唐紅に
そういや此処は
ある意味、異文化コミュニケーションだった王子とのお喋りは、夕飯の時間が迫っていたことでお開きになった。
「ちょっとごめんね。フードが裏返しになってる」
帰り際、玄関まで見送った俺の服を正すついでに、さり気なく首を撫でられ、頬にキスを贈られる。首を撫でられたのにも驚いたけれど、ダブルだと解ったからか、王子にとってキスは挨拶なのだと、受け入れていた自分にも驚いた。
「今日はありがとう。またね」
ドアが閉まり、甘い笑顔を浮かべた王子が見えなくなると、どっと疲労感が湧いた。途中からは確かに俺も楽しんでいたのだけれど、ああいう風に不意打ちで触られたりするのは心臓に悪い。
「ご飯行こ…」
座り込みたいのを我慢して、俺は隣へ向かった。
「ありり? コタおはよー。起きてたのお?」
「そういうトールちゃんは、出掛けてた?」
かっちりした服が苦手らしいトールちゃんは、普段、帰ったら即座に着替える。が、俺を出迎えた金髪はまだ制服のままだった。珍しい。
「んー、んー……、何かねぇ、ボーっとしてたら、こんな時間になってた? みたいな?」
「あ、まだ具合悪い?」
「ぜぇんぜん大丈夫だよお。オレ、ちょー元気。あ、そだ。加瀬まだ帰ってないし、入っててぇ」
ゆるゆる促されて居間に行く。何だろ、今、何かを誤魔化されたような。
「ねぇコタ、オレ、臭くなぁい?」
具合が悪いんだったら休んでなよ。そう口にするより先に、トールちゃんが訊ねた。
心なしか不安そうにしている金髪に近付いてみる。特に気になる臭いはしない。しかし、大丈夫だと伝えても、彼は納得しなかった。
「ホント? ホントに臭くなぁい? もっとしっかり確かめて」
腕を広げて、顔を寄せるように指示される。これで本当に悪臭がしたら泣くぞ、と思いつつ、乞われるままに嗅ぐ。
胸元や首筋、髪なんかも、すんすん鼻を鳴らして確かめた。……凄い変な図。
「……どお?」
「あーっと、風呂入った? フルーティーな香りがします」
トールちゃんからは、彼がいつも着けている香水の匂いではなく、ボディソープの香りがした。たまに、加瀬が風呂に入ってから夕飯に行くので知っている。オレンジ系の匂いのするボディソープ。全身に湿り気を感じないところをみると、結構前に入ったらしい。
それなのに制服を着直したのか。
ううん、トールちゃんは時々俺の理解を超える。
「シャワー浴びたけど……ホントに大丈夫?」
「いい匂いしかしないよ。てゆか、いきなりどしたの」
「……えとね、コタが…顔顰めてたから。オレ、変な臭いでもするのかなーって、心配になっちった」
えへ、と首を傾げた金髪の言葉に、思わず顔を押さえた。
「マジで?」
「マージでー! こーやって、むぅってなってたよお?」
トールちゃんが眉間を寄せ、引き結んだ口角を軽く下げてみせる。俺の真似をしている、らしい。
「何かヤな事あった?」
「……厭な事っていうか、連続ビックリで疲れました、って感じ?」
だと思う。まったく自覚がなかったんだけど、顔に出るくらい疲れてたのか。撫でられた首を擦る。
「ビックリ? ほほう?」
調子を取り戻したらしいトールちゃんが、わきわきと手を開閉させながらにじり寄って来た。その手が、腰を囲むように背後に回った。
「パパにお話ししてごらーん」
トールちゃんの尖った腰骨が腹に押し付けられる。少し痛い。オレンジの香りが鼻をくすぐって、距離の近さに無意味に笑いそうになる。しかし、王子の時みたいに、ぞわっとする感じはなかった。
慣れ?
慣れなの?
王子の場合あのキラキラオーラもあるから、接近? 接触? に慣れる日は来そうにないけど、ペタペタに慣れるって。
……えーと。
それはともかく、身長差を見せ付けるような腰骨の位置が悔しい。痛いし、隙間を開けたくて腰を引いた。長身に見合う長い腕が、巻き付くように囲っているから、逃げられるのはほんの少しだ。トールちゃんは猫のように笑って、高い位置にある額を、俺の頭にくっつけた。
「ほら、ゆって? 何がコタをビックリさせたの?」
幼児をあやすような、甘やかすような声が頭上で響く。
吐息の掛かる近さでのそれには、隠しきれない心配が滲んでいて、俺は密かに苦笑した。
隣人は過保護だ。
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