岩手城では、城主、岩手信久の討死の報により、半兵衛がついた時には、混乱する人の波で慌ただしくなっていた。
――逆に好都合だけどね。
半兵衛は城の裏手に回って、馬を繋ぎ止める。岩手家では既に新しい城主が決まったか、まだ家老達が相談をしているか、そのどちらかであろう。
――信冬殿かな。
それとなく時期城主の名に挙がりそうな人物の顔を思い出し、半兵衛はにっと笑った。
「竹中重元が託を受け、参上致す次第。岩手殿に伝えよ」
城門へ回って、門番に言う。背筋を伸ばし、胸を張ることを忘れない。威圧的にでることで、重要さを強調する。ついでながら、「急ぎの用である」と耳元で囁いた。
「暫しお待ちを」
門番は慌てて城へ戻る。ほどなくして城内へ案内された。やはり城の中は、慌ただしい。女中が小走りに駆けていく様を見て、これではまだ当主不在のままではないのだろうかと思う。
半兵衛は客間に案内され、そこで待つことになった。襖が閉まるのを確認するや、己の着物を脱ぎ捨てる。
密かに持参した女物の煌びやかな着物に袖を通し、薄紅を唇と目尻に乗せる。実に手慣れた動作で髢をつけると、半兵衛は男から女へと成り替わったていた。一種の芸当のようである。普段から女のように扱われるのを嫌う半兵衛であるが、己自身が一番、竹中半兵衛という人物を見抜いている。女装は相手を欺くための手段。一種の兵法のようなものだと割り切ってしまえば、抵抗感はない。
「竹中殿か」
声と同時に襖が勢いよく開いた。中から年若い男が入ってくる。
――やっぱり、岩手信冬殿だ。
半兵衛は男の顔を見て、それが信冬だと認めると、自分の読みが当たったことに内心喜んだ。
「密談と思って来たが…おなごではないか」
どうやら、門番に耳元で「急ぎの用がある」と伝えたことに尾鰭がついて伝わったようだ。竹中も岩手も道三の武将であるから、密談があると勘違いしたのだろう。その証拠に、信冬は家来を一人も連れずにここへ来ている。
「重元様は深手を負い動けませぬ」
「そうか…竹中殿が…」
信冬は唸った。思案をしているそぶりを見せる。恐らく女と会話などしたくはないのだろう。
――そっちがその気ならば、俺にだって考えがある。
そこで半兵衛は、攻めに出ることにした。
「竹中は道三様につき敗戦。義龍様よりどのような仕打ちを受けるか分かりませぬ」
「ああ」と叫ぶなり、ほろほろと涙を流す。
流石の信冬も女の涙には勝てない。
「おお、女。泣くな」と言いながら、女の背を撫でる。そして、しどろもどろになりながら、半兵衛が最も探りたかった胸の内を言葉に出した。
「岩手も竹中と同じである。明暗は分からぬが、我ら一族は伊吹山一帯に根ざしているが故、西には浅井、東には織田がいる。義龍もこの意味が分からぬわけではあるまい」
三つ盛り亀甲の花菱と神社の御簾の帽額。
浅井と織田の亀と僧の家紋を思い描きながら、半兵衛は感嘆した。少なくとも岩手信冬は、我が父君よりは思慮深い人のようだ。
――父上に知らせよう。
半兵衛はそう思った。
――岩手殿は俺と同じことを考えておられた。岩手殿と協力し、浅井と織田をちらつかせれば、いくら蝮でも己の腹は食えないだろう。
実のところ、半兵衛は岩手を疑っていた。竹中重元の首を掲げて義龍の元へ馳せ参じるのではないのかと。
――女装をする必要がなかったな。
凝ったことをしてしまったようだ。半兵衛は腹の中で己を笑った。
「さて、岩手殿のお考えが分かり、私の主も心健やかになるでしょう。このお話を重元殿にお伝え致しまする」
「まぁ、待て」
信冬は半兵衛の腕を掴み、抱き寄せた。
突然の信冬の動きに、半兵衛は一瞬、何が起こったのか理解できない。その意味が分かった時には唇を奪われ、ねっとりとした粘着質のあるそれが舌に絡まっていた。
「お止め下さい!」
「そちの乳は少々堅いな」
「止めろって言ってるだろ!」
信冬を押しのけ、半兵衛は唇を拭った。
信冬は驚いたように目を丸めている。
(Next...)