来神
長閑な午後の授業、科目は古典、睡魔の気配を感じる
これは己との戦いだと難解な漢字の群れを無視して黒板の文字を写すことに集中することにする
チラリと前を見ると、机にうつぶせになった折原が心地いい寝息を立てていた、授業開始2分の時点で潔いやつだ
始業式から知りあいになってこっち、折原の席はなぜかいつも門田の前に固定されている
なぜだろうとか特にそういうことを考えたことはないが、細い背が無防備に自分に向けられていることについては少し意外に思う
人一倍人と関わりたがるやつであるが、決して深くまでは立ち入らせない
そんな奴に信頼されているのか、などと考えるのは最も愚かなことだ、そんな事を考えて結局折原の意識に捉えられている者はいない
正確に言えば、信頼とは真逆の意味でしっかりと意識の中に存在し続ける男は一人だけいるがそれについて考えるのは時間の無駄である、さらに言ってしまえば授業を聞かず板書も写さずにただ目の前の男について考えているこの時間も無駄である
門田は意識を黒板の方へ戻した
来年で定年退職だというどこかの長老のような風体の古典教師の板書スピードはその老体に似合わず恐ろしく早い
門田は本日の古典を潔く諦めた
机に肩肘をついて、目の前の丸められた背中を眺める
全体的に砂や何かで汚れ、短ランの裾はほつれており、肩の部分は千切られかけているが辛うじてひっついている(いつものことだが壊された制服はどうしているのだろうか)

「聞いてよドタチン今日のシズちゃんってほんと化け物だったんだからまぁいつものことだけどさ、」
朝会ったきりだった折原は昼前に戻ってくると門田の机の上の教科書を押しのけてそうのたまった
今日はいつも以上に乱暴だったと整った顔を歪める折原の肩を叩いてやるともたれかかってくる、軽い
平和島はその怪力に見合わず細い、縦に長い
しかしそれ以上に折原は細く、軽い
なぜそんな二人の【喧嘩】が成り立っているのか
折原のずる賢さと平和島の単純さ(純粋さともいう)あってのものなのか、それとも他に理由があるのか
朝見かけた平和島の、彼らしくない表情が浮かんで消える
門田の指先を食い入る様に見つめる、そこに何があるというわけでもないのに固まったまま
つまずいた折原は門田の厚い胸板に顔面を埋めて動こうとしない(いや小刻みに震えてはいた、強打したのだ顔面を)
思わず受け止めた手を穴のあくほど見つめられて門田はほとほと困っていた、いや困る必要など本当は無いのだけれどこの時は、むしょうに
無意識に(あるいは意識して)少しだけ力を込めた指先がピクリと動くのを見て、平和島はくるりと踵を返した

「黙ってれば普通なのにやっぱシズちゃんって化け物だよねぇ、顔にあーんな沢山血管浮かばせちゃってさ、怖い怖い、メロンのお化けみたい、死んじゃえ」
「お前が怒らせるからだろう」
「まあそうなんだけどね、ここ最近は何もしなくても襲ってくるからホントやだ、喧嘩は俺の都合のいい時だけにしてほしいよねえ」
昼飯はと聞くと持っていないと言うので仕方ないと購買で買っておいたパンを差し出すと「ドタチン好き」と言われた、折原は頻繁に門田に告白する、特に意味はないのだろうと門田は考えている(しかし言葉には必ず意味があるだろうとそっと目を凝らしている、不毛だ)
その意識の中に入り込みたいと思っても叶わないと、多分最初に会った時すでに理解していた
次元が違うのだろう、住んでいる、存在している次元が
視界に入っても明確な意識の中に存在することができなければそれはいないのも同じなのか、違うのか、ようは考えようなのか、時々そんなことを考える
折原の考えていることは全くこれっぽっちも門田には理解できなかったので、本当のところは分からない
「お前はもう少し素直になるべきだな」
気がつけばそんな言葉が口をついて出ていた
首を傾げる折原に「なんでもない」と呟いてパンを齧る
本当のところ、分かっているのかもしれない、ただそれを、折原の意識の先にあるものを見て見ぬふりをして動こうとしないだけなのかもしれない
おかしな話だ、自分のことなのに自分が一番分からない(分かりたくない)
窓から校庭を見下ろすと、金色の頭が見えた
つられて視線を移した折原が「ゲッ」とまずいものでものみこんだかのような声を出す
「ドタチンって時々俺に対してとっても失礼だよね」
「意味が分からないんだが」
「うーん、とりあえずシズちゃん死ねってことかな」
折原が机を乗り越えて門田の首へ腕をまわしてくる
平和島の話をした後は大抵こうなるので適当に頭を撫でてやると「…人ラブ」なんて呟きやがるので「お前、さっき俺が好きって言っただろう」と言い返し…はしない
校庭で獣が吠えている、門田はことさらゆっくりと折原の頭を撫でてやった

「珍しいねぇ真面目なドタチンが居眠りなんて」
「お前だって寝てただろ」
「先に起きてじっくりご尊顔を拝ませていただきました」
「起こせよ」
気づくと授業は終わっていた
目の前には機嫌好さそうに折原がにやにやしながらこちらを見ていた
「疲れてたんだ」
「…そんなところだ」
「ふうん」
いつになく機嫌のいい折原は「次、情報だよ」と門田の腕を引っ張った


20100831



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