先憂後楽ブルース
一緒に、
昼間じりじりと地を照らしていた太陽も沈んだ頃、クロエによって外に連れ出された俺は半強制的にバイクにのせられ空中を飛行していた。夜中とはいえむっとくる気温だが、風があるためそれほど暑くはない。めったにない地上の建造物には必ずと言っていいほど照明が取り付けてあり、まるでイルミネーションだった。いくつものライトが建物をかたどるように設置されていて、とても綺麗だ。最初はクロエに愚痴るのも忘れて見入っていたが、これはおそらく夜に乗り物が飛行する時、建物にぶつからないようにするための工夫だろう。現にクロエのバイクも、夜行塗料でも塗ってあるのか暗闇の中で光っている。たまにすれ違う乗り物も同様だ。
ここまで来ると、俺にもクロエがどこに行こうとしているのか、おおよその見当はつく。クロエの腰に手を回していた俺は彼に聞こえるように出来るだけ首をのばし、叫んだ。
「あのなクロエ、俺タワーでも言ったけど祭りに行く気はないからな! 無理やり連れてきたって駄目だぞ!」
ヘルメットのせいでクロエの顔は少しも見えず、俺の声がちゃんと耳に届いたかどうか自信がなかったが、その瞬間バイクを急に加速させたので多分聞こえたのだろう。クロエの荒っぽい運転は本当に怖い。
「なあ、聞いてんなら返事しろよ!」
応えようとしないクロエに向かって再び大声を出した瞬間、ぐんとバイクが減速を始めた。慌てて前方に取り付けてある高度計(俺の知るバイクにそんなものはないはずだが、クロエのにはあった)を確かめると、どうやら下降しているらしい。
「もうすぐ着く。ギャーギャーわめくな」
あれだけうるさかったエンジン音はもう聞こえない。クロエが慣れた様子で小さなボタンをいくつも押していく。俺は原付免許を持っていないのでよくわからないが、きっと俺のいた世界のバイクはこんな高性能マシンではないはずだ。免許をとるのがすごく大変そう。
「降りるぞ、しっかりつかまってろ」
突然、前方を照らしていたライトが斜め下を向いた。ビビる俺の目の前に妙な形をした建造物が現れる。どうやらここに着地するらしい。なんだ、祭りに行くんじゃなかったのか。
「う、わっ」
ドスっ、というタイヤがコンクリートにぶつかる音がして、俺の体が衝撃で揺れた。その後耳をつんざかんばかりのブレーキ音が聞こえ、今度はクロエごと前のめりになる。少々デンジャラスだったが着地は成功したようだ。
「リーヤ、ここは広くないからゆっくりおりろ。落ちるなよ」
広くない、と言われて自分がいる場所を確認する。確かに想像よりずっとせまかった。何かの建物の上であることは間違いないが、屋上ではない。ここの面積はざっと見積もって四畳半。クロエもよくこんな所に着地出来たものだ。
手すりもなにもない場所で俺は慎重に足をつき、またがっていたバイクからおりてヘルメットをはずした。万が一ここから落ちたりすれば生きてはいられないだろう。
「つーかなんなんだよ、ここ。家とかビル…とは違うよな。形が意味不明だもん」
エンジンをきったクロエは自分もバイクからおり、黒いヘルメットを手際良くはずすと俺に背を向けながらゆっくり腰を下ろした。
「これはずっと前、王女サマが生まれた記念につくられたモニュメントだ。だから意味不明で当たり前。もともと意味なんかねえんだから」
ガンガンと踵でその建造物を蹴るクロエの返答に、俺の顔は真っ青になった。
「え、ちょ、俺達そんな大事なとこに登っちゃっていいのか!? 逮捕されたりしない?」
「んー…平気だろ。よくここでカマとチキンレースしたぐらいだしな」
「へ、へぇ…」
これまた短い距離でやったものだ。俺ならアクセルを踏むのさえためらわれる。
「っていうかクロエ、何でこんなとこに来たんだよ。一体何を──」
そこまでクロエの背中にまくしたてた時、気づいた。タワーでのダヴィットの言葉を思い出したのだ。
「花火か! そうだろ?」
「…何だ、知ってんのかよ」
がっくりきたようなクロエの声。俺はちょっとだけ、知らなきゃよかった、もしくは気づかなければ良かったなあと後悔した。
「花火なら、別にいいだろ」
ぶっきらぼうなクロエの口調に思わず笑みがこぼれる。彼が俺の意志を尊重してくれたことが嬉しかったのだ。
クロエとの会話がとぎれた俺に、ガヤガヤと騒がしい音が聞こえた。一体何だろうと振り向きクロエが座る場所とは反対側の景色を覗き込む。そこには、ぼんやりとした露店の光が集まっていた。人混みと、賑やかな人の声。おそらくあれが夏夜祭だ。1年に1度の伝統行事というだけあって、規模が大きい。きっと、すごく盛大な祭りなんだろうな。
「おい、もうすぐ始まるぞ」
クロエに呼びかけられた俺は小走りで彼のもとへ駆け寄り、隣に腰をおろした。この記念建造物は、高所が大好きな俺でも命綱か何かが欲しくなるような高さを誇っている。油断は禁物だ。
「お前、花火とかそういうの好きだろ」
唐突に、クロエがそう呟いた。彼の端正な横顔が俺の目に映る。
「どうして、俺が花火好きだって知ってるの?」
不思議に思い、そう尋ねた俺を見てクロエは眉を顰めた。
「嫌いな奴はいない」
ああ、なんだそういうことか。てっきり俺は、──てっきり俺は……何だろ。
「他には何が好きだ」
「他? ええと、そうだな……化石とか?」
