唐紅に
新たな日常





 目覚まし時計が鳴る前に、目が覚めてしまった。
 視界に飛び込んできたのは、少しくすんだ白色で、瞬間あれ? と戸惑う。次いでそれが寮の、自分の部屋の天井だと気付いた。

 カーテンの隙間から射しこむ光はまだ淡く、空は白み始めたばかりのようである。
 起きるにはまだ早い時間だったけど、寝直す気分にもなれなくて洗面所に向かった。



 勢い良く出した冷水でザブザブ顔を洗う。口を濯(ユス)いで、寝癖を撫で付ける。きちんと乾かしきってから寝ても、この髪はすぐに爆発してしまうのだ。

 部屋に戻って制服に着替えても、まだまだ時間はたっぷりあった。
 ああ、どうしようかな。
 ベッドに腰掛けて、お隣が迎えに来るのを待つ。窓の外ではスズメやら山鳥やらが鳴いていて、長閑な朝の光景が広がっているのに、妙に気分が沈んだ。

 珍しく、怖い夢を見たからかもしれない。

 と、言っても、ビックリしてぎゃー! となる怖さじゃなかった。予防接種なんかで、じっと注射針の行方を見つめている時のような。こう、大したことないんだけど、一度怖いと思ってしまったらじわじわ来る怖さ、みたいな。既に内容も朧気になっていたけど、夢の残滓みたいなものが身体に纏わり付いている感覚が拭えなかった。





 それが顔に出ていたらしい。


「コタ、今日は元気ないねぇ」


 いつものように三人でご飯を食べて、いつものように、まだ人が少ない時間帯に登校する。その途中で、トールちゃんが俺の顔を覗き込んだ。


「へ? あ、そう?」

「ああ、確かにちょい顔色悪いかもな」


 思わず頬を擦った俺に、加瀬も肯いた。


「うーん……夢見が悪かったからじゃないかなぁ。寝足ないのかも」

「怖い夢でも見たとか?」

「えぇっ、そーゆー時こそオレを呼んでよお! コタになら、いつでも、いっくらでも添い寝すんのにー!」


 素っ頓狂な叫び声に、ぱらぱらと居た登校中の人たちが振り返った。
 誰もがトールちゃんを見て、俺を見て、納得したようにまた歩き出す。その際に「あぁ、あれが…」とか「やっぱりあの話って…」とか聞こえるのはここ数日のお約束で、その中にチラリとおっかない視線が混ざるのも、またいつもの事だった。


 誤解を深める周囲は、順調にトールちゃんの思惑に嵌っているな、と思う。これは俺も、数日前に、王子と再接近遭遇したから気付けたんだけど。



 いつだったか、誰かが教えてくれた。異文化の罷り通る学内で、中流以下の生徒が安全に過ごす方法。

 それは、上流の誰かの“後ろ盾を得る”か“お手付きになる”か、である。


『ルール違反、でしょー?』


 あの時の王子に対し、トールちゃんはそう言った。
 俺たちが“お付き合いしている”という噂は当然ガセだ。
 それを放置どころか、敢えて増長させるような、トールちゃんの言動。それから異界の不文律。

 これらを併せて考えた結果、導き出された答えは、





 あぁ、手っ取り早く守ろうとしてくれてんだなぁ。



 だった。

 生徒会の周りは危ないと再三言われた。説教もされた。けど王子と大勢の前で話したあと、文句のひとつすら言われた覚えがないのは、この不文律が利いているから。
 すぐに冗談に紛らせて否定していたけど、寮長はトールちゃんを「盾にならない」と評した。でもトールちゃんは、充分、盾となる力量を持っているようです。


「ねえってばー。コタ聞いてる? お返事はー?」

「あー、はいはい。添い寝は要りません」

「ええ〜」


 俺はトールちゃんの作戦に積極的に乗る気はなかった。友達にこうした形で“守られる”ことに、不満もあるのだ。

 ただ、どうしてここまで良くしてくれるのか不思議で堪らないんだけど、トールちゃんの気持ちは嬉しい。

 だから俺はこの噂に関して、直接確認されない限りは放置していた。訊かれた場合は、そりゃあもう、きっちり否定すると決めていますが。
 いちいちムキになっても誤解を煽るだけだろうし、人の噂も七十五日って言うし。そのうち周りも飽きるんじゃないかというのは、まぁ、俺の希望的観測だ。

 それに、益不益でいうなら、利益が大きい現状である。静観しておくのが賢いかな、と思ったりして。


 

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