天顔偽る国の事
7



 だが一度は背を向けたものの、再び振り向いてみた。肩越しに泉を見ると、なぜか、さっきまではただの水であったはずの滝の辺りまでもが輝いているように見える。
 そんなはずはない、と思い直そうとしても、花飛はもともと目も記憶力も良く、さっきとは風景が異なっていることは事実だった。
 もう一度向き合ってみると、滝の水が下に落ちていなかった。そのままぐぐぐっと持ち上がって来た。水が重力に逆らって宙で自在に形を変えているのだ。
 嫌な予感が的中した。
 アーラストムが敬う泉の神は、存在しているのかいないのかわからないが、魔か精霊か神か、わからないものが存在しているということだけは確かなのだ。
 そこに花飛も、王家の人間もアーラストムの民も知らない、魔か精霊か神か人に良いものか悪いものかも定かではない「もの」がいる。
 水は泉から突き出た柱のような形になり、先端に大きな球体が出来上がった。
 虎純眼の光を映しているだけではない。水そのものが内側からさざめくように光っている。
「なんだ、これ……」
 花飛が驚愕の声をあげた時だった。
 球体の部分が、突如として花飛の方へと伸びて来た。泉と球体は水で繋がっている。だが、水なので形が自在に変わるのだ。
 球体は花飛を包み込むように、まるで鮫が口を開けるように割れ、襲いかかってきた。横に走って避けると、それは木や地面に触れることなく元の位置に戻って行く。
 明らかに襲われた。花飛は戦慄する。
 人を襲う「もの」なのか、これは。アーラストムの国民が崇めて来たもののはずなのに。
 花飛はゆっくりと、後ろに下がり始めた。水は動く気配がない。しかし依然として球状を保ったまま中空にある。泉の姿には戻らないということは、まだ動く可能性があるということだ。
 ず……と低い地響きがした。
 花飛は思わず姿勢を低くして様子を見る。
 ずずず……と地響きが徐々に大きくなっていく。それにつれて虎純眼の光が強くなっていた。水の表面は相変わらず揺らめいている。
 泉の底の虎純眼が、ビキッ!と音をたててひび割れた。そこから大量の水が溢れ出てくる。それは真っすぐに花飛へと向かってきた。
「わっ」
 避けようと立ち上がり、水が足先に触れる寸前にその場を飛び退いた。
泉の虎純眼は唸りをあげて震えていて、それに合わせて水も揺れているようだった。
「アーラストムの水の底からとれる虎純眼…………つまり、えーと、この水と繋がりがあるということか。やっぱり虎純眼は、特殊な魔力を持つ石だ」
 灯才の研究書を読んでおけばよかったと、花飛は再び後悔する。何らかのヒントを得られたかも知れないのに。アーラストムの水底には虎純眼が埋もれている。それらが一斉にこの水に共鳴して地震を引き起こすならば、アーラストムは滅びるだろう。
 神経を尖らせたまま、泉から遠ざかり森に入る。虎純眼の地響きは先程よりも弱まっていた。だが水の球体は落ち着いてはいない。その表面がさざめいている。
その時、木陰に人の気配があった。そこから確かにこちらを見ている人間がいる。いつの間にか近づいて来ていたのだ。
 それは端麗な顔を持つ若い術師。灯才だ。
「これは、いったい……!」
 灯才は驚愕を隠せない様子だった。花飛に気付くと、その場を動かず叫ぶ。
「花飛! 何ということだ! 聖域に入ったのか!」
「灯才! 助かった!」
「あなたは一体何をした!」
 花飛はその場を動かなかった。動けば水の魔物はついてくると思ったからだ。灯才の問いには答えず、問いを返す。
「虎純眼は一体、なんなんだ!?」
「何!?」
「頼むよ! 今すぐ答えを知りたいんだ!」
「この地震は今、アーラストム全域に広がりつつある。王宮も町も混乱している。あなたが神の聖域に踏み入ったせいではないのか!」
「そうだ。だが原因は虎純眼だ。あれは一体なんなんだ」
「虎純眼?」
 花飛は努めて冷静に、答えを引き出そうとしていた。
「虎純眼は鳴動する石。特殊な魔力を持っているから、何かに共鳴して動いているのか? 地震の原因は虎純眼なんだ」
 灯才は思い当たることがあったのだろう。花飛を責める前に、その問いに答えた方が良いことに気付いたようだった。
「虎純眼は震える大地の精霊の一種だ。あれも精霊石の一種なんだ。抑えられるのは特別な水の力で…………まさか、それ、なのか?」
 灯才が指したのは花飛の背後にある水の球体だ。
「特別な水の力? それはなんだ?」
「王家から配られる聖水のことだ。神の泉から汲むと言われている」
「つまり、こいつ、なのか……」
 花飛は背後を振り返った。球体はいつの間にか三つに増えていた。それらが揺れ、不可思議な光を放ちながら、花飛を待っているかのようだ。
「すまない、興味本位で近づいただけだったんだが、突然、あれに襲われた。なぜ人を襲うんだ? 王ならば近づいても平気なのか?」
「残念ながら俺は知らない。陛下はご存知だろうが……」
「探そう! あれを静める方法を聞かなきゃ、もしこのまま虎純眼が震動し続けたら、大地震を起こすだろう!」
 灯才は眉根を寄せて俯いた。
「全く……とんでもない災厄を招いてくれたものだ」
「俺のせいじゃないぞ」
「あなたのせいではなくて、何だと言うんだ。禁域の泉に近寄るなど!」
「すまなかった」
 灯才の剣幕に圧されるように花飛は謝罪した。ここで言い争っていても仕方がないと思ったからだ。灯才から見たら、無論、花飛が悪者だ。それならば素直に謝罪しておいた方が話は早く進む。
「アーラストムの為に、俺も協力するから。陛下を探そう」
「ああ」
「先に行ってくれないか」
「なぜ?」
 灯才は不審げなまなざしをする。花飛は弁解する為に、泉を指し示してみせた。
「あれは俺を追っているかも知れないからだ。一緒にいたら危険だ」
「そうだな。水を操る術は使えるのか?」
「まだ試していないが無駄だと思う。何らかの契約でこの泉に縛りつけられている者を操ることは出来ない」
 花飛の実力が全て解放できるのならば、契約の書き換えも可能だったが、今は力を封印されているのだ。
「風を利用して抑え込んでみる。灯才、行ってくれ」
「わかった」
 灯才が背を向けて走り出してから、花飛は再び泉に向き直った。水は揺らめいてその場にあるだけだ。目も耳もついてはいないが、花飛を警戒しているらしい気配はわかる。
 花飛は目を逸らさないまま、一歩下がった。また一歩、一歩、と下がって行く。その間に、口の中で音にならない呪文を唱えていた。
泉がその視界から消える位置まで行くことは出来なかった。やはり水は再び、花飛に向けて猛烈な速度で飛びかかってきたから。
 それを避けるように走りながら、花飛は術を放つ。
 応えてゴゥっと風が鳴った。姿は見えない風の精霊だ。




[*前へ][次へ#]

7/11ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!