クロエの質問に答えながらも俺はどこか上の空だった。彼の言葉の裏を勘ぐってしまう自分がいる。深く考えすぎてしまうのだ。
「じゃあ、クロエは何が好き?」
気を紛らわせようとしてした質問だったが、クロエは腕を組み眉間に皺をよせて真剣に考え込んでしまった。そんなに難しい質問だったのだろうか。
「俺は…」
クロエが何か答えようとした時、タイミングを見計らったように邪魔が入った。ヒュルルルという音の後、大きな炸裂音と同時に光が空から地面に飛び散ったのだ。それに驚く間もなく次から次へと色とりどりの光の花が夜空に咲く。
「うわあ…」
そのあまりの豪華さとスケールの大きさに、目を奪われた。打ち上げ花火など今まで何度となく見たが、こんなに美しいものは経験がない。俺は立ち上がって青や赤い色をした満開の花に手をのばす。もう少しでその鮮やかな光に届きそうだ。
「きれー…」
感動で、それしか口に出来なかった。ただ立ち尽くすばかりの俺には、ドンっという爆発音さえ心地良い。真っ黒な空が丸い光で埋め尽くされて、写真におさめたくなるほどの絶景だ。
「リーヤ」
くいっと裾を引かれ、幻想から現実の世界へと一気に引き戻された。クロエの真剣な眼差しが俺を見上げる。俺は膝をついて、クロエのその綺麗な瞳を覗き込んだ。今の彼の瞳は花火の影響か七色に輝いている。
「俺、お前にちゃんと話さなきゃならないことがある」
クロエのいつになく真面目な言い方に内心緊張しながらも、俺は平静を装って膝をついた。
「…なに?」
クロエにぎゅっと両腕を強く掴まれた。彼が伝えたいというなら俺は聞く義務がある。でも本当は──
「俺、お前のこと…!」
「……っ」
知りたいようで、知りたくはない。もしハリエットの言うことが現実になれば、俺とクロエの関係は今まで通りとはいかなくなるだろう。俺は大切なものを、失ってしまう。
「───舎弟だなんて、思ってないからな!」
「………………はい?」
おおよそ見当違いのことを言われ、俺の頭の中は真っ白になった。ぽかんとする俺を気にもせず、クロエは熱弁を振う。
「…カマに言われた。俺に友達がいないのは、俺が誰でも見下して対等に扱おうとしてないからだって。そのままじゃ、いつかリーヤにも嫌われるって、…アイツ、そう言ったんだ」
ぐっ、とさらに腕を強く握りしめられた。俺にはまだ、何のことかよくわからない。確かに俺は舎弟扱いを受けていたが、そんなのクロエが本気で言っているなんて思ったことはない。もといた場所に戻るため、一度別れを告げたあの日から。
「それ聞いたら、なんか不安になったんだよ。…前にも言ったけどさ、もう一度言わなきゃいけねえって思って。…リーヤ、俺は……っ」
『言わなきゃならない』とかいいつつ、とっても言いにくそうだ。クロエの手が俺の腕から頬に移動する。確かタワーでも、これと同じことをされた。
クロエの顔が、呼吸を感じられるほどに近づいてくる。あたりを暗闇で包まれた俺は、彼に何をされているのかわからなかった。けれどその瞬間、特大の花火が打ち上げられ俺達はその目映い光に照らし出された。クロエは俺の頬を抱き寄せながら、額に口づけしていたのだ。
言葉をなくした俺から、ゆっくりと離れていくクロエ。その表情からは彼の満足している様子が窺える。そんな彼を見て、俺はやっと気がついた。
そうか、クロエは、ただ──
わかってしまえば後はもう気が抜けていくばかり。それどころか、この空気には似つかわしくないものまで腹の中から溢れ出してきた。
「…ぶっ、はは、あははっ」
突然笑い出す俺を見て、クロエは唖然としていた。当然だ。彼にしてみれば自分の真剣な気持ちを笑われたようなものなのだから。
「なんだよテメェ! 人がせっかく…っ、何で笑ってんだよ!」
「…や、ごめん。ははっ…クロエのこと、笑ってるんじゃ…あはははっ」
笑いなど、1度ツボに入ってしまえば簡単には止まらない。腹がよじれそうだ。だってこんなに面白いこと、今まで経験したことがないのだから。
やっと笑いの発作が落ち着いてきた頃、俺はむすっとしてしまったクロエに思いっ切り飛びついた。
「ぅわっ、なん…!?」
「ありがとう、クロエ」
ぎゅうぎゅうと彼を強い力で抱きしめる。俺とクロエは長い間、熱い抱擁を交わし満足したところでようやく俺は彼から離れた。
目の前では、目がくらむような光のショーがまだ続いている。俺はその煌びやかな花火を灯りにして、困惑したクロエの顔を見つめた。
「あのさクロエ、この花火が終わったら、一緒に祭りに行こう」
「え? でもお前が行かないって──」
「いいんだよ、行っても」
クロエは怪訝そうに首をひねるばかりだったが、俺はかまわず彼の手を握り微笑んだ。
「だって、夏夜祭に友達と行っちゃいけないって決まり、ないんだろ?」
「………お、おおっ」
頷くクロエの嬉しそうな表情に俺はまた微笑ましくなり、彼の手をつないだまま空を見上げた。意地っ張りで人を寄せ付けないクロエが、素直にこんなにも俺に対して好意を示してくれたことが嬉しい。この時間が出来るだけ長く続けばいい。いま俺はとても、幸せな気分だった。
第2話 完
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