1 時-とき-
どこにいても、必ず聞こえる
澄んだ歌声が、心を満たすだろう
溢れ出す想いのように…
欠けた物を補いあう
「…っ…先生! 先生! 逸れてしまったか。」
師と旅をしている途中、気がついたら神秘的な森の中で彷徨っていた。
木々が青々と蔽い茂り、荒ぶる精神を鎮めるかのような清涼な気が満ちている。
「このような場所は、初めて見たな。」
足を止めて、ぐるりと辺りに視線を廻らせる。不思議と、不安はなく心が落ち着いていた。
九郎は目の前に佇む、長年を生き抜いてきたであろう大木へと歩み寄り、そっと片手を木に添え。
まるで、己と共に脈をうっているかのような錯覚を起こす。
髪色と同じ橙色の瞳を瞼で隠し、自然の音に耳を傾ける。
不意に、木々が風で揺れる音と共に、歌声が耳朶を柔らかく刺激してきた。
どこからか聞こえてくる歌声に、目を瞑らせたまま暫し聞き入り。
優しい旋律を聴きながらも好奇心が芽生え、視界を明るくする。
俄かに、九郎は目を瞠った。
開けている視界の先に、女性に見紛うほど美貌を持っている人が、一人で佇んでいたのだ。
それに加え、声なき声で歌を口ずさんでいる。
「っ…あ…」
言葉が咽喉の奥で引っ掛かり、口唇をただ閉口させるだけ。
動作・思考が一切封じられ、地に縫いつけられたように一瞬たりとも動かせなかった。
揺らいだのは、自身の鼓動。
痛いくらいにドクドクと脈打ち、呼吸の乱れを体感する。
一体、いつまでそうしていたのだろうか。
ようやく身じろげるようになったのは、謎の歌人が空気に紛れて姿を消した後。いや、消えたように見えたのだ。
ほぅっ、っと長い溜息を肺から吐き出す。木に引っ付いたままの手を無理矢理引き剥がして、数回ほど深呼吸をする。
頭は未だ霞みがかっている。
「…何、だったんだ? まるで、女性のようではあったが…」
生唾を飲み込み、掠れた声で呟く。
幻みたいだった光景に、九郎の思考回路は止まったまま。
辺りには自然の静けさが戻り、背後でカサッと草を踏む音が聞こえ振り返ると、己の師の姿を確認した。
師の目許には、苦笑に似た皺が寄っている。
「九郎、ここにいたのか。」
「先生! すみません、先生の姿を見逃してしまって…」
師・リズヴァーンの肩には、掌に乗りそうなくらい小さな守護聖・白龍が乗っていた。
お気に入りの九郎を見つけると、身軽に九郎の肩へと飛び移り、頬へ体を擦り寄らせてキュゥと可愛らしく鳴いた。
「構わん。白龍と私がこうして見つけたのだからな。さぁ、今日中に宿を決めてしまおう。」
「はい、先生。」
甘えてくる白龍の頭を撫で、翻して歩き出したリズヴァーンの後ろを追いかけ。
今夜泊まる宿を探すために道を進みながら、先ほど見た光景がずっと頭から離れなかった。
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