりきっている。
その手で頭を撫でて慰めるんだろ?
そんな子供にするような慰めならいらない、空しくなるだけだ。
子供でもなく、主でもなんでもなく、ただお前の前にたつ一人の人間として見てほしいのに。

どうして、わかってくれないんだ、お前は。

「あなたが好きだからこそです。小十郎に傾くあまり、他のことを疎かにしてしまうのを見るのは心が痛みます」
「っ…触んな!中途半端な気持ちで近づくくらいなら拒絶すればいいだろ!そういうのすっげぇ苛々するんだよっ」

小十郎が伸ばして来た手を手加減なしで払い除けた左手が痛い。
でも、今は小十郎の自分で首を絞める人間を憐れむような目つきがもっと、痛くて、痛くて、苛立ちを誘う。
癇癪だ、こんなの。子供の頃から変わらない。
もう子供じゃないはずなのに。

「政宗様」
「っ…来るな……近寄んなよ!そんな目で、見るなっ!」

言っても聞かない小十郎の左肩を、思い切り拳で殴りつけた。
痛いはずなのに、それでも眉一つ動かさずに、小十郎はそれを受け入れた。
俺は冷や水を浴びせられたかのようにはっとして、今までの怒りも忘れて身動きが取れなくなった。
小十郎の肩の上で力を失った左手が、ずるりと落ちる。
その手が掴まれたと思った次の瞬間には、小十郎の腕の中にいた。

「何度も、諦めようとしました。あまりにも、隔たりが多すぎる。
ですが、そのたびに政宗様のお顔が浮かび……諦めることなど、できないのだと気付いたのです」

乾いた土地に雨がしみ込むように、小十郎の言葉が、心にしみていく。
落ち着いた低い声。
顔を埋めた着物に染みついた、小十郎の匂い。
布越しの厚い胸板から感じる体温。
俺の頭がすっぽりと収まる、大きい掌。

全部全部、こんなにも好きなのに。
好きだと思えば思うほど、胸がじくじくと痛む。

「小十郎、お前が好きだ。好き、すき、すき……」

最後のほうはもはや祈りだ。
この言葉が少しでも傷を抉らないようにという。
好きだ、なんて、思いあっている相手となら幸せになれるはずの言葉なのに。
主と家臣、そして同性という現実に濾過されたその言葉は、あまりにも純粋すぎる。
一言一言が切れ味の良い刀のようにすぱりと刺さり、胸に痛みを刻み込む。
あまりの痛さに目尻から頬を伝ったこの液体が血液なんじゃないかと不安になった。

「こんなにも…お前がっ、好きなのに……好き、って言うほど、つらい……」

何も言わなくていい、とでも言いたいかのように小十郎の腕に力が入る。
顔が小十郎の胸に押し付けられて苦しいはずなのに、心地いい。
ああもう。
もっとこの腕が、この胸が熱かったらこのまま火傷して蒸発して消えてしまえばいい、なんて思うことだってできたのに。
低温火傷すらできない体温はぬるま湯のように心地よくて。
余計に涙が、止まらない。

「政宗様、お顔を上げてください」

そう言われて、腕の力が緩んだのでゆっくりと顔を上げると小十郎の真っ黒な瞳がそこにあった。
ふと小十郎の顔が急に焦点が合わなくなるくらい近づいてきた次の瞬間、頬を熱くて濡れたものが這った。
涙を舌で拭われた。
かあ、と頬に熱が籠る。
何となく性的な行為を思わせるそれが恥ずかしくて顔をそむければ、普段の従順な家臣とは思えないほどの手荒さで、顎を掴まれた。
指が食い込む痛さに思わず目を瞑った。
だが、次の瞬間にはこれでもかと目を見開いた。
小十郎が、口づけているのだ。
俺に。
頭が、真っ白になる。

そのせいで緩んだ唇を割って、ぬるりと小十郎の舌が入ってくる。
貪る、という表現が当てはまるほど強引に、動き回っては舌を絡め取られる。
呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに苦しいのに、更に追い立てるように動き回る小十郎。
息ができない。でも、苦しくてもいいかなんて頭の隅で思っている自分がいる。
この苦しみを与えるのが小十郎だから。
このまま窒息死したって構わない。
どうやら酸素の足りない頭はすぐに正常な働きができなくなるらしい。
息苦しいのに、怖いくらいに気持ちいいと感じるのだ。
身体が、死ぬ前に痛みや苦しみを本能的に快楽に変える、というのはこのことなのか。
それならば、このまま。
どろりと蠢く快楽に全てを委ねてしまおうか。
そうして海の底に引き込まれるみたいに、小十郎に溺れてしまえばいい。

だって、小十郎の舌は海と同じ味がしたから。





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 後書き☆

子供扱いしないで、一人の男として見てほしいと思い、自分の気持ちに正直な政宗。
そんな政宗が好きだけれども冷静に現状を考えるあまり自分の心を抑えてしまう小十郎。
二人の思いは一緒なはずなのに、噛み合わないのがなんだか悲しい。
そんな愛ゆえのもどかしさが少しでも伝われば。
最後の一行がすごく気に入っています。


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あきゅろす。
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