唐紅に
2


 後任が決まらず空席になっているが、生徒寮には本来、寮長の他に寮監として職員が就く。寮監室は執務室と居室の二間続きになっていて、居室からは直接外へと出ることが出来た。出た先は前任者の老人が趣味としていた小さな菜園で、手入れのされていない雑木林がすぐに聳えている。

 勾配のある薄暗い林は殆ど利用する者がない。恭介は人気のない慣れた道筋を辿り、教職員寮へと進んでいた。

 機械的に脚を動かしていたが、脳裏を巡るのは先程の小坪との会話だった。


『らしくねえなぁ』


「……その言葉は、学園長殿にでも捧げてくれ」


 だらしない自分を学生の頃から知っている理一が、自分に向けた牽制。あの鋭い目を思い出し、恭介は口許を歪めた。





 職員棟の踊場で、先に階段を下りていた理一はいち早く恭介に気付いていた。階段脇の灰皿で煙草を吹かしていた恭介と目が合った直後、理一は紅太にキスを降らす。

 愛しむような優しい動きとは裏腹に、理一の目線はしっかりと恭介を捕らえ、口の端を皮肉に吊り上げていた。
 そこには何時だって柔和な面を崩さない「温和で優しい」宇城理一の顔はなかった。

 これが本性──ではない。あくまでも紅太を守ろうとする、意図して作られた威嚇の顔だ。



 敬愛する春色教授の妻は、経済界重鎮の愛娘。



 これは恭介にとって常識とも言える知識である。当然、哀れな新入り──紅太の血縁関係も、内申書を見た時から理解していた。
 だからこの時「甥っ子がそんなに可愛いのか」と、理一の威嚇に驚いた半面、腹の底では笑っていた。

 頬を真っ赤に染めて階下を見下ろす紅太は、まだ幾分の幼さを残すとはいえ、流石に整った容姿をしていた。なのに纏う空気は凡庸で、血縁という事を加味しても、優秀なる宇城の後継がこの子供に執着する理由が見えなかったのだ。



 だけれども。


(あれは、癖になる)


 どこかアンバランスな紅太に、恭介は思う。彼の不安定さは知らず人の庇護欲を掻き立てる。

 紅太のそれは過渡期の少年にありがちな危うさではない。もっと幼く、もっと老成した、不思議なものだ。
 彼の持つ雰囲気は、見るものに茫洋とした不安を抱かせた。

 だからこそ、かもしれない。
 気付けばいつの間にか芝居を捨てて、日頃他人に対して引いている一線を越えた構い方を己に赦していた。



 恭介はそんな自身が信じられず「正気なのか」と自問した。だが何度問うても、放っておけないと感じている自分を確認するだけ。



 小坪の言うように溺れる気はない。それでもあの、掴み所のない少年には“自分らしさ”を崩される。

 煙草が吸いたくて胸ポケットを探る。触れた布地越しに乾いた感触があった。


「…………」


 茶封筒の中にはきっといつものように、道標を記したメモ紙が入っている。


「……らしくないのは、おまえもだろうが」


 理一もそれから小坪だって、充分に“らしく”なかった。
 何人(ナンピト)も飄々と煙に巻くのが小坪のやり方の筈だ。あのように牙を剥く姿など見たことがない。


(あの子供に何がある?)


 彼らは答えを知っているのだろうか。

 訊いてみたくなった。





 

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