目覚めの時1
再び出会うことを、許してくれるか?



















覚醒のきっかけになったのはおそらく、女の人の悲鳴だった。絹を裂くようなというたとえがぴったりな甲高く、切羽詰まった声。
シェイドはぱちりと目を瞬いた。つもりだったのだが。

(しまった、目がバカになってたんだ)

視力を失った事を完全に失念していた自分に対して舌打ちを一つ。瞼の感覚はあるものの、開けても閉じても真っ暗だ。影どころか光の一筋すら見えやしない。
仕方なく、視覚以外の感覚で辺りの様子を探る。
長く背を預けていた木のでこぼことした肌。
さらりと指の間を擽る背の低い草花と、少し湿った土。
鼻孔を擽るのは森の匂いだ。意識して大きく息を吸い込み、長くゆっくりと吐く。
動作に問題なしと判断して慎重に立ち上がるものの、やはり足元がおぼつかない。が、想定よりは動けそうだ。

(生態反応が二体。一方は……モンスター)

森の中でモンスターに遭遇し、襲われている。という情景しか思い浮かばない。
駆けながら腰のベルトを手で辿り、眠りにつく直前までそこにあった剣が変わらずあることにホッと息をついた。いざとなれば素手でも対処できるが、武器があるに越したことはない。武器として使えなくとも、攻撃を弾く手段の一つくらいにはなるはずだ。

「きゃあああああ!!」
「離れてろ!」

ようやくモンスターの元へと辿り着いたシェイドはすぐさま鞘から剣を抜き、モンスターと思われる方へと振り下ろした。
一方が明らかに人間とは思えない物騒な気配を放っており、人間にしては規格外すぎる体躯であったのだからまず間違えることはないだろう。これで間違えてたら世の人間には5m級の者もいるという新たな認識を付け加えなければならない。
柄から手に届く確実な手応え。
仕留めた、急所を一撃だ。倒れたモンスターからレンズが転がり、草むらに落ちていく音が聞こえた。見えないなりにうもまく倒せたらしい。

「あ、あなた、は……?」

声のする方を振り向くが、いかんせん見えていないので相手と視線が合わせられない。
場所が場所なら音の反響で正確な位置を掴むこともできるだろうが、屋外の、しかもだだっ広いだろう森の中ではそうもいかなかった。
大した不便はないだろうと高を括っていたのだが、これは思った以上のハンデだ。目が見えないということではなく、受容器の一つを失っただけで著しく劣る人間という生き物の不便さに、胸の内でため息をつく。
シェイドはとりあえずといった様子で相手がいるのだろう方へ向かって声をかけてみた。

「大丈夫か、怪我は?」

女性はすぐにこちらが盲目だと気付いたらしく、驚かせないようにそっとシェイドの手を取った。途端に不安定にぐらぐらと揺れていた何かがぴたりとおさまったように感じた。目で見えないものを肌で、感覚で認識したことにより、何かが何かを補ったのだろう。自覚していないだけで、シェイドは視力のなさにかなりの不安を抱いていたようだ。

「ええ、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「少し、血の臭いがする」
「お恥ずかしい話ですが、モンスターに見つかった時に転んで少し擦りむいてしまって。あっ、でも大した怪我じゃあないんですよ」
「別に隠すことないだろ。襲われりゃ誰だって驚く。どこ怪我したんだ」

はっきりと返事がないのは、本当にかすり傷でしかないからか、もしくはシェイドを信用していないのか、はたまたあまり口に出し辛いところでも怪我をしたのか。
お尻やら太腿やらといったところなら確かに、しつこく尋ねる方が失礼にあたるだろう。ましてやシェイドは医者でも何でもない、通りすがりの身元不明の不審者だ。
仕方なく、小さく口の中で詠唱して広範囲の回復晶術をかけておいた。女性はしきりに礼を言っていたが、こちらとしても試し打ちに近かったのであまり感謝されるのも申し訳ない。
晶術の威力も問題なし。といったところか。威力が視認できないのが不安ではあるが。

「あの、失礼ですが……もしかして、目を?」

おずおずと、遠慮がちに尋ねられた。
返事の代わりに小さく肩を竦める。

「色々あって、光もわからない状態だ。俺としては、お姉さんの顔が見れないのが一番残念だけど」

あまり暗い雰囲気にならないように努めて明るく言えば、くすくすと笑う声が聞こえた。

「そういや、何でこんなところに?一人、だよな」

シェイドはふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
この森はそう頻繁に人が足を踏み入れるような場所じゃない。ベルクラントの砲撃で地形がどう変わったかは知らないが、シェイドの覚えている限りでは、ただ木が鬱蒼としているだけの森だった。
街道からも大きく外れているので人通りもあまり多くなかったはずなのだが。

「お恥ずかしい話ですが、アイグレッテへ行こうとして道に迷ってしまって……」

そう言って女性は照れたように笑った。

(アイグレッテ……そうか。十八年、経ったのか)

長いようで短い十八年。
眠ってしまえば一瞬だった。
だが世界は着実にそれだけの時が流れていて、人も、街も、全てが何らかの変化を遂げているのだろう。故意に時の流れから弾き出されたシェイドを除いて。
これからはそんな世界の変化に付いていくという大仕事がある。自分の中にない十八年という時を、何らかの形で埋めなければならない。
そのためにまずやらなければならないことは。

「俺みたいのでもよかったら、アイグレッテまで護衛させてくれないか。コンパスさえ見てもらえたら街までの案内はできる、と、思う。このまま別れてモンスターに食われました、じゃあ後味悪すぎるだろ?」
「で、でも、ご迷惑では……」
「迷惑ってんなら俺の方だろ。目がこれだから色々助けてほしいことがあってさ。まっすぐ歩くのもなかなか難しいし、今の自分がどんな格好になってるのかもさっぱりわからん」
「かなりボロボロになってらっしゃいますね」
「やっぱり?実はほぼ半裸とかだったらどうしようかと思ってた」

多少は地形が変わっているかもしれないが、この辺りの地理はしっかりと頭に叩き込んでいる。
視力がなくとも、方角さえわかればアイグレッテへと辿りつける自信はあった。街が見えるところまで案内すれば、あとは彼女に先導してもらえる。
それに何よりもまず、少しでも多くの情報のある所へ行かなければならない。

「ふふっ。では、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」

彼女はそんなシェイドの申し出を快く受け入れてくれた。


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