唐紅に
2
休み明けの食堂は、正に戦場だった。
入った時にはまだ余裕があったのに、俺たちが食べだす頃には芋洗い状態。
異界だ何だと言っても、そこはやっぱり、男子高校生の集団なんだよなぁ。
朝っぱらからでも食欲に忠実な皆の姿に、変な感動を覚えてしまった。
「混んじゃう前に、登校しちゃおーね」
三人とも鞄を持ってきていたので、混み合う食堂は早々に出て、直接校舎へと向かった。
高等部寮から校舎まで、ゆっくり歩いて約8分。急げば5分で行けるかな? という距離だった。
山ひとつを丸々使った学校なんだと実感させられる距離である。せっかく敷地内に寮があるのに、この広さはちょっと憎い。
寮と校舎の間には、幾本もレンガ敷きの道が通っている。その内の1本を辿って行くと、校舎との境には、華奢な細工の鉄柵が設えてあった。
「誰の趣味なのコレ…」
明芳は、明治だか大正だかの昔に設立されたという。
その頃って“日本男子”とか“質実剛健”とかが求められてた時代じゃなかったっけ。
クチュールレースみたいに繊細で可憐な柵は、俺を遠い目にさせた。
これも庭園と同じ、潤いの一環なんですか、爺ちゃん。独断と偏見によるイメージだけど、こういう物は、お嬢様学校なんかに似合うと思います。
「誰の趣味って…そりゃ代々の理事長じゃねーの? 此処はもっと変な建物もいっぱいあるぜ? 系統もバラバラだし」
ほら、と指差す先には、センセにも遠くから説明された“校舎”が聳え立っていた。
レトロな洋館の職員棟に対し、校舎はもう少し近代的なデザインをしていた。これはあくまでも、職員棟と比較すればの話だけど。
アール・デコ調とでも言うのかな、幾何模様を随所にさり気なく取り入れたそこは天井も高く、現代建築では見ない手の込みようだった。そんな、意匠を凝らした白亜の建造物が、高等部の“校舎”だ。
そもそも明芳学園の創立時にあった建屋は、現・職員棟と教職員寮だけらしい。
それが生徒数の増加と共に徐々に増築されてゆき、昭和の中頃、現在の形に落ち着いた。
今でも補修改装はしているけど、基本的に年代物の建物という訳だ。
宇城の先祖は普請道楽の者が多かったのか、戦前までの建屋にはその時々の最先端建築様式が採用されていたという。だから、建屋ごとに意匠が変わるのだとか。
以上、加瀬先生の簡易講座・明芳の建築史より。
教室への道すがら、淀みなく解説してくれた加瀬に、俺は思わず拍手をしていた。
「詳しいなぁ…」
「俺、古い建築物が好きでさ」
興味が高じて学園内の全ての建屋を、建築年・様式・設計者に至るまで調べてみたそうだ。
その成果は歴史の課題に転用出来てラッキーだった、と加瀬は笑うけど、言うほど簡単じゃないよなぁ。
流石は学年次席。趣味の調べ物をレポートとして通用するレベルまで昇華するとは。
俺もレトロな建物や廃墟は好きだけど、加瀬みたいに詳しく調べる気にはならないと思った。
「じゃ、俺ここだから」
突然言われて周囲を見渡せば、俺達は1-1の前に立っていた。
楽しく話を聞きながら歩いていたからか、教室までがあっと言う間だ。
……しまった。
道を覚えてない。
「オレ達はこっちー」
と、それまで人除け勤しんで話に加わらなかったトールちゃんが、腕を引っ張った。
立っていた扉のすぐ左隣の扉を開けてトールちゃんは這入っていく。
不安定な姿勢で引き摺られる俺は、苦笑する加瀬が片手を挙げるのに何とか応えた。
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