先憂後楽ブルース
大きなお世話
「待って、ハリエット!」
「ついてこないで!」
廊下を早足で突き進む彼女の姿を見つけ、俺は大声で呼び止めた。そして大慌てで止まろうとしないハリエットの腕をぎゅっとつかみ、引っ張った。
「いや、放して!」
「ハリエット」
強い眼差しと口調で彼女の名を呼び、俺に注意を向けさせる。
「聞いて、俺の話」
ハリエットはまだ俺を睨みつける。けれど俺が真剣だと察したのか諦めたように大人しくなった。
「クロエと俺、ほんとに何もないんだ。ただの友達。クロエの奴、夏夜祭の意味わかってないんだよ。アイツそういうことにほんと、うといから」
腕を組んだハリエットは怖い顔をしながら黙って俺の話を聞いている。俺は必死で話し続けた。
「クロエはさ、他の人とちょっと違うんだ。信じられないかもしれないけど、アイツ誰かと付き合うとか、そういうことがわからないんだよ。頭はよくても恋愛方面に関しては小学生以下の知識しか持ってない…んだと思う。だからハリエットにひどいこと言ったって自覚がないんだ」
「…………本当に、そうかしら」
俺の話を真面目に聞いてくれていたハリエットが、ぼそっと意味深なことをつぶやいた。
「確かだよ。クロエ本人がそう言ったんだから」
「……」
暗い表情でなにやら考え込むハリエット。彼女の素直に受け入れられない気持ちもよくわかる。せっかく思いを伝えたのに、恋した相手がそれをわかってくれていなかったら、そりゃあ落ち込むだろう。
「でもやっぱり、クロエは私よりあなたのことが好きなんだと思うわ」
「ああ。でもそれは友達として──」
「いいえ、そうじゃないの」
え? と聞き返す俺にハリエットは一度形のいい唇をぎゅっと結んでから、再び口を開いた。
「そうじゃないのよ、カキノーチ。私がこれからいくらクロエと親しくなったとしても、私はあなたには絶対かなわない」
「……どうしてそんなことわかるんだよ」
俺のとがめるような言葉にハリエットは小さく微笑んだ。その表情は寂しげだった。
「私、人を見る目はあるのよ。知らなかった? カキノーチ」
呆然とする俺に彼女は一言、言い放つ。
「クロエはあなたを、特別視してる」
ハリエットはそう力強く断言するが、俺は納得出来なかった。
特別視、って。特別好き、ってことだよな。それは友情の範囲内で? それとも──
「それに夏夜祭の意味を知らない人なんて、いないわ」
「え?」
ここは、“同性”というものが障害にならない世界だ。そこが俺がいた場所とは大きく異なるところであり、だからこそ俺と周りとの間でズレが生じている。現にもしクロエが女だったなら、きっと俺だってクロエの行動に対する考え方は変わっていたはずだ。俺の中ではそれが常識だから。でも、それはここでは、
「私はあなたに、このままの状態でいてほしくない。殿下とクロエ、どちらかとステディな関係になってほしいの。たとえそれがクロエでも私は恨まないから」
「ス、ステディ?」
「自分の気持ちをはっきりさせてってこと。どっちつかずは良くないわ」
「……」
簡単に返事なんて出来なかった。ダヴィットはともかくクロエの確かな気持ちもわからないのに、そんなこと決められるわけがない。というよりそもそも、俺に男と付き合おうなんて意志はない。けどそんなこと口にしようものなら、ハリエットは俺のこと気持ちもないのに2人の男を手玉に取る最低野郎だと思ってしまうだろう。
「カキノーチが答えを出すまで殿下にはこのこと、黙っててあげる。出来るだけ早くはっきりさせることね。──私はこれで失礼させてもらうわ、カキノーチ。あんまり長く待たせると堪忍袋の緒が切れちゃうかもよ」
「待って、ハリエット…」
「し、つ、れ、い」
