唐紅に
4
「はい、これ」
9階に繋がる階段に到着すると、王子はフロアガイドを俺の手に戻した。
メモ欄には「2つ目角を右→ステップ踊場を左→1つ目角を右」といった具合に、A棟エレベータまでの帰り道が丁寧に書き込まれている。歩きながら書いていたのに、見易い綺麗な文字だった。
「ありがとうございます!」
直角に近く腰を折って感謝する。
「先輩凄い。寮の中完璧に覚えてるんですね」
これにミスがあったり、故意に違う道筋を書かれてたりしたら、俺はまた迷う事になるのだけれど。
ここは俺の賛辞にはにかんだ王子を信用したい。
「長くいるからね。春色君もすぐに覚えるよ、大丈夫」
会話しつつ歩きつつ、帰り道のルート指示まで書き込めちゃう人に言われると、くすぐったかった。
「だと、いいんですけど」
「春色君は外部生だよね。慣れるまでは友達と一緒に移動するといいよ」
「そうします」
覚える自信がなくて苦笑すると王子もにっこり微笑んだ。
うわ、背後に花が咲きましたよ今。
「じゃあ俺行きますね。本当にありがとうございました」
もう一度頭を下げて階段に足を掛ける。
「あ、待って」
王子はちょいちょいと指を曲げ俺を呼んだ。
「はい?」
呼ばれるままに3歩の距離まで近付くと、ぐいっと腕を引かれた。
「わ」
蹌踉く俺の左頬に温かい物が触れる。
「なっ、えっ?」
見上げた先には、きらっきらの王子様スマイル。
「ご馳走さま。またね」
軽やかに手を振り去って行く王子に、何ですか今の! という叫びを上げ損ねた。
王子様は生粋の日本人とは思えないくらいの西洋顔だった。
きっと彼はダブルで、異文化の中で育って来たのだろう。
だからあれは、彼なりの挨拶だ。
そうだ。そうに違いない。
茫然自失の体であっても、無意識の意識は正常に稼働していたらしい。
左頬へのキスを西洋式の挨拶だと結論付けた頃、俺はしっかり上位部屋一画の入り口に立っていた。
「おお。凄いな俺」
そんでもって凄いぞ、王子の記憶力。今度会った時にでも、ちゃんと帰り着けたお礼を言わないと。
そう心に留める。
「……さ、こっちも頑張るか」
廊下の突き当たりに蹲るそれを見つけた俺は、正直気不味くて堪らなかったんだけど、その人影──トールちゃんの前に進んだ。
「ただいま」
「……! コタ!!」
眉間に深く皺を寄せて俯いていたトールちゃんは、声を掛けると勢い良く顔を上げた。
瞬時に立ち上がり、覆い被さるように真正面から抱き竦められる。
「遅くなってごめん」
ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる彼は、はぐれた親を見つけ出した小さな子供みたいだ。不安で不安で仕方がなかったと全身で伝えてくる。まったく、これじゃどっちが親なんだか。
でも、それくらい心配させたって事だよね。
ううん、……反省。
「待っててくれたんだろ? ありがとな」
あやすつもりでポンポンと軽く背中を叩くと、更に強くしがみつかれた。
何も言わずに出掛けたり、もうしません。
[*←][→#]
[戻る]
無料HPエムペ!