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一寸凪【信濃】

天気は快晴

波は穏やか

前線に在りながら今は静かな南方諸島の軍港に、空母『信濃』は停泊していた




「随分と遠くに来たもんだなー……」

内地で感じるよりも強い陽光が照りつける飛行甲板に腰を下ろして、少尉はポツリと呟いた。
艦体にちゃぷちゃぷとぶつかる小さな波を何気無く眺める。
領土とはいえ、色彩鮮やかなこの島はやはり外地。それでもこの海は我が故郷と繋がっているのだと思うと、何だか感慨深かった。

「でも………やはり、遠い…なぁ…」

「えぇ、本当に。こう長く内地を離れると、久々にお味噌汁とか飲みたいですよねぇ」

「あぁ、そうだ……な…………?」

呟きに返る声に返事をし、ふと気が付く。今、この飛行甲板には自分以外の人間は居なかった筈だと。

で は だ れ が ?

驚いて声のした方を向くと、自分と同じ体勢で海を見つめる人物が居た。

「な、ななな、な……ッ!!?」

「?」

言葉にならないただの音の羅列を発する少尉にきょとんと目を見張るその人物は、どう見てもまだ少年と呼べる齢に見えた。
纏うのは真白い軍服。詰襟のそれは、士官の制服だ。更にその中でも限られた者の証――将官のみが付けられる、ベタ金が双肩を飾っていた。しかし異質なのは、それには将位を示す桜の紋章が一つも付いていない事だ。
尤も、子供が艦内に居る事が十分に、況してやそんなものを着ている時点で十二分に異質なのだが。

「何者だ、君は!?」

軍人たるもの如何なる時も平静である事が原則だが、あまりの混乱と動揺に少尉は思わず声を荒らげた。
少年は、あ、と何事か気が付いたように声を上げてから軽く頭を下げた。

「すみません。この姿では初めましてでしたね。僕は、し」

「こんな所に居たのか。駄目だろう、勝手に出歩いては」

不可思議な少年の声を遮って、頭上から声が降ってくる。
少年と少尉は殆ど同時に声の方を振り仰いだ。
声の主はいかにも軍人らしい体躯をした初老程の男―――この空母の艦長であった。

「あー、しまった。見付かっちゃった…」

「し、失礼しました!!艦長のお知り合いでありますか!?」

少年はそのままのんびりと艦長を見上げ、少尉は慌てて直立し敬礼の姿勢を取った。
対称的な二人の様子にくつくつと楽しげに笑いながら、艦長は少年の頭を撫でた。

「まぁ『知り合い』で正解だ。………というか、この子の事は君も良く知っている筈だがな」

「は?い、いえ、どういう事でありますか?」

混乱する少尉に、艦長はまるで悪戯小僧のようにニヤリと笑う。
そうして、驚くべき言葉を口にした。

「聞いて驚け。この子は『信濃』―――つまり、この空母そのものだ」

「は……………えぇぇ?」

信濃。帝國海軍が誇る、巨大な体躯を持つ大和型空母。今、自分たちが乗るこの空母の名前。
少尉は訝しげに目の前の少年を見た。その姿はどう見ても『人間の子供』だ。
彼が、この『航空母艦信濃』だというのか?
目が合うと、少年はニコリと笑った。その表情はやはり、どこをどう見ても人懐こい子供そのものであった。
混乱する頭を落ち着かせる事にたっぷりと時間を要してから、少尉は艦長に困ったような視線を投げ掛けた。

