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天使と悪魔の事情
tale.5 believe in companion 1

 天界には広大な自然が穏やかに存在し、その世界の中心には天使たちの暮らす宮殿のような【アンジェロ・カーザ】と呼ばれる11階立の館がある。その館の最上階と主神の住まう神殿はつながっており、そのつなぎの役目を担う部屋こそ謁見の間である。
 館にある個人個人の部屋は階級順に階が分けられており、上級天使ほど神殿に近くなる上階にある。
 中級から下級天使たちは、役目から天界と地上世界を行き来し出入りが激しいので館にいることは少なく、逆に上級天使たちは主神を守護する役目からほとんど館からは出ない。
 しかし、此度の戦では中級天使以下だけならず、上級天使たちも出撃したため、その間このアンジェロ・カーザには主神を守護する天使以外いなかったという状態だった。
 身も心も傷ついた天使たちは、それぞれにあてられた館内の部屋にて休息の眠りについている。

 やがて長い長い眠りから早くに目を覚ましたのは、回復力の高い上級天使たちだった。



仲間を信じる



 カンカンと床を蹴るブーツの音が廊下に響き渡っていた。
 駆けているのは、空色の制服に身を包んだ小柄な少女――智天使ケルビエル。
 レースリボンのついた髪留めで束ねた空色の髪がさらさらと揺れ、走っていることで落ちそうになる眼鏡の位置を時々直しながら、彼女は館の最上階を目指して急いでいた。



* * *



 ケルビエルは先の戦いでは軍師の一人を努めていて、肉体的疲労よりも精神的疲労の方が強かった。だから回復は他の同僚などより早かったわけで、目覚めた彼女は上司であるセラフィエルからの報告を聴いていた。

