★冷めやらぬ熱 「や、こじゅうろっ…まっ、あ、ぁ、あぁっ」 燭台の明かりだけが照らす薄暗い部屋の中に、真っ白な背中がぼんやりと浮かび上がる。 布団に手をついたまま、猫のようにしなるその背には肩甲骨くっきりと浮かびあがり、背骨の連なりが窪んでいる。 突っ張った腕を手首から二の腕へ、指の腹でそろりと撫で上げるとかくんと肘が折れ、上半身が呆気なく布団に沈んだ。 与えられる快楽のあまりの大きさに、肩越しに己を覗く目には恐怖の色すら滲んで見える。 その細められた目すら小十郎の熱を煽る。 「いっ…ぁ…や、だっ……んっ」 逃げを打とうとする腰をぐいと引き寄せて。 逃がすものかと細い体に網のように覆いかぶさって。 腰を押しつけると乱れる呼吸を抑えて静かに吐き出そうとした息に上ずった声が乗る。 己が命をかけて守る、傷一つない真っ白な背中を、背骨を辿るようにゆっくりと舐め上げた。 そして肩甲骨の窪みも、肩に浮き出た骨の上にまでも舌を這わす。 しっとりと汗ばんだ体は、汗の塩気を感じるにもかかわらずどこか甘いような気さえした。 自分の愛撫に体を震わせ、羞恥を忘れて声を上げる政宗に小十郎はえも言われぬほどの高揚を感じた。 小十郎は上掛けを跳ね飛ばす勢いで起き上がった。 耳鳴りの聞こえそうなほど静まり返った部屋に、自分の荒い息だけがやけに目立って響く。 夏も盛りを過ぎた最近は日中の日差しはまだ暑いものの、早朝にあまりの暑さに叩き起こされるようなことはなくなっていた。 しかし息を整えようと手を胸に当てて、小十郎は自分がぐっしょりと汗をかいていたことに気付いた。 障子を開ければ空気こそまだ夏のものだが、すうと部屋を通りぬけた風はどこか冷たい秋の気配を感じさせる。 だが。 夢のせいで中途半端に火照った身体の熱を、その風だけでは消し去ることができなかった。 仕方なく小十郎は主を起こす前に水を浴びることに決めた。 布団を手早く畳んで着替えを手に取り、まだ昇り切っていない朝日に軽く照らされた廊下を歩く。 自分は堅物なのだと小十郎は自負している。 閨事を覚えて、最近とみに色香を増した主の誘いにも、大抵のものには耐えられる自信がある。 だが、その小十郎自身にもどうしようもできないのものが夢なのだ。 夢は勝手に現れては小十郎を煽り、まさに興奮冷めやらぬままの状態での目覚めを余儀なくさせる。 それが小十郎は気に入らなかった。 何一つ、不満はないはずなのだ。 どちらからともなく求めあって、身体を重ねるのは新月が満月に、満月が新月にかわるくらいの間を空けたことはない。 決して飽いたわけではなく、むしろ数を重ねるごとに匂い立つような濃艶な色香を纏うようになった政宗に溺れてゆくような錯覚さえ感じるのだ。 満たされていると言っていい。 しかし夢の中の自分は劣情に任せて無理やりと言っていいほど強引に主を押し倒し、抱いたのだ。 まるで本当はこうしたいのだろうと突き付けられているようで癇に障る。 そんな自分勝手な抱き方をすればあの細い身体のどこかが壊れてしまう。 それよりは、蝶よ花よと愛しみ、快楽に蕩けた顔が見たい。 そう思っているはずなのに、冷たい水を頭からかぶっても、夢の断片は頭の片隅に引っかかったまま小十郎を今も苛んでいる。 まるで魚の小骨が喉に残ったような、むず痒くて決して頭から離れない不快感だった。 「政宗様、小十郎でございます」 ちりりと感じる不快感に気付かないふりをして小十郎はいつもどおり障子の外から声をかけた。 少しすると入れ、という眠気の滲んだ返事が聞こえたので小十郎は静かに障子を開けて、膝を中に進める。 入ってきたのが気心知れた家臣という立場の恋人だからだろう、政宗は薄い上掛けを身体に絡めて横になったまま起き上がろうとはしなかった。 頬の下に手の甲を敷いて寝る癖は今日も健在だった。 その痕が取れないと絶対部屋から出ないと言い張るくせに、無意識にそうしてしまうのは安心するからだろうか。 あどけない寝顔に小十郎はくすりと笑みを零し、肩を押して身体を仰向けにしてやる。 その瞬間、小十郎はふと先ほどからもやもやとつかえていた違和感の原因に気付いた。 いつもの気に入りの薄い青と紫をぼかして染めたものを洗いに出した代わりだろう、今日の政宗が纏っていたのは見慣れない濃紺の絣の夜着だった。 