別れの言葉を一語ずつはっきりと発音して、彼女は問答無用で去っていた。残された言葉が頭の中でぐるぐる渦巻いて、俺はハリエットの後ろ姿をただ見ていることしか出来なかった。
仕方なく、やつれた顔でもといた部屋に戻った俺にクロエの出迎えが待っていた。ハリエットがいた椅子に座って足を組み、紅茶をすすっている。のん気なものだ。
「何だったんだ、今のは」
さっきまでの上機嫌が嘘のように、ふてくされた声を出すクロエ。どうやら今のいざこざは彼の機嫌を損ねるに値する出来事だったらしい。
「別に。ただクロエの無知のおかげで、良好だった関係が一気に崩れたってだけだよ」
ハリエットとは、うまくいくんじゃないかと思ってた。俺に敬語ばかり使うこのタワーの人達と違って、友達になれるかもしれないと期待していたのに。すべて台無しだ。
「それ、どういう意味だ?」
「クロエには言ったってわかんない」
「いいから言えよ!」
立ち上がって俺の元まできたクロエは、鬼の形相で睨んできた。待て、ひるむな俺。こんなのフィースに比べたら全然怖くなんかないじゃないか。
「だって、そうだろ。俺がせっかく2人の仲を取り持とうとしたのに、クロエのせいで全部ダメになった! ハリエットに勘違いさせて、傷つけて、もうやり直せない…!」
クロエの怒鳴り声に驚いた反動で、つい大声を出してしまう。けれどクロエは俺を見て眉をしかめただけだ。
「何言ってんだ、お前」
とぼけたような、あるいは責めるような声が、耳に響く。
「俺がいつ、ハリエットとの仲を取り持ってくれて頼んだよ。俺がいつ、アイツと仲良くしたいって言ったよ。全部お前が勝手にやったことだろ。それなのに、何で俺のせいになるんだ?」
お前の言ってること全然わかんねえ、とクロエは呆れたように呟いた。
「人のせいにするのも大概にしろ。そういうのを、好意の押し売りっつーんだ。全部テメェの自己満でしかねえ。こっちにしてみれば、ただのありがた迷惑だっての」
「……っ」
冷たい言葉にも俺は言い返したりしなかった。言い返すことが出来なかった。
たとえ初対面同然でも、ハリエットのような綺麗な子に好かれれば男なら誰でも嬉しいはずだ。俺はそう思ってしたことだったが、クロエは違ったみたいだ。だからといって彼を詰るのは間違っている。
「確かに、俺が勝手にしたことでクロエを責めるのはおかしいよな。今のはただの八つ当たりだ。それはごめん。……でもなクロエ、普通は女の子からあんなシチュエーションで言われた“好き”の意味ぐらいわかるだろ! まさか知らないなんて夢にも思わないじゃんか!」
「………好きの意味、って何」
「……」
コイツ、本当に頭いいんだろうか。それともこれも異世界では普通のことなのか? 俺のいた世界じゃ幼稚園児でも知ってるぞ。
「だから好きっていうのは、……抱きしめたいとか、キスしたいとか。そういう好きだよ」
この年になって何を教えてるんだ俺は。自分で言ってて恥ずかしい。
「ふーん…」
クロエはやっぱりよくわからないのか、腕を組み真剣な顔をして考えこんでいた。まさかとは思うが赤ちゃんはどうやって生まれるの? なんて馬鹿なこと訊いてこないだろうな。
「リーヤ」
クロエが難しい顔をしながら近づいてくるので、思わず身構えてしまう。そして何だかよくわからないうちに頬を両手ではさまれた。
「ちょっと、なにすっ…」
俺が抵抗しようとしたせいか頬をさらに強くはさまれ、口がタコのようになってしまう。そしてクロエの綺麗な金の瞳がゆっくりと迫ってきて、俺の体は動くことが出来なくなってしまった。
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