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苦しみの終着点*



銀→←土原作

 痛い。辛い。死んでしまいたい。きっと俺からそんな類いの言葉が無数に発せられているように見えたのだろう。だから万事屋は、あんな風に、優しく、俺に触れたのだ。それが全ての終わりだった。恐怖と、羞恥と、渇望の終着点が、そこに在った。

「土方、」

往来で踞る俺に声を掛けたのは万事屋だった。嘘だろ、と思った。時間は深夜三時、人通りなどもちろん皆無。だからこそ、俺はこんな所で小さくなっていたのに。

「どうした。気分でも悪ぃのか」

違ぇよ。小さく呟いたが、万事屋には届かなかった。なあ、どうしたの、とあいつは繰り返す。今は会いたくなかった。いつもいつも(認めたくはないが)あいつの銀髪を探して歌舞伎町を歩いているけれど、今は。
 今あいつと話したら、俺は何を口走ってしまうか分からない。

「なあ、土方ってば。…あ、もしかして土方じゃねぇの?」

「……んだそれ」

「やっぱり土方じゃん」

きっと笑ったのだろう、万事屋の声が少し緩んだ。そんなことですら、嬉しかった。俺と居て、万事屋が笑う。幸せだと感じる自分を、心底汚ならしいと思う。汚い、汚い、俺は、綺麗な魂をしたこいつを汚してしまう。だから、近づいてはならないのに、嬉しい。矛盾した感情が脳内を埋め尽くす。
どうしよう、どうすれば疑われず、心配されずこの場を切り抜けられるのか。人の気持ちに敏感なこの男のことだ、今の俺を不信に思わないはずがない。

「…仕事帰りか?」

「まさか。呑んだ帰り。長谷川さんと盛り上がっちまって」

こんな時間になっちゃった、神楽に明日怒られっかもな、連絡しなかったし。
万事屋はそう言いながら俺の横にしゃがんだ。
ああ、そんなことしちゃいけない。普通の奴にするように俺に接しないでくれ。疚しい気持ちでお前を見てるのに、こんな、お前に抱かれたいだなんて思ってる俺を、心配しないでくれ。
俺の思いとは裏腹に、万事屋はいつになく上機嫌で、俺の顔を覗き込んだ。

「……土方は、仕事帰り?」

「…おう」

「……口の端が、切れてるよ」


さあっ、と血の気がひく音がした。口の端が、切れてるよ。なんで?そう聞かれて、上手く嘘をつける程器用ではない。それでも、嘘をつくしかない。大丈夫、大丈夫。深夜徘徊してた未成年ヤンキーを取り締まったら殴られたんだって、それだけでいい。もっともらしいじゃないか。これを疑う奴がどこにいる?息をゆっくり吐いて、万事屋を極力見ずに答えた。

「これは、」

「目も潤んでるし、顔青ざめてるし、息も上がってるし、土方おかしいよ。どうしたんだよ」

「…あ」

言葉を遮られて、俺は無様に何も言えなくなった。
万事屋助けて、もう死にたい。口から溢れそうになる。これ以上嘘はつけない。口を開けば、泣いてしまう。
くそ、なんでこんな時に会ってしまうんだ。一生、誰にも悟られず万事屋を好きで居て、そのまま死ねればそれでよかったのに。俺はよっぽど神様とやらに嫌われているのか。真選組という居場所を手に入れた代償がこれなのか。
今日のように幕臣に抱かれることで、その代価は払っていたつもりなのに、どうして。

「なあ土方、何があったの。言えねぇことなのか」

「…放っとけよ、お前には関係ねぇ」

「お前どう見たって何かあったもん。そんな状態じゃ放っとけねぇ。言ってみろよ。俺じゃ信用ねぇか」

そんなことはない。そう言おうとしたが、言葉が出ない。
もう無理だ、隠せない。鬼の副長なんて言われてきたが、好きでもない男達に体を遊ばれたら、辛いのだ。苦しいのだ。生きた心地がしないのだ。
だからこそ、好きな男が堪らなく恋しくなる。お前は立派だ、汚くなんてない、綺麗だよ。優しい言葉が欲しくなる。可哀想に、辛かったね、と慰めてほしくなる。
そんなことをこの男に望むのは、間違っている。こいつは俺のものじゃないし、何より気持ち悪いと思われたくない。
なのに涙が止まらない。
真っ直ぐな魂をしたこいつに、もたれ掛かってしまいそうになる。今までずっと秘めてきたのに、なんで今日、こんな形でバレなきゃならないんだ。嫌だ、嫌われたくない。慰められたいけど、汚いと思われたらと考えると、怖い。だから絶対に隠し通していたかったのに。