「………………あの、艦長。こんな時に、ご冗談は」

「事実ですよ」

少尉の言葉を遮ったのは、かの少年であった。相変わらずにこにこと笑顔を浮かべながら、少年は再び口を開いた。

「非科学的だとお思いでしょう?でも、僕は『信濃(ぼく)』の意思の具現体なんです。まぁ、こういった形で存在する事は、軍の機密事項なんですけどね」

「だから行動範囲も普段は艦橋内に限定される……が、お前はどうにも好奇心旺盛でいかんな」

「えー…でも、金剛さんや長門さんは普通に出歩いてるって言ってましたよ?」

少年――彼の言葉を信じるならこの『信濃』自身と言うことになるが――の言葉に、少尉は本日何度目かになる驚愕を味わう。

「ちょ、ちょっと待ってください!!まさか他の艦にも、同じような者が存在するのですか!?」

「おぅ、その通りだ」

艦長は尚も笑いを浮かべたまま頷き、言葉を続けた。

「駆逐艦に至るまで、全ての艦には意思が宿っている。ま、九十九神に近いモノだろうな」

「僕、そんなにおじいさんじゃないです。そもそも、艦長よりもずっと若いん…です…か…ら……?」

艦長の言葉へ文句を返す信濃の頭に、二つの大きな拳が軽く添えられた。それに気が付いた信濃の言葉は、急速に勢いを失った。代わりに、嫌な汗がじとりと背を濡らす。

「………あの、艦長、この手は?」

恐る恐るといった様子で問う信濃に、艦長は笑顔を崩さなかった。

ただ、そのまま

ゴリ、と

拳に力を込めた。

「ぃ゙っ―――――――っっ!?」

「口が悪いのは兄譲りのようだな?ん?」

「わ、悪くないですーっ!それより、艦長っ頭割れるっっ!!」

「阿呆、『大和』の艦がそんな軟弱な訳が無かろう」

「この姿ではヒトと一緒ですっ!」

「言い訳無用」

「痛ぁいぃぃっ!!」

突然始まったあまりにも場違いなやり取りに、少尉は堪らず、小さく吹き出した。その様子に艦長と信濃は動きを止め、揃って少尉を見た。
四つの視線が集中したことにより、少尉は少し焦ったようにぴしりと背筋を緊張させた。

「も、申し訳ありません。その…………お二方が、親子のようで…あの……」

そうして言いづらそうにもごもごと言い淀んでから、「……申し訳ありません」と、もう一度謝った。
今度は艦長が吹き出した。

「上手いことを言うな、少尉。実際、艦とは我が子のようなものだからなぁ」

「そ、そのようなものですか?自分には子が居ないので分かりませんが……」

「ああ。だから手を掛ける程に応えてくれるものだよ」

「じゃあ、もっとちゃんと可愛がってくださいよ」

恐縮しまくる少尉へ艦長が穏やかに語るその隣で、信濃が不服げに唇を尖らした。見た目相応の子供らしい反応に、二人は顔を見合わせて笑った。「何で笑うんですか!」と信濃の表情がますます不機嫌なものになる。
少尉は何とか笑いを引っ込めた。そうして視線を合わせるように膝を折ると、信濃の頭を二、三撫でた。

「すまない、そんな顔をしないでほしい。馬鹿にしている訳ではないんだ。寧ろ逆で……自分は配属されてまだ日が浅いけれども、必ずや最期まで君に尽くすつもりだよ」

優しげな口調で語る少尉は「まだ少し、信じられないけれど」と付け加えて、信濃へ笑顔を向けた。

「………それなら、僕も応えないといけませんね。絶対に沈まない、と」

少し考えてから、信濃も笑顔を返した。絶対な自信を含んだその表情は、何処か彼の兄を思い出させる。

「それは頼もしい。それでこそ『大和』の艦だ」

二人のやり取りを見、艦長は満足そうに頷いた。それはまるで、子を見守る親のように。
けれど同時に、悪戯を思い付いた子供のような表情で。
何となくその後の展開が予測出来た少尉は、胸の内で苦笑した。

「………ま、生意気な子供にはちぃっとばかし躾も必要だがなぁ」

「ッ!」

艦長の言葉に、信濃はぎくりと体を強張らせた。つい先刻憶えた、嫌な感覚が全身を支配する。
艦長は笑顔だ。
それがより一層、先程の出来事と被る。
返す言葉も見付からないまま、信濃は考えた末に、御手本のように見事な敬礼の姿勢をとった。そして

「お、お先に艦橋に帰ります!!」

そう言うが早いか、信濃は素早く踵を返し脱兎の如く甲板を後にした。
その背を、艦長は愉快そうに呵呵と笑って見送る。

「艦長……そんな、お人の悪い事をしなくても…」

大人の悪巫山戯に巻き込まれた信濃を流石に不憫に思い、少尉は無礼を承知で艦長へ申し立てた。
当の本人は悪びれた様子も無く、くつくつと肩を震わせている。

「なァに、このくらいは茶飯事だよ」

「もし、長官に告げられては都合が悪くありませんか?」

「構わんよ。長官も良く解っていらっしゃる」

「そう…ですか…」

そのまま何時までも笑いの引っ込まない艦長に、少尉はこっそり溜め息を吐いた。

そうして、たまには『信濃』の愚痴でも聞いてやろうと思ったのだった。






これは、故郷と遠く離れた海の上での

束の間許された穏やかな一時(いっとき)の話である





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