唐紅に
始まりの始まり
目的地の前に立って、俺はぽかんと口を開けた。
その学園は随分と山奥にあった。買って貰ったばかりの携帯電話が、圏外になっていた程の山奥だ。
父さん、母さん。折角買ってくれたけど、文明の利器は役立たずでした。爺ちゃんに一言、文句を言いたかったのに。
「これは、ない」
ぐるりと辺りを見回してみる。
背後には鬱蒼と繁る豊かな緑。目の前には、何の冗談ですかと訊きたくなるような、巨大な門と終わりが見えない長い塀。
門扉という名の鉄柵の向こうには、広大な庭園が広がり、遠く木々の合間に小さく幾つもの建物が覗く。
昔、写真で見た外国の貴族の領地みたいな光景は、写真かテレビか、ゲームの中だけにしか存在しないと思ってた。
異国だ。
異世界だ。
異次元だ。
リアルRPGワールドだ。
年季の入った風合いの煉瓦塀を境に、片や西洋風の貴族庭園、片や葉擦れの音だけが聞こえる山野が広がっているなんて、丸きりゲームの世界じゃん。
バスという一般的交通手段が使えなかった為、タクシーで登ってきた山道を振り返る。
そこは人の気配なんてどこにもない、舗装以外は手付かずに見える緑の世界で、きっと歩いたら敵キャラとエンカウントするんだな、なんて思った。
「……やめよ」
自分の想像に怖くなって、腕を擦る。
でっかい門扉の隣に掲げられた、これまたでっかい黒御影のプレートは、間違いなくここが目的地だと教えていた。
私立明芳学園
中高等部
金象嵌された堂々とした文字は、世に名高い名門私立進学校──で、間違いない。
「何目指してんの、この学校」
これが、爺ちゃんの会社が経営する学校とは、ちょっと、あんまり、信じたくなかった。
「紅太、ごめん…!」
事の起こりは1年と数ヶ月前。中3に上がる前の正月だった。
「いや、あの、りっちゃん…」
母さんの弟である理一さんが年始の挨拶に来てくれた、と思ったら、いきなり土下座するもんだから、俺は腰を浮かしかけた姿勢で動けなくなってしまった。
人生で初めて、それも尊敬する叔父から土下座されて、他にどういう反応が出来るだろう。
おろおろと居間を見渡し、向かいに座る両親に助けを求めたけど、父さんも母さんもにこにこと眺めているだけで、このヘンテコな状況を説明してくれそうになかった。
理一さんは額を床に付けたまま、ひたすら「ごめん」を繰り返す。
「……りっちゃん……理一さん。お願いだから、顔、上げて」
手を添えて、何とか顔を上げて貰う。美人の叔父は、今年三十になるとは、とてもとても思えない、学生みたいな童顔を更に情けなく歪めて、泣きそうになっていた。
「取り敢えず、ソファに座ろうよ。ごめんはもう良いから」
「…………うん。ごめん」
口癖みたいに謝る叔父に溜息をひとつ。
「あのさ、何で謝られてるのか、俺さっぱりなんだけど。どしたの?」
「え、姉さんから聞いてない?」
また謝られるかと思ったけど、理一さんは素っ頓狂な声を上げた。
「……母さん?」
「え、……やだ、お母さん言ってなかったかしら」
「紅子さん、僕は聞いたよ」
未だに二十代で通用してしまう母親は、頬に片手を添えて可愛らしく首を傾げた。その横で穏やかに深く笑むのは父親だ。
いつでも仲の良い両親の姿は、子供の目から見ても微笑ましいんだけど。
「俺、何にも聞いてない」
一向に見えない話に、溜息しか出てこなかった。おっとりとした二人に合わせていては埒が明かない。
俺はもう一度だけ溜息を吐いて、理一さんに向き直った。
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