「土方、泣いてるの…」

「…万事屋…」

「……なあ、すごく嫌なことを言うかもしんねぇ。違ったらごめんな、」

小さく頷くことしか出来ない。万事屋が勘づいたのならそれは仕様がない。自分の口で言うよりかはましだ。

「お前…誰かに犯されたのか」

犯された、なんて一方的で可哀想な立場とはちょっと違う。俺は幕臣に命ぜられれば言われたままに何だってする。誘ってみろと言われれば卑猥な言葉でおねだりをするし、自ら足を開き、奉仕をし、だらしなく声を出す。
その行動全てが、反抗的で背徳的で、いかにも屈辱的な目をするところが良いのだ、と奴等は言う。
その通り、この行為の優位者は俺じゃない。俺はただひたすら、この惨めで醜く長い時間を耐えるだけなのだ。

「土方…違う?」

「………そんなようなもんだって言ったら」

お前、軽蔑するだろう?
涙で掠れて、声にならない。万事屋のことを見れない。怖い、怖い、周りの全てが怖い。自分の醜さを露呈してしまった。俺と幕臣以外は誰も知らなかったのに。真選組の誰も、原田も山崎も総悟も、近藤さんでさえ。
柔らかな温度が、俺の頬を擦った。万事屋が、俺の涙の跡を、ゆっくりとなぞった。

「ずっと一人で抱え込んできたのか」

「…こんなこと、誰にも言えねぇよ」

「……全部俺にぶつけろよ。お前の中の、苦しくて辛い感情、全部、聞かせて」

お前だけが辛い思いすること、ねぇんだよ。
万事屋は何故か、すごく切羽詰まった声で、小さくそう言った。そのまま指は、切れた口の端の瘡蓋を優しく撫でる。
万事屋の顔を、そっと覗いてみた。嫌われたのでは、と怖かったが、万事屋の声と指先が暖かかったから、ほんの少しの勇気を出して。

「なんで…」

万事屋が泣いてんだ。
頭の中が真っ白になった。なんで、どうして、何があったんだ。何がお前を悲しくさせたんだ。

「悪ぃ…俺、悔しいわ」

「…え」

「土方ぁ、もうわかるよな?」

何がだ、と俺は心底困った声で返事をした。
万事屋が泣いている。どうしよう、どうしよう。

「俺は、お前が好きだから、大切で仕方ないから、……だから、悔しいんだ」

「……お前が…俺を?」

「そう、俺は土方が好きなんだ。なのにこうやって、お前が踞って助けを求めなきゃなんなくなるまで、気づけない。今日会ったのだって偶然だ。くそ、なんだよそれ、なんで土方が」

「………嘘だろ」

「本当だよ。なあ、誰だよそいつ。俺、そいつのこと殺してやりてぇ。土方を傷つけて、泣かせる奴なんて」

「…嘘…だろ」

土方、信じて。
万事屋はそう言って腕を広げ、俺を、力強く抱き締めた。
息の詰まる思いがした。万事屋の胸の中、あんなに焦がれた温もりが、今こんなに近くに。嘘だ。嘘だ。どくん。心臓の音がする。嘘だ。

「土方、もう絶対一人で泣いたりするんじゃねぇ。お前がどんなに嫌でも、俺が絶対一人にしない」

「…本当か?」

「おう、約束する」

万事屋はそれ以上、なんでとかどうしてとか、余計な言葉を発っさなかった。俺が万事屋の背に手を回した、それでよかった。
万事屋は俺の目を見て、綺麗だ、と呟きキスをした。
嬉しくて、身が震える。一番欲しかった言葉をくれる。俺は、汚くないのだ、万事屋がそう言ってくれるのだから。

「もっとしろ」

そう言うと、万事屋は嬉しそうに笑って、何度も何度もキスを重ねた。今までの重くのし掛かっていた恐ろしい感情達が、少しずつ消えてゆくようだった。
何か解決した訳ではない。俺は今後も幕臣に抱かれなきゃならない。それでももう、死にたいとは思わないだろう。万事屋が俺を見捨てない限りは。この汚い体を綺麗だと撫でてくれる限りは。
もう要らない、と言われるまで、俺はお前に留まっているよ。

「…ありがとう、万事屋」

やっとの思いで絞り出して、また少し泣いた。幸せを久しぶりに感じた。







苦しみの終着点

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