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私が好きなもの

 たとえば私があの人に愛してると伝えたら、あの人はどういう表情をするだろう。
きっと僕には妻が……なんて困った顔をするに違いない。
けれどその表情が可愛くて、私はほっと心を温める。

「ねえねえ」
「ん?」
「私愛してる、あなたのこと」
「えっ、あ……僕には妻が……」

 やっぱり。
 電話越しなのが悔しいけど、今、彼はきっと私の想像する通りの困った顔をしているに違いない。

「冗談よ、バカ」
「もう」

 いつものように冗談だと嘘をついて誤魔化す。
本当に彼が困ってしまうのは嫌だし、彼は今幸せだからだ。
それを壊してまで私は彼を求めないし、彼の幸せな顔を少し困らせられるだけで私も幸せだった。
 いつからあの人に恋心を抱いたのかは覚えていないけれど、気づけば私は彼を愛していた。
それが叶わないものだとは百も承知していて、叶えるつもりもない。
 今のところ、私はそれで幸せ。

「僕には妻が……でも昨日別れた」

 え、と間抜けな声で聞き返せば、彼はおうむ返しに聞き返してきた。

「え」
「今、なんて」
「昨日、妻と別れた」

 嬉しさと同時に悲しみに似た感情が胸の奥深くから追り上げてくる。
私のせいで、私のために、彼は家庭を捨ててしまった。
それは私を選んでくれたということでもあり、家族を裏切ったということでもある。

「どうして……」
「僕も君が好きだから」

 そう言ってくれた彼は奥さんに別れを告げるとき、どんな気持ちだったのだろう。
一度は本気で愛し、その時もまだ愛していたかもしれないその人に別れを告げる気持ち。
 もしも私が彼に近づかなければ、こうはならなかったのかもしれない。
彼が好きだから、手に入らないから、せめて困った愛らしい顔を見ようと好きだなんて言わなければ、彼は平凡な幸せを手放さずにすんだかもしれない。

「ごめんなさい……」
「え?」
「私、あなたを別れさせたくて好きって言ったんじゃないの」

 ただあなたの困った愛らしい顔が見たかっただけ。
 彼は私のその言葉で離婚したことを悔やみ、私を恨んだだろうか。

「じゃあ君は僕とは……」
「奥さんがいるあなたが好きだった」

 そう。私は手に入らないからこそあの人が好きだった。
幸せそうな顔を少し困らせて、それが好きだった。

 何も私は幸せな彼を愛してたわけじゃない。
困った顔をした、あの彼が好きだったんだ。



END.
9/7


マエツギ

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