唐紅に
2
髪型が決まらないだけで1日憂鬱だったりするように、朝の気分というのは結構大事らしい。
今朝見た夢の気持ち悪さ自体はとっくに忘れたつもりだった。だけど部屋に戻って独りになると、憂鬱な気持ちと、起きた時に纏わりついていたじんわりした怖さが再び心を占めた。
色々あって疲れたのも、鬱々とした気分に拍車を掛ける。だからって誰かと遊びに出る気にもなれなかった。
こういう時こそ、理一さんの所にお邪魔したら良いのだろう。りっちゃんの顔見て、話を聞いてもらって。気晴らしになるのは間違いない。
……でも仕事中かもしれない彼の所に行って、手が空くまで独り暇を潰す事になったら? ──それなら部屋に籠もっていても同じじゃないか?
ベッドで寝たらまた怖い夢を見てしまいそうで、俺はトールちゃんに「寝る」とメールして、居間のソファに転がった。
目を閉じて、腕をアイマスクの代わりに乗せる。
擬似的な暗闇は、少しずつ眠気を運んでくる。
いつものように、夕飯にはお隣が迎えに来るだろう。起きた時、気分が向上していると良い。
俺は抗うことなく睡魔に身を委ねた。
横になってから、それほど時間は経っていないのだと思う。強い眠気を感じているのに、さわさわと触られる感覚に意識が浮上した。何かがシャツの上から、そっと押さえるようにして胸郭をなぞっていた。
ああ、まだ寝ていたいのに。
乗せたままになっていた腕を退ける。夕方特有の、赤味を帯びた光が目を刺し、慌てて顔を背けた。
胸を這っていた何かは一瞬ぴたりと止まって、それからゆっくりと腹へ移動した。何だろう。生き物の暖かさだ。
眩しくないように細く、横目で腹の上を見る。
「…………え…」
茜色に染まった室内に、居るはずのない人がいた。
「……ヒロ…くん、?」
起こされた、と思ったのだけど、俺はまだ、夢を見ているのだろうか。
ソファに片膝で乗り上げていたのは、赤茶よりももっと艶の深い──赤銅の髪をした、親友だった。
「髪型、変えたの、」
たとえ夢だろうと、久し振りに会えた事は嬉しかった。俺の気分の上下に敏い彼が、遠方にいてさえ沈んでいる俺に気付いて、夢を渡ってきたのだと──そんな非現実的な考えまでもが浮かんだ。嬉しい。
腕を伸ばす。緩慢な動きで首に掛けて、引き寄せる。近くなったのに重くないのは、彼が床に着いた片手で自分の身体を支えているからだ。
いつもなら挨拶代わりにハグしてくるヒロム君に、今日は俺からハグをして、それから彼の香水を嗅いで。ヒロム君と頻繁に会えなくなってから、癖みたいになってしまった動作を無意識にやっていた。
「……チッ」
あれ。何で?
俺の夢なら、ハグを返してきそうなものなのに。
何故か全身を強張らせたあと、舌打ちを返されてしまった。
これは「あんまりヒロム君に甘えるなよ」という自戒ですか、俺よ。
「……ンのかよ、……だな」
「ん? ……んん?」
しかも、匂いまで、違う?
あれ、これヒロム君か?と首を捻る。
「ちょ、え? どういう展開?」
「黙ってろ」
気が付けば腹にあった手がシャツを捲り上げ、ベルトを外しに掛かっていた。
えーと、脱がされてる、のか?
俺にこういう願望はないと思うんですけど……。どうなの? 知らないうちに染まっちゃってたりすんの?
自分の脳ミソと緊急会議を開いている合間にも、ファスナーが下ろされ、トランクスのゴムが持ち上げられた。下っ腹が外気に晒された冷やっこさまで体感出来るって……えー、何この無駄なリアルさ。
「──って、ストップ! ちょっと待て!」
夢な訳あるか!
一気に目が覚めた。
服を剥こうとする手を払い除け、上体を跳ね起こす。相手が不意を喰らって蹌踉いたのを幸いに、ソファの背面に降りて盾を作った。
うおお、あっぶな!
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