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天使と悪魔の事情
tale.2 救済を。…神様。‐前‐

 空は暗く空気は暗鬱と淀み、あたりには戦で疲れ果てた息遣いと腐食した鉄錆の匂いが漂っていた。



去りゆくは至高の光



 地上で繰り広げられた天使と悪魔の戦い―――後に【地上聖魔戦】と呼ばれるこの戦では、敵味方多くの血と涙が流れ、嘆きがこだまし、冷たい金属音と鈍く嫌な音が響き続けた。
 仲間であったはずの元天使と刄を交えることは、むしろ天使の方が精神的なダメージが受けた。それでも、彼らは命をかけて悪魔に向かっていく。

 天使も悪魔も、散って散って、羽根となり舞い上がる。
 舞い上がるは魂の欠片。
 欠片は残される者たちに力を与える。
 その力さえ使い果たせば、天秤はつりあい、ただただ疲れ果てていくだけ。

 両陣営が疲弊も絶頂に達したころ、お互いがもはや戦うことを避けるようになった。
 常に前線に立ち剣を奮い続けた選天使および敬天使でさえも、その体力も気力も限界にきており、その表情にも余裕がない。
「…はあ、はあ、く……っそおお…!」
 ミカエルはをぎりと奥歯を噛み締めて、碧色の瞳が悔しそうに歪められ、こぶしを震わせた。息も荒く、連戦でその身はぼろぼろだった。
 その傷だらけの身体でこれ以上戦うことは危険であったが、犠牲になった仲間の姿が頭の中を掠め、意地にでも剣を携え向かおうとすると、
「ミカエル、貴方は少し下がりなさい」
 ミカエルの背後で、別隊を率いていたパイモンが、ミカエルの腕をつかんで後ろへと引いた。
 ミカエルはその碧でアイスブルーをギッと睨みつける。
「なんでだ!? ここを追い詰めれば奴らだって…っ!」
 確かに相手側の負傷や損傷は大きい。今ミカエルほどの力の持ち主が向かっていけば、この戦いにほぼ決着がつくかもしれない。しかし、パイモンは腕を掴んだまま静かに見つめ制すだけだった。ミカエルはその諌めるような視線が耐えられなく、腕を力づくで振り払うと、その手を剣の柄を握る。
「……止めますの、ミカエル」
 なおも剣を振りかざして敵陣に飛び込んでいきそうな彼を制したのは、少女―――ガブリエル。波打つ樹木のような優しい髪は今は戦いのせいで乱れ、いつも無表情な蒼い瞳は疲れた光を宿していた。
 ガブリエルは敵陣営と味方陣営を交互に見渡していう。
「ルシファーでさえ相討ちに終わった相手ですの。今負傷してるのは向こうだけではありませんの。唯一癒しの力をもつ天使ラファエルも潰すつもりですの?」
「っ!」
 天使の中で明確に癒しの力を与えられているのは敬天使の一人ラファエルのみである。治療班にまわっている彼だが、相次ぐ戦いのせいで連日その力を開放しているため、疲労困憊の状態である。これ以上の味方の負傷は、彼を倒れさせかねない。
 パイモンはミカエルの姿を見てさらに言う。
「それに、貴方自身もひどい怪我ではありませんか。安心なさい、この陣営は我々に任せて、貴方も早々に傷を癒してきなさい。偉大なる敬天使と言えど、もとは大天使の身体…治癒能力はどうしたって上級天使よりも時間がかかります」
「そうやわミカエルはん、ここはうちらに任しとき!」
 同じく別隊を率いていたバティンが、普段と変わらない人懐っこい笑顔でガッツポーズを見せる。
 二人は中級天使であったが、指揮をとっていた方であるのでまだ体力が残っていた。自分達のリーダーであるルシファーの負傷と、それに次ぐミカエルの具合を聞いてかけつけたのだった。
 その二人の表情を見たミカエルは、ようやく己の状態が悪いことを受け入れ、ラファエルのいる治療班へと下がっていく。
「……ここまでやったのに。引き分け、か…」
 パイモンとバティンの背後で、泥と血に塗れぼろぼろになった衣装のルシファーが、同僚のセラフィエルに肩を預けたままぼそりとつぶやく。紅茶色の髪はうなだれ、希望を与えてきた金色の瞳は覇気がない。
「ルシファー…?」
 自尊心高い彼からこうも弱々しい呟きがもれるとは思っていなかったパイモンは、声を逃さないように少し歩み寄って耳を傾ける。
「悔しいな…僕が、本当なら、ミカエルを、諫めるべき、なのに…そんな、気力さえ、ないなんて」
 ルシファーは息も絶え絶えに苦笑して、先日戦った相手の姿を脳裏に浮かべる。
 魔物に堕ち以前とはまったく違う、闇に浮かぶ卑下た光と笑み。いくら切り刻んでも溢れるのは暗黒の靄。
「サマエル…【神の毒】か……よく言ったものだよ。耐性ある僕達でさえ相討ちが精々。メタトロンも善戦したようだけど、彼はもとが人間なだけに体力がないみたいでさ」
 彼の闇に触れた者はその毒に冒された。位が低く、人間の身体に近い下級天使たちはサマエルの動きにそもそもついていけない。中級天使たちはそれなりの動きができても毒に耐性がない。上級天使や本来の姿が異形のものである選天使でさえ、その毒にやられていくのだ。天使の中でも、魔力だけならミカエル以上とも言われるメタトロンだが、生命力・回復力に関しては下級天使よりも劣るためサマエルに適わなかった。
 その誰よりも力をもつルシファー。自他ともに認める能力を有する天使。光の化身でもある彼は唯一サマエルと同等以上に戦える存在だった。二人の衝突はこの戦いを左右するもの―――しかし。互いが互いを傷つけ、長き交戦の末力を使い果たした。互いに命を落としかねないまでに消耗し、それぞれが見兼ねた仲間に引きずられ退却するしかなかった。
「さあ、貴方もそろそろ下がりなさいなルシファー」
 ミカエル同様に負けず嫌いの一面をもつ彼も今後のためを想い、休息を促す。
 ここまでルシファーとミカエルが踏張ったのだ。今度は自分たちが気力使い果たすまで耐えぬく番。それは、多くの同胞を失った天使たちの意地と弔い合戦だった。
 ルシファーは腹心二人と、従う仲間たちを金色で見つめ、恐らく最後の戦いをすることになる彼らに、わずかに憂いを交えた真剣な顔を向ける。
「……防衛だけにするんだ。深追いはするんじゃないよ。あと―――もうこれ以上の犠牲は出すな」
 そう指示を下すルシファーにくすりと笑ったパイモンは、
「誰に物言ってるんです」
 と不敵な眼差しを彼に返し、バティンは、
「ほんまですわ。ルシファー様はえらい気はりましたやろ。少しはうちらにいいとこくれはりますか?」
 と、どこまでも明るいターコイズブルーを細めてぐっと親指をたてる。
 力強いその言葉と背中に、安心感と脱力感を覚え、信頼しているよと微笑しながら背を向けてルシファーは陣をあとにした。
「ああ…頼んだよ、パイモン、バティン」

 その後、天使と悪魔は交戦することなく、どちらともなく退陣していった。
 そして、天使は天界へと帰還し、悪魔は地上世界の裏に築いた魔界へと身を潜めた。
 この戦いで、天使と悪事は決定的に敵同士となり、これより後いたちごっこのように衝突を繰り返すことになる。
 ただ、両者はこのときと同じような大きな争いにすることは二度となかった―――…

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