唐紅に
4
「ねぇアキチャン。オレたちも帰っていーい?」
皆が呆然とする中、トールちゃんだけは変わらずマイペースだった。間延びした声に安芸先輩も微苦笑を洩らす。
「引き止めて悪かった」
「や、俺は構いません。けどあの人…」
大丈夫かな、と思った。
先輩に拒絶された時、小綺麗さんは瞬間とても傷付いた顔をした。俺を蔑んだのも最初に見せたか弱そうな態度も、多分、それだけ先輩に向ける気持ちが(種類は解らないけど)大きいからなんだと思う。
機嫌を損ねた西尾先輩を追って、自ら傷を深くしなきゃいいんだけど。
そんな「余計なお世話だ」と言われそうな事を心配する俺に、安芸先輩は少し考えてから、あぁ…と頷いた。
「あれは、西尾のストーカー」
「…………」
「ストーカー」
「……あは、は……そうですか…」
予想外な返事に顔が引き攣った。男子高校生をストーキングする男子高校生。西尾先輩、本当に大人気ですね…。
俺の心配は、本当に余計な世話だったみたい。
「西尾への執着が酷いだけで、他に対して動く奴じゃない。心配しなくていい」
俺の心配はそこじゃない。けど安芸先輩は薄く笑って「西尾の機嫌が悪くなるのが厄介だけど」と付け足した。
皆が警戒してたのは、そういう理由からだったのか。脱力してしまう。そしてドンマイ、小綺麗さん。
「でも今度はぁ、ニッシーがコタのストーカーになりそーじゃない?」
安芸先輩みたいな座り方になったトールちゃんが、いたずらっぽく笑った。
「ちょっとやめてよ、なに恐ろしいこと言ってんですか」
「えー? だってまた『チョーショ取るぞー』って来るんでしょお?」
「……俺も同行する。ストーカーにはならせない……ように、する」
真面目な顔で言ってるんだけど、凄く心許無いです先輩。
「アキチャンが動くの? 珍しーね」
「下には聞かせられない」
「……ですよね」
何とかしてセンセに罪を着せようとしているのだ。対暴班長がそんなことに躍起になってるなんて、確かに他の人に知られちゃ不味いよなぁ。
本人はそれが正義だと思っていそうな辺りが、また。
「秘密厳守で」
「勿論」
「りょおかーい」
「っす」
頷く俺たちに、安芸先輩は「助かる」と軽く頭を下げた。
「いーい? 周りなんて見えない聞こえなーい、だよお?」
「芋か南瓜と思えばいんじゃね? だいぶ気が楽になるぜ?」
部屋に帰ろうと立ち上がったところで、トールちゃんと加瀬からそうアドバイスされた。
先に行き掛けてた安芸先輩が不思議そうに振り返る。
「何かあるのか?」
「やっだアキチャン、コタ新入生よ? この中抜けるのカクゴいるでしょー?」
トールちゃんはへらりと笑って誤魔化した。それはまんざら嘘でもなくて、俺にはちょっと度胸の要る状況だった。
小綺麗さんが視線の大半を攫ってくれたと思っていたのだけど、こちらに興味津々の人たちがまだ沢山残っていたのだ。
どうも、風紀委員長と対暴班長、この二人が直々に話を聞きに来たことが珍しかったらしい。小綺麗さんも言っていたように「そんなに重大な事件があったのか」と思ったみたい。
ゴシップにはお坊っちゃま方も好奇心を刺激されるようで、好き勝手な憶測を飛ばしているのが聞こえる。
そんな周りを見渡して納得したのか、安芸先輩は俺たちに向き直ると、おもむろに声を張った。
「解っていると思うが、風紀の関わる件には守秘義務がある。破ればペナルティだ」
それは俺たちに言っているようで、この場のすべてに向けられた言葉だった。つまり、俺たちには「喋るな」、周りには「訊くな」ということ。
注目していた人たちが急いで向きを変えたのを確認して、安芸先輩は小声になった。
「……これでいいか?」
「ありがとうございます。助かります」
「西尾が掛けた、迷惑料」
お礼を言うと、隻眼を彷徨わせてそんな風に言う。
「委員長、相変わらず男前っすね」
「……今のうちに帰れ。あとは引き受ける」
加瀬の揶揄いに少しだけ早口になって、安芸先輩はくるりと踵を返した。
いや、でもホント。安芸先輩、男前っす。
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