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私が私であるうちに
目を閉じると浮かんでくるのは、こめかみを殴られたときの痛みと、反動で口内を噛んだときのぎり、という自分の内頬の肉の感触だ。そっと己の口の中に指をいれて噛んでしまった箇所を探ると皮が大きく裂けているのがわかって、さっきよりも痛みが増したような気がした。
  はあ、と どうしようもなくなって出たため息が、自分の現状をやけにリアルに感じさせて私をさらに途方にくれさせた。 
足首は完全に折れている。けれど、もう全身の痛みに自暴自棄になっていたので、無理やり引きずって一番大きな窓に近づいた。
ガラスの向こうから降り注ぐかすかな月光と、新宿の街の明かりが鮮明に今朝の彼の姿をわたしに思い起こさせた。
 どうして、 いったいどうして。
自分に尋ねてみても仕方がない答えばかりを頭の中で反復する。殴りつけるときの彼の表情とか、笑ってさえいなかった口元とか、私が思わず吐いた血を指で掬ったときにたてた音とか、些細な状況がフラッシュバックして、気持ちが悪くなった。
感情を日本語にすることすらできなかった。悲しいのか、悔しいのか、恐ろしいのか、いま自分が何を望んでいるのかさえ、わからない。 すべてが終わってから彼はわたしの髪をひどく脅えたような手つきで撫でた。顔は一発しか殴られなかったから、そこまで醜い状態にはなってないといいのだけれど、なんて未だに彼の前で外面を気にしてしまう自分に呆れる。 触れた窓ガラスは冷たく、耳を当てると微かに街の喧騒が聞こえてくる。
 「お前と、出会わなければ良かった」今朝、珍しく二人とも早く目覚めて珈琲を淹れているときに、不意に彼はつぶやいた。振り返ると、彼は自らの言葉に酷く動揺したように、目を見開いて、じっと私を見つめていた。
「伸二?」呼びかけた私を、見るその目は、今までに見せたことのない、泣きそうな瞳だった。

 そんな彼の瞳を思い出して、窓ガラスから顔を離したとき 
すでに私の気持ちは決まっていた。

「・・・ありがとう、伸二」

あなたと一緒にいれて、私はしあわせだった。
「人を愛することを覚えたら、あなたは西園伸二じゃなくなってしまうから、」


あなたがあなたであるために、私は今日ここで死のう。





2010/02/03


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