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川蝉の泣く音色
 何を思ったのか、俺はその給料袋を茜に握らせ、男を殴り付けていた。
 無言でそいつの顔面を殴る。殴る。
 拳に痛みはなく、不意に殴られた男は苦痛に顔を歪めている。
 それでも俺は殴り続けた。

「や、やめて!! 桐生君どうして……」

 茜の悲鳴で俺はふと我に返った。
 馬乗りになった男は既に意識がなく、鼻から垂れる赤黒い血がアスファルトを濡らす雨水に溶けている。

「死んじゃう……」

 茜が泣き出しそうな声で呟いた。
 血まみれの男から離れた俺は自分でも驚くほど冷静だった。
なのに俺は彼女を傷つける言葉だと気づけずに言ってしまった。

「売春するやつなんか死んでもかまわない」

 正面にいた茜が泣き出した。
 はじめ、彼女が何に涙しているのかわからなかった。
 だが、その謎はすぐに解けた。

「じゃあ私も……死んでいい?」

 涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔は、今までに見たことのない表情で、救いを乞うような瞳が痛々しい。

「え」

 あ、そうか。
売春するやつなんか死んでもかまわない、それは茜のことも指している……。
 意識のない男に向けた冷罵は、茜の胸に深く刺さっていた。

「ごめん、茜にじゃなく、この男に言ったつもりだったんだ」

 そんな後付けしたところで何にもならないことはわかっている。
 でも俺は、茜を傷つけるつもりじゃなかったと自分を弁護する他、言葉が見つからなかった。


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