「シェイド、だって……?」

ぽつりとそう呟いて俺を見上げたのは、目の前でいまだ蹲ったままの、最初に怒鳴り込んで掴み掛かってきた男だった。
シェイドの名を聞いて多少は頭が冷えたんだろうか、本人としては何とも複雑な心境だが。

「あんたが、あの鬼神?そ、そんな馬鹿な……だって、彼は」
「エルレイン、俺はレイスだ」

男のまるで自分自身に言い聞かせるような独り言をわざと遮る。

「レイス、ですか」
「シェイド・エンバースは十八年前に死んだんだ。あの騒乱で、な」

俺達の会話が聞こえたのは、すぐ側にいた男だけだろう。
降り続ける雨が、今日ばかりは都合がよかった。

「俺は、レイスだ」

捨てるに捨てられなかった一つの名前。
誰にもらったわけでなく自分で考えたものだったけれど、たくさんの人に呼ばれ、家族に呼ばれ、仲間に呼ばれ、親友に呼ばれてきた。そうした思い出の一部だし、アイツらとの絆を失うようなものだから、そう簡単に手放せるものじゃなかった。
でも、この世界ではとうにいなくなった人物なのだ。
客員剣士リオン・マグナスの名前と一緒に有名になりすぎたりしなければ、わざわざ捨てる必要もなかったかもしれない。だが、シェイド・エンバースの名は否応なく人々にあの時代を思い起こさせる。
セインガルドの剣士としても、慈愛とやらの英雄としても、シェイドの名前は広まりすぎた。
過去の亡霊は、大人しく表舞台から引っ込むべきなのさ。
というわけで、間違っても「大事なことなので二度言いました」って笑えないジョークみたいな理由ではないと主張しておこう。あくまでも俺自身の決心の表れなんだからな。

「あーあ、服が皺になっちまってる。ていうか襟元伸びてるし」
「そんな斬新なファッションもナウでイカしてますよ」
「いやいやどこもよくねえよ。つーかエルレインさん、今のセリフはこれから先二度と使わない事をお勧めする。色んな意味で……とにかくアレだから」
「ナウいという言葉を使うとお友達が増えるらしいわ」
「例の(お友達云々の)本、出版されたのいつだよ。もしかしてそれはウケ狙いの方向に導くマニュアルなのか?」

そろそろ俺一人ではツッコミが追いつかなくなってきたぞ……こんな所でスキル不足なんて無念だ。
かつての坊ちゃんを代表としたツッコミ要員達の事を思い浮かべつつ、俺は上着を脱いで腰に巻き付けた。
下に着てるのは黒のタンクトップ一枚だけど、まあ風邪をひくこともないだろう。そんなか弱い作りでもないわけだし。

「なあ、オッサン。腕力も握力も有り余ってそうじゃん」
「な、なんの……」
「見たところ体格はいいし、力も体力もありそうだし、オツム弱そうで脳ミソのあたりも筋肉でできてそうだな」
「おいっ!明らかに後半は馬鹿にしてるだろう!!」
「脳みそまでムキムキに鍛えあげて、いたるところ全身マッスル。素晴らしいですね」
「初めて気が合ったなエルレイン」
「光栄だわレイス。少し尋ねたいのですけれど、彼にはプロテインよりマグロの目玉を贈呈した方がいいのかしら。著しく乏しいところを補うのは無駄な行為?」
「そうやって常に疑問に思うのはいいことだ。でも今回に限り、ドコサヘキサエン酸的な方向に攻めるのはかなり苦難の道程だぞ。俺ならあえてその茨の道を選ぶけど」
「隠れMという属性ですか」
「色々誤解を生じると面倒なんで、むしろスパルタで脳内活性させてみせるSだと主張させて下さい。にしてもお前、俗世に毒されてきたな」
「お前ら結局は俺が馬鹿だって言いたいだけかよ!!」
「バレたか」
「わかるに決まってんだろォォ!!」

さっきとは違う怒りで顔を真っ赤にさせて怒鳴る姿に思わず噴き出し、ひとしきり笑った後、俺は男の肩にガバッと腕をまわした。
そうだ、俺は俺のやりたいように。
うじうじ悩むのも、人を糾弾するのも、きっと俺らしくない。
俺は、

「一緒に頑張ろうぜ」

そうだ、前にリアラにも言ったじゃないか。
誰かを幸せにしたい、って。

「だ、誰がお前なんかと一緒になんて!」
「嫌われましたね、レイス」
「……ストレートに言ってくれるなよ、傷付くだろ」

ちょっとばかり本気で沈みかけていたところ、吹っ飛ばすかの勢いで背中を強く叩かれた。

「痛っ、え、何?」
「さっきから聞いてりゃよくも好き放題言ってくれたな。お前達が馬鹿だ馬鹿だと罵った俺の力を見せてやる!……この三日も働き詰めで泥だらけなガキは引っ込んでろ」
「おっさん……」
「女子供は大人しくそこで見てりゃいいんだよ!」

なんてセリフを力強く叫んでくれたのはとても恰好よくて頼もしいのだが、女子供って部分のどのあたりが俺に対するものなのか非常に気になる。
百歩譲って子供は認めよう。だが女は許さん、後で制裁加えてやる。

「何だかよくわからない方ですね」

じっとしてろと言われた手前、作業を止める事になったエルレインは、手持ち無沙汰に近くの瓦礫に腰掛けてそう呟いた。

「さっきから言ってるだろ。ああいうのを馬鹿って呼ぶんだよ」
「なるほど。今後のために覚えておくわ」
「……でも、ああいう馬鹿は嫌いじゃない」

きっとあの男だって、今の状態を維持するのがよくないんだって気付いていたに違いない。
意地になって、ただきっかけがほしかっただけなんだろう。自分から動き始める理由が。

「人間ってのは弱いんだ。一人でできる事なんてたかが知れてる。だからこそ、誰かと一緒なら頑張れる時がある。手を差し延べられて、引っ張られて、そうやってようやく動き出せる時だってある」

いつか、誰かに与えてもらった優しさを、これから出会う誰かに伝えていきたい。そう心に決めたのはそう昔の事じゃなかったはず。

「それでいいじゃんか」

なあ、親友。と。
きっとこの空の上からこっちを見守ってくれてるんだろう、意外と過保護な坊ちゃんの顔を思い浮かべた。

『人を勝手に殺すなっ!!』

あれ、何か聞こえたのは気のせい?



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