唐紅に
4
新歓期間中、ホテルは学園の貸切だった。
もう春の大型連休に入った人もいるだろう時期だというのに、まったく贅沢な話である。
丁寧に出迎えてくれる従業員の皆様に恐縮しつつロビーを抜ける。
自分で自分の荷物を運ぶことに不満を零す生徒がいた、なんて、きっと気の所為だ。ポーター? 何それ。魔法少年の親戚?
慣れないのか、荷物に運ばれているような生徒がいる一方で、手ぶらの、身軽な生徒もいた。
彼らは決まって見栄えが良く、近くに複数の荷物を抱えた生徒がいた。中には小柄な人が蹌踉きながら一生懸命運んでいる姿もある。
遠目からだとパシられてるみたいだけど、あれは本人が希望してるんだろうなぁ。花を撒き散らしてるし。
生温い気持ちで、肩に掛けた荷物を抱え直した。
宿泊する部屋は、三人ないし四人にひとつ与えられる。
俺の中で学校行事の宿泊先といえば、旅館という印象が強い。定員オーバーじゃない? という人数で、足場がないくらいいっぱいに布団を敷き詰めて、皆で雑魚寝。壁際をキープしないと圧死の不安が過ぎる。そんな就寝光景。
ホテルで、ベッドで、極少人数で。夜中に誰かの脚が腹に降ってくる心配もないお泊り行事って──そんな馬鹿な。
たとえ二人部屋にエクストラベッドを入れた三人部屋だとしても、豪勢だなぁと感心してしまう。
「狭い!」
ところがお坊ちゃまには、この贅沢さが解らないらしい。
部屋に入るなり一喝した御子柴先輩は「これだから学校行事は」云々ぼやいていた。
ぷりぷり怒りながら、それでもちゃっかり窓側のベッドを占拠するのだから、失笑を禁じ得ないのだけれど。
俺は四人部屋に当たった。
同室者は2年の嵜(サキ)先輩と3年の御子柴先輩、それから安芸先輩。
他はどうだか知らないけど、うちの班の部屋割りは班長の采配だった。
面倒臭いことになりそうだから。そんな理由で話し合いの形を取らなかったらしい。
話し合いで決めていたら、確かに面倒臭いことになっていたと思う。滝上さんとか、滝上さんとか。不満の声もあったけど、俺には優しい選択だ。
「先輩、使いますか?」
制服のままベッドに転がる御子柴先輩にハンガーを差し出す。一拍を置いて、彼は脱いだブレザーを俺に突き出した。
「掛けといて」
あとは見向きもせず冊子を眺める姿には、不思議と厭味も倣岸さもない。人を使い慣れている人、なのだと思う。
そういえば御子柴先輩の荷物は、逞しいお兄さんが恭しく運んでいた。
もしかして、お家には使用人とか執事とか、そういう人たちがいたりするのかな。うわ、訊いてみたい。
「あんまり下手に出ると、下僕にされるよ」
クローゼットに上着を掛ける俺に並んで、ボストンバッグを置いた嵜先輩がそっと囁いた。
「お姫様は、我が儘が許される生き物だから」
思ったよりも近い距離に顔があって、一歩、退く。
嵜先輩はそんな態度に、低く喉を鳴らした。
逆光で色を濃くした瞳が、横目に俺を捉える。
「……え、と…」
「春色君の目の色、綺麗だね。……美味しそう」
舌なめずりしそうな声音だった。
反射的に、もう一歩、大きく離れる。ぶわわっと鳥肌が浮いた。
え?
え、何?今の。
「御子柴先輩、時間までどうします?」
先輩はもう踵を返し、ベッドに転がる御子柴先輩にこれからの予定を確認していた。
落ち着いた、どちらかといえば普通寄りの容姿をした嵜先輩の思わぬ色気に、俺はしばらく動けなかった。
我に返った頃には、二人は話し終わっていた。嵜先輩も御子柴先輩と同じく適当なベッドに転がっているのかと思ったけど、彼はベランダで景色を眺めていた。
空いている3つのベッドの何れにも、嵜先輩の私物は置かれていなかった。
ああ、うん。そうだよね。
俺も荷物から文庫本を取り出して、テーブルセットに移る。
日差しが射し込むそこは、明るくて暖かくて、快適に本を読めそうだ。
栞を挟んでいた箇所を開く。数ページずつで終わるエッセイ。どの話も食べ物の描写が美味しそうで、唾が湧く。
焼きたてのコッペパンに、お肉屋さんで買った揚げたてアツアツのメンチカツを挟んで、即席のメンチカツサンド。これだけでも惹かれるのに、外で食べるってのが、また。
御子柴先輩がこちらを見ている事に気付いたけど、俺の意識はすぐに本に集中した。
場所を決めるのは、安芸先輩が来てからが、良い。
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