 ――ルシファー及びその部下数十名の別離。

「る、ルシファーちゃんが……? セラフィムちゃん、本当なの?」
 驚いて困惑の表情を浮かべ再確認するケルビエルに、黄緑掛かった白髪の青年――セラフィエル自身は、動揺すら読み取れない薄桃色の瞳のまま淡々と頷いた。
「……ああ。先に目覚めていたアブディエルが言っていた。立ち合ったとも。奴は止めなかったようだ」
 ルシファーの有能な部下のひとりで信頼も厚かったが、皆が彼についていく中、アブディエルは主神とともにあることを選んだようだ。今しばらくは、彼も離別していくのではないかという疑念がまとわりつくかもしれないが、忠義に厚い彼であるから、いずれその疑いの眼差しはなくなるだろう。
「そうなの……ミカエルちゃんは?」
 喧嘩腰ではあるけれど、リーダーとしてルシファーを認めていたミカエル。離別、と聞いて正義感の強い彼は、ルシファーの行動に怒りだしてすぐにも追い掛けていってしまうかもしれない。
 心配そうに聞いてきたそれに、セラフィエルは首を振る。
「ミカエルはまだ眠りから覚めていない。あれだけ前線で戦っていたんだ。体力の消耗は激しいだろう」
 めったに地上世界に降り立たない上級天使とはいえ、今回の悪魔軍との全面衝突においては彼らも出陣せざるをえなかったわけだが、彼らよりも始めから前線に出て戦っていたのは、敬天使以下下級天使たちだ。消耗した体力も大きければ回復も時間もかかる。
 特にミカエルはルシファーとともに常に指揮をとりながらいたのだ。速くに退陣したとはいえ、疲労は濃く眠りは深い。
 そう、といくらかほっとしたようにケルビエルは息を吐くと、離別していったルシファーに思いを馳せた。
 他人をからかうことの多い彼だったが、その実仲間は大事にする人だった。今回の戦のことで色々と思うところがあったのだろう。自分の意志はなかなか曲げない性格だから、恐らく主神への報告のときに、自分の主張との意見の食い違いがあったのかもしれない。
「ルシファーちゃん……許せなかったのね…」
 同胞でしかも同僚だったサマエルの裏切り。魔物すら従えた彼は天界との全面戦争を起こした。元同胞であるにも関わらず、戦わなければ殺される。身体にも心にも傷を負った。
 そこまでの事に及ぼされ、彼自身も負の感情をつのらせた。怒り、憎しみ、悲しみ…失われていく大切なもの。
「サマエルちゃんがまさか“サタン(魔王)”となるなんて……信じられなかったでしゅ…」
「おとなしくて控えめな奴だったからな……独り塞ぎ込んでしまった故なのか…」
 今はもうサタンと呼ばれる魔物の王――金目黒髪のサマエルという熾天使は、口数が少なくおとなしい印象が強いが、その身に課せられた使命は重かった。【死の天使】とも呼ばれたように、人間に死を告知するか魂を刈り取る役目を担っていたのだ。熾天使にありながらその役職に就いていた彼は、敬天使のように天界と地上世界とを行き来していた珍しい天使であった。
 そのサマエルにどのような心情の変化があったのか、今となっては計り知ることはできない。忌まれることもある不吉なその役柄ゆえ、誰にも言えない、相談することのできないことが多かったのだろうか。
 憶測ばかりしていても仕方がないとケルビエルはため息を吐くと、
「集会を開くまで、ルシファーちゃんたちのことは、他の中級天使以下の天使たちには言わないほうがいいでしょう…でも敬天使の彼らには伝えておくべきでしゅね」
 と、今後のことについて思案する。
 噂などで余計な混乱が広がらないよう、先に敬天使たちのように、天使全体をまとまる立場の者たちに事情を伝えて、それから天使全員での集会を開いて事情説明をしなければならない。
 それにはまず、今だ眠りにつく彼らや他の上級天使を無理矢理にでも起こす必要があった。
「ケルはミカエルちゃんとガブリエルちゃんを起こして伝えるでしゅ。セラフィムちゃんは【大地の祠】で休んでるラファエルちゃんとウリエルちゃんに伝えてください」
 体力よりも魔力をひどく消耗した、後方部隊で全体の援護にまわっていたウリエルや、負傷者の手当てにまわっていたラファエルらは、アンジェロ・カーザから少し離れた場所にある、神聖な癒しの気で満ちた【大地の祠】という特別な祠で休息している。
 セラフィエルがミカエルの方へいくと気質の違いから少々ややこしいことになるため、ケルビエルが行くことにした。彼女自身にもミカエルと話したいことがあったので、セラフィエルにはラファエルたちの方へ行ってもらうことにする。
「病み上がりのミカエルちゃんには申し訳ないでしゅけど、天使たちをまとめるリーダーになれるのは、ミカエルちゃんしかいないから」
 まだ疲れもとれていないだろうが、士気をあげ統率する力でも立場においてもミカエルが一番相応しい。
 そのケルビエルの意見にセラフィエルは首を傾げた。
「メタトロンではないのか?」
 実質的にはミカエルが立場上権限は上にあるが、階級そのものは特殊な地位にいるメタトロンの方が上位とされている。
「メタトロンちゃんは辞退するでしょうね。サマエルちゃんやルシファーちゃんのことを考えると、メタトロンちゃんでは風当たりが強くなってしまいそうだから…」
 サマエルもルシファーも、世界が混沌としている根本的な原因に「人間が悪い」としている。高位の天使2人がそう言っていることもあり、元々人間であり天使の中で一番若いメタトロンでは荷が勝ちすぎてしまう。
 それもそうだなとセラフィエルは納得した。階級でいえば自分たちの方が上位なのだが、あくまでも自分たちの役目はこの館に常時し主を守護することにある。天と地を繋ぐ懸け橋役である彼らの方が、先頭に立つリーダーとして合っている。
「実質ナンバー2がか。ミカエルは納得するのか?」
 ルシファーがいなくなったから、という身代わりのような理由でなることに、あの負けず嫌いは自分に与えられる役目に不満が出るのでは、とセラフィエルは思った。しかし、ケルビエルはくすっと微笑んで「そんなことはない」と言う。
「内心は納得しないでしょうけど、でも責任感の強い人よ。きっと率いてくれるはずでしゅ」
 何だかんだと言われても、彼は真面目でしっかりした人物であり、信頼のおける天使なのだ。重圧に負けないだけの芯の強い心の持ち主。力強く天使たちを率いてくれる。
 ケルビエルの自信のこもった言葉と笑みに、セラフィエルもわずかに口角をあげながら頷いた。
「わかった。では私は祠へと行ってくる。他に何かわからないことがあったら、アブディエルら先に目覚めている者たちに訊ねるといい」
 踵をかえし、伝えてくるために退室していった。
 パタン、と扉が閉まり、ひとり部屋に残されたケルビエルは、大きく息を吸ってベッドに仰向けに倒れこむ。

 何も、ルシファーやサマエルの言い分はわからないでもないのだ。
 しかし、自分たちは神話の中で生きている。
 地上世界―――信仰世界を失ってしまえば、自分はおろかこの世界そのものが何処かへと消え去ってしまうだろう。
「神と天使、悪魔……人間…描き語られる物語は幾重にある、けど…」
 上級天使ですら触れることのできない、異神話の記録書。
 この世界とはまた違った意味合いで成り立つ【聖書】の世界。あるいは神々の世界。
 その中身……歴史と過去を知ることができるなら、このような悲しみや憎しみは生まれないのだろうか。

 そこまで考えて、これではいけないと嘆息し、自分の知的好奇心に釘をさすと、すっと起き上がって身なりを整える。
「落ち込んでる場合じゃないでしゅねっ」
 不安なことは尽きないが、ひとつひとつ解決していくしかない。
 対策を思案するのは己の役目。ならば今はそのために動くだけだ。
「みんな起きちゃう前に、知らせないとでしゅね」
 そう言うと、ケルビエルは部屋を出て、館の上階にいる敬天使たちの住まう部屋まで駆けていった。





▼中書きと補足
 天使たちは普段翼を出してはいません(自分の意志で顕現させる。ちなみに羽根の種類は様々)。館内では緊急事態以外での翼での飛行は禁止されています。
 ケルビエル(だけではない)がセラフィエルを「セラフィム」と呼んでいるのは、セラフィエルに「その名は主神の他に特別な者にしか呼ばせない」という変なこだわりがあるため。

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