先憂後楽ブルース
海の牛
「ノイがすぐに飲み物持ってきてくれる。メールに気づかなかったら、遅れるかもだけど」
「うん、ありがとう」
メールを打ち終えたフィースは携帯を机の上に置き向かいの長椅子に腰をおろす。その時彼の座高を見て、想像よりさらに足が長いことに気がついた。
「それにしても、すっごい量のプレゼントだな。こんなのなかなか目に出来ないぞ」
改めて部屋を埋め尽くすリボンがかかった箱を見渡す。結構広い部屋のはずなのに立っていられるスペースがあまりない。
「みんな俺の欲しいものばかりくれるんだ。ほんと、感謝してもしつくせない」
フィースが山積みになった贈り物を見上げながら、嬉しそうにそういった。だがそれもつかの間、彼の顔に陰りが見えた。
「……去年、サマーは花束と一緒にジャイロ・コンパスをくれたんだ。俺が空で迷わないようにって。俺、めちゃくちゃ嬉しかった」
その時のことを思い出したのか、フィースの目はちょっと潤んでいる。俺はうまい慰めの言葉が見つからなかった。
「悪い、リーヤ。こんな暗い話聞かせて。もう終わったことなのに、いつまでもぐだくだ気にしてたら駄目だよな」
「いや、それは全然」
むしろ俺は何とかフィースの力になりたいと思っていた。もし俺が恋愛経験豊富なら色々アドバイス出来たのかもしれないが、残念なことに俺は彼女いない歴17年。何かを教えてあげられる立場じゃない。
「フィース、もし話して楽になるんだったら愚痴ぐらいこぼしてくれていいからな。俺、なんでも聞くし」
「リーヤ……」
それでも何か出来ないかと、俺はフィースにそう提案した。話を聞くぐらいしか、俺には出来そうもないが。
「…サマーには、いきなり別れを切り出されたんだ」
しばらく黙り込んだ後、フィースはゆっくりと語りかけるように話してくれた。
「何の前触れもなくて、いきなり『本当に好きな人が出来たから』って、電話で」
「………それは、ひどいな」
そんな女、別れて正確だ! と豪語したかったが、未練たらたらなフィースにそんなこと言えるはずもなく、俺はただ険しい表情を作っていた。
「いや、俺も悪かったんだ。すごく忙しくて全然サマーと会えなかった。嫌いになるのは当然だ」
「そんなことないよ、フィース」
俺は身を乗り出してフィースの顔を真っ正面から見る。もちろん恐怖なんて感じない。
「サマーは、フィースの魅力に気づけなかったんだ。俺が彼女だったら絶対フィースを選ぶね」
下手かもしれないが、俺なりに彼を励ましてみた。でもこれは本心だ。フィースは確かに見た目は恐いが、中身はとてもおおらかで優しい。海の生き物に例えるなら、サメではなくジュゴンとか絶対その辺だ。
「ありがとなリーヤ。世辞でも嬉しいよ」
「世辞じゃないって。俺、フィースのこと好きだよ。例えばその笑顔とか」
フィースの普通の顔は直視出来ないほど怖いのに、彼が笑顔になると途端に癒される。ある意味尊敬だ。
「フィースはいつもにこにこ笑ってる。今日会ったばっかだけど、よくわかるよ」
ジーンと同列で、世界一笑顔の似合う男といっても過言ではない。なんかだんだん彼の怒ってる顔が想像出来なくなってきた。
「ああ、これは昔ジーンに言われたんだ」
「ジーン?」
よく知った名前が出てきて首を傾げる俺に、フィースは、そう、と頷いた。
「俺って昔っからこんな見た目でさ、みんな怖がって誰も近寄ってこなかった。背も人一倍高かったし、顔もとてもガキとは言いがたかったし」
フィースははえていない髭をさするように顔にふれていた。そのたびに腕につけている時計がキラキラと揺れる。
「ジーンは俺の初めての友達で、唯一俺を恐がらないで話しかけてくれた奴なんだ。それで俺に『フィースは普段からよく笑うようにしたらいいよ』ってアドバイスしてくれた」
