唐紅に
2
「あー、でもさ。真面目な話、そのくらいの事で副会長が手を振ったりするか? つーかまず、覚えないだろー……」
脛を摩っていた根岸は、言いながら腕を組んで考え込んでしまった。
でも成績の所為か、王子は予め俺の事を知っていたみたいだし、迷子になる奴が珍しくて記憶に残ったんじゃないかと思う。
「だとしてもあのサービスは行き過ぎだと思うよ。ご自分の影響力をよくご存知のはずなのに…」
「そーだよお!」
「えと、珍しいことだったりするんですね?」
初対面の人間に西洋式の挨拶をしちゃう王子様だ。手を振るくらいの事は普段からやってそうなのに、顔を曇らせる三人の様子からすると違うらしい。だったらクラスメイツの興奮も、まだ納得だ。
「……春色ってさ、入寮日からこっち“大物を引っ掛け倒してる外部生”ってヤツだろ? これで副会長まで引っ掛けたってバレたら、色々ヤバい気がすんだけど」
「引っ掛け…!? 誤解です誤解! 何てこと言うかな!」
恐ろしい事を言うなと慌てて訂正すると、根岸は胡乱げに俺と金髪を見遣った。
「そっちの噂はもう落ち着くだろうけどさぁ」
「? そりゃ助かりますが、」
「コタの人徳だよお。ねー、ネギッシー?」
トールちゃんは満面の笑みで同意を求めたが、その手は根岸の頬を容赦なく抓り上げていた。コクコクと必死に頷く根岸の顔は蒼褪めているのに右頬だけ真っ赤で、……何だか面白いことになっているから放してやって下さい。
「ま、そんな事はどーでも良くってぇ」
願いが通じたのか、カラフルな顔色になっている根岸を放って、トールちゃんは俺に向き直った。
諸々突っ込みたい根岸の発言を問い質す間もない。
「コタ、小森サンにまた会おーとか、思ってないよね?」
「……思ってません。大丈夫」
実はちょっと、生徒会室に行けば王子に会えるかな、とか考えていた。先日のお礼をちゃんと言いたかったのだ。
でも俺は否定した。
『美形は危険』の教訓もある。それにこの人気っぷりだ。
根岸たちの態度を見るだけでも、王子にひょこひょこ会いに行くのは宜しくない事だと解った。
俺は自分が可愛いし、わざわざ危ない橋を渡りたくはない。
学年も違うし、機会はないかもしれないけれど、お礼はニアミスした時で良いかな、と思った。
「つーかさ、春色。副会長があんたに手を振ったとか、知り合いだとか、冗談でも言わない方がいいぞ」
「はあ。……参考までに、冗談でない場合は?」
「絶対口にするな。生徒会をマジで崇めてる奴らもいるんだ。すげぇヤバい」
出来るだけトールちゃんを視界に入れないようにして、根岸は態度に似合わない真剣な顔で忠告をくれた。
理由は知らないけど親切で教えてくれている事は解る。神妙な心持ちで頷くと、隣から伸びた手が「いい子」と髪を撫でた。
「コタ君は来たばかりで解らないと思うんだけど、小森先輩が特定の誰かに自分から接触されるのは凄く珍しいんだ」
「自分から愛想振らなくても、勝手に周りがチヤホヤするしねん。その中からテキトーに摘み食いするだけで充分なんでしょー」
「あー、確かに俺も初めて見たかも。来る者拒まずで優しいとは聞いてたけど、自分から動く人じゃなかったような…」
こうやって聞いていると、王子が俺に手を振ったというのは勘違いかもしれない、と思えてきた。
自分から積極的に人と関わるタイプじゃないみたいだし、俺が会ったのはあの時だけだ。どうして俺に? という気分になってくる。
「えーと、夢だと思って忘れる事にします」
何だか大事のように言われるし、変な科白も言われたし、段々考えるのも面倒になってそう締め括る。すると揃って「それが良い」と返された。
「あの人たち、みーんな“お貴族サマ”だしねん」
猫みたいな顔になったトールちゃんが付け足す。
“貴族”とは、一部の“上流階級”の人を指すトールちゃん語だった。上流の中でも、特に家柄が良くて顔も良い人だけがなれる、学園の特権階級のことらしい。
ただのアイドルじゃなかったって訳だ。
「一般ピーが近寄ってもロクな事ねえって。過激派も多いしさ」
「肝に銘じます」
小森王子が何を考えているかなど知る由もない俺は、この時点で既に他人事として捉え始めていた。
次に王子を見るのは何かの行事の時かもなぁと、ぼんやり思う。
「……真剣味が足りないっつーか…。あーもーッ! 頼むから、下手打って追い出されたりすんなよ!?」
「やけに心配してくれるのね」
これって、友情の芽生えってヤツですか。
にやりとして訊いた俺に、根岸はきょとんと目を瞬かせた。
「だってあんた、すげー美味しいネタになりそうだし」
はい?
予想とは懸け離れた返事に、俺も瞬きを繰り返す。
「コタコタ。ネギッシーねぇ、パパラッチなんだよお」
「ちがう! 俺は報道部! 事実に基づく情報と娯楽を与えるのが使命!」
根岸は熱く拳を握った。
ちょっとばかり、人間関係に不審を抱いてもいいですか?
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