唐紅に
3
俺は王子の目を真っ直ぐに見返してはっきりと言った。
「本気で困ってるんです」
ようやく道を訊ける相手に会えたのだ。怒らせても逃がしてもなるものか。
意気込む俺に王子様は困惑の笑みを浮かべた。
その笑顔は声に滲む険しさと不釣り合いに優しく、でも王子の持つ雰囲気には似合っていて、そのアンバランスさに戸惑う。
しかしこの好機を逃せば俺はまた寮内で放浪する羽目になると自分を奮い立たせ、ざっと状況を説明した。
「僕そういう冗談はあまり好まないんだけど」
誰が冗談で空腹抱えて彷徨うんだよ!
聞き終えた王子の感想に、俺は思わず拳を握った。
「俺、今年ここに入ったばかりで寮もまだ全く詳しくないんです。それで道を覚えたいのもあって、歩いてたんですけど」
迷いました、とは言いたくなくて言葉を濁す。
「正直な話、今いる場所がどの棟なのかも解らないんです。A棟への帰り方を教えて貰えませんか?」
「それは出来ない」
「え、」
「僕は見回りの途中でね、まだ仕事が残ってる。ここを離れて君を連れて行くのは無理だ」
速攻で断られて薄情者! と思ったけど、どうやら王子の言う「出来ない」は俺を部屋まで連れ帰ることのようだった。
こちらは端からそこまでの案内を望んでいない。道筋さえ教えてくれたら問題ないのだ。
出来れば簡単にで良いから、地図を書いて貰えれば、尚ありがたい。
ごそごそとポケットを探っても筆記具を携帯していなかった俺は、訝しげに見守る王子にペンはあるかと訊ねた。
「……あるよ」
「あ、良かった。じゃあ申し訳ないんですけど、これに内廊下までの道順を書いて貰ったり、出来ませんか?」
なるべく殊勝な態度で頼み、パーカーに突っ込んでいたフロアガイドを取り出す。
丸めていたそれは癖が付き角が少し折れていた。中には俺が付けたチェックなんかもあって、読み込んでいるのが丸判りで恥ずかしいんだけど、俺が今持っている紙はこれしかない。
メモ欄を開き、指先で折れを伸ばして差し出すと、王子が目を見開いて俺とガイドとを見比べた。
「君……本当に散策してただけなんだ…?」
「そうですよ」
それ以外に何があると言うのだろう。
繰り返すが、俺に空腹を抱えて歩き回る趣味はない。
「……そう…」
目は俺とガイドを往復しているのに、王子はちっともガイドを受け取ろうとしなかった。
何の委員会か知らないけど、さっき「まだ仕事が残ってる」とか言ってたのに、こんな所で立ち止まってて大丈夫なのかな。
他人事ながら心配になる。
「あの、えー……っと…」
忙しいなら時間を無駄に出来ないだろうと思った俺は、動かない王子に呼び掛けようとして、──この人の名前を知らないと気付いた。
「……どちら様でしょう」
うん。
間抜けな質問だ。
王子様は視線を俺に固定して、完璧にフリーズしている。
「俺、春色って言います。1年の春色紅太です。先輩……ですよね? 名前を訊いても良いですか?」
「あぁ君があの…。そうか、それで…」
あんまり聞きたくない聞き慣れた言葉を呟いた王子は、何かに得心がいったらしい。
ふわりと大輪の花がほころぶような笑顔を見せた。
「初めまして春色君。3年の小森和峰(コモリ カズミネ)です」
笑うと途端にキラキラした輝きが王子の周りに出現した気がして俺は目を瞬く。
「ごめんね。この階は配電室とかボイラー室とかあるから、つい態度もきつくなっちゃって」
「や、平気です。ていうか、ここって8階なんですか?」
大浴場とは真逆だったのか。
上に行ったつもりが下の階に来ていただなんて、一体どんなミラクル。
密かに頭を抱えた俺に、王子はこくりと首肯する。
「こういう人が来ない場所は善からぬ事を企む人達が屯し易いんだ。危ないから近寄らない方がいいよ」
眩いオーラも加わって正しく絵本に出てくる王子様になった彼は、そう言って俺の手からガイドを引き抜いた。
何事かを書き込みながら「ついて来て」と歩き出す。
「あの見回りは、」
「うん、だから9階までしか送ってあげられないんだけど」
「そんな、悪いですよ」
遠慮する俺に王子は眩しそうに目を細めた。
「春色君はいい子だね。でも早く帰らないと、お友達も心配してるんじゃないかな」
「あ…トールちゃん……」
「ね? それに、急がないと食堂も閉まるよ」
どの辺りから俺の様子を観察していたのだろう。
「……お願いします」
痛いところを突いてくる王子に負けて、俺は大人しく後をついて歩いた。
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