先憂後楽ブルース
城の住人
ダヴィットはそう言うが、説得といったってどうすればいいのか俺にはわからない。ただお願いすればいいのだろうか。何かコツでもあるなら知りたいもんだ。
「ダヴィット、今ってハリエットさんのところに向かってるんだよな?」
ずんずんと迷うことなく歩いていく王子らしくない王子に、俺は不安げにきいてみた。けれどダヴィットはこちらに向き直り首を振った。
「いや、ハリエットはいま多忙で、なかなかつかまらない。彼女には必ず暇をつくらせるから、リーヤにはそれまで用意した部屋で待っていてほしい」
「あ、うん。わかった、ありがと」
つまり俺達はその部屋に向かってるってことだな。少しだが心の余裕が出来た。どうやって説得するか考える時間があるということだ。
「…どうやら、足止めをくいそうだぞ」
ダヴィットの言葉に前方を見ると、俺達の行く手に男性が1人立っていた。まるで俺達を待っていたみたいに。
「クリス、お前も暇だな」
ダヴィットが声をかけるとその男性はうやうやしくお辞儀した。男の年齢はおそらく40いくかいかないか。スラッとした体型の物腰柔らかな人だ。
「申し訳ありません殿下、ご挨拶をしてもよろしいでしょうか」
上品な笑顔を見せるクリスという男。俺は彼の名前に聞き覚えがあった。確か、以前ダーリンさんと国王陛下の口から出ていた名前だ。
「この方が例の…」
クリスさんが俺を見ながらそんなことを言った。どういう意味かはわからない。例のアウトサイダーなのか、それとも例のダヴィットの結婚相手か。
「ああ、彼がアウトサイダーのリーヤ・垣ノ内だ」
どうやら幸運なことに前者の意味だったようだ。ダヴィットが紹介してくれたので、俺は彼に頭を下げた。年配の人に挨拶することは慣れているのであまり緊張はしない。こんなに格好いいおじさん相手は初めてだが。
「リーヤ、この男が侵入探知スペシャリストのクリス──」
「ああこれはまた、お可愛らしい!」
ダヴィットの紹介が終わる前にクリスさんは俺の手を取り、その場にひざまずいた。
「貴方のような素敵な方に出会えた私の、なんと幸運なことでしょう…!」
芝居がかった口調のクリスさんにそのまま手の甲にキスされ、俺は驚きのあまりビクッと体がはねた。
「おいクリス! 貴様私のリーヤにそれ以上さわるな!」
ダヴィットがクリスさんの手をはねのけ俺の手首を握る。俺はただただあっけにとられていた。
「さすがは殿下のお心を射止めたお方、なんともいえぬ可憐さがあります。貴方の口から、名前をお聞かせ願えますか?」
「………」
こんなにべた褒めされたのは初めてだ。ただ、可愛いと言われてもダヴィットの時のような違和感はない。クリスさんが父親と同じくらいの年だからだろうか。
「俺はリーヤ・垣ノ内といいます。初めまして」
クリスさんの手はその容姿に似合わず傷だらけで、近くで見ると体もがっしりとしていた。
「素敵な名前ですね。リーヤ様、と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
「それはもちろん。様なんてつけなくていいんですよ」
「しかし、礼儀ですので」
クリスさんはにっこりと笑い目尻に皺をよせる。俺の倍は人生経験豊富だろうに、敬語を使われるとむずがゆい。ここのタワーにいる人はどうして俺に敬語を使いたがるんだろう。
「噂には聞いておりましたが、ここまで魅力的なお方だとは。殿下ととてもお似合いです」
ずっと不機嫌だったダヴィットの表情が、その一言で一変した。ダヴィットにも笑顔を向けたクリスさんは俺の手をそっと放して、ゆっくり立ち上がった。
「…背、高いんですね」
気づけば俺はそうつぶやいていた。肩幅があるせいか、彼はかなり大きく見える。クリスさんを上から下までながめる俺を見てダヴィットが鼻をならした。
「クリスは元軍人だ。まず体つきが違う」
そう言われてみるとガタイがいいだけではない気がする。人の体をじろじろと見る俺はかなり失礼だっただろうが、クリスさんは嫌な顔1つせず俺に笑顔を向けた。なぜかはわからないが、その笑顔には見覚えがある気がした。
「すみません。リーヤ様には言わせておきながら、まだ私は自己紹介していませんでしたね。私の名はクリス・ハウセント──」