濃紺に映えて白い肌がいつもより眩しく見え、小十郎は寝乱れた袷から覗く薄い胸元に目を奪われてしまった。 「……ろう、小十郎?」 様子を伺うように少しひそめられた政宗の声で小十郎ははっと我に返った。 すると自分の訝るように己の目を覗きこむ政宗の隻眼と視線があった。 「どうした、小十郎?お前……」 「も、申し訳ございません」 見つめるあまりに押し倒したような恰好のまま固まっていたことに気付き、あわてて小十郎は体をどけた。 それに遅れて体を起こした政宗はやはりどこか気にかかることがあるらしく、じっと小十郎を見つめている。 「何があった?」 「いえ、何も」 「俺をごまかすつもりか」 政宗は、勘が鋭い。 見えぬ右目を補うためか、右目を失ってから相手の声音から、眼の色から、そして纏う雰囲気から人の心を理解しようと神経を張っているところがある。 これ以上隠し通そうとしても余計に機嫌を損ねるだけだと悟った小十郎は、政宗に聞こえぬようにため息をついた。 「この暑さで少々夢見が悪うございましたので」 「夢?…んっ」 夢のせいで理性に綻びが生じていた。 だから小十郎は触れたい、という衝動にも近い思いに一瞬心を許してしまった。無意識に頬に手を伸ばせばそれがくすぐったかったのか、政宗が体を震わせむずかるような声を挙げた。 それに触発されるようにあの夢が浮かぶ。 小十郎は気付けば顎に手を添えて政宗に口づけていた。 苦しげに抵抗する鼻にかかった声に、夢の中で抱いた時の蕩けた声が耳の奥に蘇ってきて更に口づけに夢中になる。 結んだ唇をこじ開けようとした瞬間、政宗が強く小十郎の胸板を叩いた。 「小十郎っ」 さすがにいつもと違う小十郎に何かただならぬものを感じたのか、政宗が焦った声を上げる。 それでも名残惜しそうに政宗の頬を掌に包んだまま、真っすぐと見据える瞳には、夜の情事を思い出させるような情欲と愛の混ざった熱が込められていて、思わず政宗は息をのんだ。 そうして二人の間は互いに口を開くことも目をそらすこともできないまま痛いほどの静寂をひしひしと感じていた。 「……過ぎた無礼をいたしてしまったことを、どうかお許しください」 まるで何かを振り切るかのように小十郎は眼を閉じ、佇まいを正して深く頭を下げて立ち上がった。 不意を突かれた政宗は一瞬ためらったために、立ち去る小十郎を追って手を伸ばしても着物には届かず、虚しく空を掴んだ。 「朝議は定刻通りですのでそれまでにお越しを」 「ちょっ…おい小十郎!お前今――」 「政宗様」 語気を強めた小十郎の声が政宗を遮った。 そうして障子の前で振り返った小十郎は政宗を見る。 心配そうに見上げてくる政宗を、抱きしめたい。 だが今そうすれば夢の轍を辿って同じように抱いてしまう。 だから、触れてはいけない。 小十郎は開きかけた右手を固く握りしめた。 「愛しいからこそ、触れられぬこともあるのだということを……どうかおわかり下さい」 かたん、と静かに障子が閉められた。 一人ぽつんと取り残された政宗は、小十郎のいた場所をぼんやりと見つめていたがふと我に返って舌打ちをした。 「どうしろってんだよ……」 どんなふうにであろうと、愛しい人に口づけられて嬉しくないはずがない。 口づけの後の手順を覚え込んだ体は、その先を期待してじくじくと熱を持ち始めていた。 その続きをせずに出ていくなど生殺しもいい所だ、と頭ごなしに罵倒してやりたいと思う。 だが、何かを耐えるように細められた瞳と先ほどの言葉を思い出せば罵倒する言葉が喉で止まってしまうのだ。 触れたいなら触れればいいのに。 抱こうとしたなら気が済むまで抱けばいいのに。 どうされようと好きだから許せる、と思う政宗には小十郎がなぜ触れることをためらうのかが分からなかった。 むしろ、今のように煽るだけ煽って抱かれない方が、つらい。 好きなのに、理解できないという苛立ちに声をあげたくなる。 澱のように重く腹の底に沈んだ感情と、冷めやらぬ熱だけが体に残されてやりきれない。 「ばっかやろう……」 思わず引きよせた膝に顔をうずめて、政宗は夜着の袖を強く握りしめた。 後書き☆ 抱きたいけれども大切にしたいという思いと、好きだから何をしても許せるという思い。 何となく二人はこういう感じなんじゃないかと思うんです。 相手が好きだからこそすれ違うこともあって、それで悶々としてる二人を書いてみようかと。 [次へ#] [戻る] |