フィースは優しげな笑みを見せながら遠い思い出に浸っていた。ジーンのことを考えているんだろうか。
「最初は頑張って笑うようにしてたんだけどさ、そうやってるうちにこの顔がすっかり板に付いちまって、ジーンの言うとおり友達も増えた」
「へぇ…」
これはまた、ずいぶんと心温まるエピソードだ。フィースの笑顔にそんな理由があったとは。
「あ、ちなみにこの顔の傷は生まれつきじゃねえぞ? 結構最近のものだ」
「それはわかってるよ」
生まれたときから顔にそんな傷がついてる奴なんていないだろう。
「目尻の傷は中学んときクマと対峙して出来たもんで、頬の傷は寝込みを襲われたときのだ」
「…クマ?」
意外と理由が恐かった。フィースのことだから、階段から転んだとか電動ドリルの制御がきかなくなったとか、そういうちょっと抜けてる理由かと思ってたのに。
「クラスで行った登山でな、偶然クマと鉢合わせしたんだよ。マジで恐かったけど、たまたま俺の拳がクマの眼球にヒットして難を逃れたってわけ」
その日だけ俺はヒーローだった、と愉快そうに言うフィースを見て、俺も思わず笑みをこぼしてしまう。中学生に撃退されクマもさぞかしビビったことだろう。
「…あれ」
机に置かれたフィースの黒いシンプルな携帯。俺はそれがピカピカ光っていることに気がついた。
「フィース、携帯光ってるよ。電話じゃないか?」
さっきあれだけチームメイトにかけていたんだ。1人ぐらいかけ直してきてもおかしくない。
「いや、黄色いランプはメールだ。後でまとめて見るよ」
フィースはそう否定したが、言葉にちょっとだけ違和感を感じた。けれど俺はそれを深くは考えなかった。
「つうかさ…なんかここ寒くないか?」
シャツ1枚で異世界トリップしてしまった俺は、この冷房ガンガンききまくりの部屋に鳥肌がたっていた。思わず身震いしてしまう。
「そんなに寒いか? リーヤ細いもんなぁ」
太ったのではないかと心配していた俺に、嬉しいことを言ってくれる。ただ筋肉が落ちていることはいなめない。
ちょっと落ち込んだ俺の目の前で、フィースが突然着ていた海賊服を脱ぎだした。
「…!」
フィースは、クロエのように上着の下に何も着ていなかった。彼のその肉体美といったら、思わず言葉をなくしてしまうほど見惚れるものだった。芸術品のような綺麗な逆三角形だ。腹筋も割れてるし、どうやったらそんな筋肉がつくんだろう。
「とりあえずこれ着とけ。冷却コートだけどスイッチ切ってるから……リーヤ?」
俺の隣に座ったフィースが俺の肩に海賊服をかける。彼がすぐ目の前にきて、俺の心臓はなぜか馬鹿みたいに高鳴った。
「な、なんでもない! ありがとう」
あなたの裸体に見とれてました、なんて間違っても言えない。だいたい男が男に見とれるなんて絶対変だ。どうしちゃったんだろ、俺。
「…リーヤ、実は俺、今ちょっと悩んでるんだ」
唐突に、フィースはそう俺にいってきた。半裸のままの彼は腰を浮かして椅子に深く座り直す。
「悩みって、どんな?」
どうやらフィースは、悩みを人に話して解消や解決をするタイプらしい。俺は彼の話に耳を傾けた。
「ついこの間、親戚の結婚式があったんだけど…」
誰にも聞かれる心配なんてないのに声を落とすフィース。眉がハの字に曲がっている。真剣に悩んでいるようだ。
「それで親父がえらく感動しちゃったらしくって、お前も18になったら絶対結婚しろ! って言われたんだ」
そこまでいってからフィースは考え深げに口を閉じた。…待てよ。18になったらってことは、今日じゃないか。
「親父はもうかなりの年でさ、孫の顔見たがってるんだよ。俺としてもその願いは叶えてやりたいんだけど…」
ああ、なるほど。フィースは親父さんに結婚しろと迫られていたが、肝心の彼女に誕生日前日フラれてしまったわけか。
「それは…大変だな。………フィース? 大丈夫か?」
顔を大きな手で覆い、フィースは深くため息をつく。彼の輝いていたオーラがあっという間に黒ずんでいく気がした。
「平気だ。振られるのには慣れてる。もうこれで13回目だ」
「13!?」
これまた、なんて不吉な数字なんだ。っていうか13回って。本気で好きになったら即告白、の俺ですら2回しか振られたことないのに。まあ2回しか告白したことがないんだが。どうやらフィースはかなりの行動派らしい。
「理由は大抵これだ。『私、バカは嫌』……毎回ぐっとくる」
「フィース…」
またしても、いいアドバイスもアイディアもだせない俺。
フィースのために何かしてやりたいのに自分の力不足で何も出来ない。このままじゃ自己嫌悪に陥りそうだ。
「リーヤ、俺、どうしたらいいんだろうな…」
困ったことにフィースは鬱に入ろうとしている。ポジティブがウリの男だったのに、すごい豹変ぶりだ。それもまあ、仕方のないことだとは思うが。
「元気出して、フィース」
俺の中で、1つ決着がついた。俺に出来ることは、彼を励ますことだけだ。それしかない。
「俺なんて、今まで誰かと付き合ったこともないし、寂しいもんだぞ? 好きな相手は全員弟にとられるしな」
気になるあの子といい感じになったときもあったが、結局なんだかんだでその子はいつの間にか弟と付き合っていた。俺達はまったく似てない兄弟だが、女性の好みだけは似てしまったようだ。
「女はサマーだけじゃないんだからさ! もっと気楽に気楽に」
その瞬間、フィースの携帯電話が俺の視界に入った。まだ光っている。もしかして相手は急用なんじゃないだろうか。いや、それなら普通電話をかけてくるか。
「─そうだよな、すぐ落ち込むのは悪いことだよな」
うなだれていたフィースが悟りをひらいたかのように顔をあげた。ちょっと元気を取り戻してきたか?
「よし! これからはマイナス思考を捨てて、もっと自分に自信を持つことにする!」
「そうそう、その意気。フィースはいい男なんだからさ!」
ちなみに、これはもちろん本心だ。女の子の間ではどうか知らないが、男にとって恐いとかっこいいは紙一重だ。強くて皆に恐れられる存在に、男なら誰しも憧れる。それにフィースの顔をまじまじ見ると、結構端正な顔立ちをしていた。顔の傷でわかりづらいが間近だとよくわかる。鼻筋も通っていて目つきも凛々しい。男前だ。
「リーヤ…」
フィースは俺を見ながら感激に近い声をもらした。彼の顔を見つめていた俺は名前を呼ばれて我に返る。そしてその瞬間、たくましい腕をしたフィースに訳も分からず包み込まれていた。
「な…!」
強面船長さんに抱きしめられているとわかった時から、俺の心臓は全速力で走った後のように激しく脈打っていた。絶対、変だ。男に抱かれてドキドキするなんて。ダヴィットに抱きしめられてもこんな風にはならない。
「リーヤは優しいな、ジーンみたいだ」
「………」
重低音だが、優しい声でささやかれて、頬に熱が集まっていくのがすぐにわかった。きっと今、自分の顔は真っ赤に違いない。
ああ、これはきっとアレだ。大好きなジーンに似てるって言われて照れてるんだ。それ以外に説明出来ない。男が男にときめく理由なんて、ない。
俺は今の自分の状態を認めたくなくて、フィースの肩に顔をうずめた。顔の熱が早く冷めてくれること、それしか頭になかった。
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