「クリス!」
彼の自己紹介は、第三者の突進によって邪魔された。
「クリスあそんで!」
「クリスってば!」
急に現れた2人の子供がクリスさんを取り囲み、彼の茶色い髪の毛を引っ張ったりしている。1人は目も髪も真っ黒、もう1人はどちらも白という対照的な2人だった。
「こらステフ、やめなさい」
クリスさんが、肩に登ろうとしていた白い髪の男の子を捕まえ地面におろす。いくら子供とはいえ10歳くらいの男の子を軽々と抱えるなんて、さすがは元軍人。かなり力がある人だ。
「お子さん、ですか?」
俺が尋ねるとクリスさんは笑いながら否定した。
「まさか、違いますよ! この2人は同僚です」
「同僚?」
意味がわからない俺の前に、2人の子供が近づいてきた。よく見ると2人はとても似ている。どうやら双子のようだ。
「アウトサイダーだよ、ステフ!」
「すごい、本物だねステラ」
並ぶとオセロみたいに見える2人は、俺のことをささやきあっている。声をかけるべきかどうか迷っていたとき、ダヴィットが俺の肩をつかみ後退させた。
「リーヤ、この2人は特殊分析班に属する科学開発研究部のステフとステラ。白いのがステフ、黒いのがステラだ」
どうして子供がそんな仕事をしているのかわからないが、俺はとりあえず仲良くなろうと一歩近づいた。けれどなぜかすぐダヴィットに引き戻されてしまう。
「なにすんだよ、ダヴィット」
「迂闊に近づくな、解剖されるぞ」
「か、解剖!?」
びっくりしながらも俺がその双子に目を向けると、2人は愛くるしい瞳を向けながら笑っていた。とても解剖なんて恐ろしいことはしそうにない。
「ダヴィット、何言ってんだよ。変な冗談やめろ」
「冗談ではない」
きっぱり言い切ったダヴィットが威嚇するような視線を向けると、双子はクスクスと笑い出した。
「ねぇ、ダヴィット。それ、ステラにくれる?」
「ちがうよステラ! ダヴィットはステフにくれるんだよ」
「ええい、どっちにもやらんわ! リーヤは絶対お前達などにはわたさん!」
ダヴィットの怒鳴り声をきいて、ステラの言った“それ”が俺のことだと気がついた。一気に血の気が引いた。
「いいか貴様ら、金輪際私の許可なくリーヤに近づくな! 実験台なんかにしたら許さないぞ!」
「わー! ダヴィットが怒ったあ!」
「怖〜い!」
きゃっきゃとはしゃぎながら逃げるように走っていくステフとステラ。その姿はただの可愛い子供だ。
「くそっ…クリス! とっとと奴らをつかまえろ! また城を半壊されてはかなわん」
「了解しました」
俺達にお辞儀をしたクリスさんは、きびきびとした動きで双子を追いかける。それをなぜか、ダヴィットがいきなり呼び止めた。
「ちょっと待て」
「……なんでしょう」
クリスさんはダヴィットの言葉に足を止め、振り返った。
「後で話がある。私の部屋に来い」
「わかりました」
人良さそうな笑みを浮かべ、クリスさんは足早に立ち去っていく。その姿を見てダヴィットがため息をついた。嵐が過ぎ去ったことにほっとしているようだ。
「クリスさんに話って何?」
少し気になった俺がダヴィットに尋ねると、彼は遠い目になった。
「私は、クリスがエクトル・ターナーの侵入を見逃しているのではないかと、疑ってる」
「え、何で!?」
急に突飛なことを言い出すダヴィット。俺は怪訝に眉を顰めた。
「なんでクリスさんがエクトルをかばうんだよ。彼は他人だろ」
「…まあな」
頭をかきながら歩き出したダヴィットの後を、俺は慌てて追いかけた。
「クリスさん、俺は好きだけどな」
少なくとも、俺にはいい人そうに見えた。けれどダヴィットは俺の言葉に怒りの表情を浮かべる。
「リーヤ、クリスはやめとけ! あいつは女と見れば誰でも甘い言葉をかけて、ところかまわずほめまくるんだ。あれはもう奴のクセ! 病気だ!」
「…俺、女じゃないんですけど」
だいたいそんなつもりで言ったんじゃない。ダヴィットと話してるとたまに意志の疎通が難しくなる。
「俺が言いたいのはな、ダヴィット。個人的な恨みでクリスさんを逮捕したりしないだろうなってことだよ」
「するわけないだろう。だいたいターナーのことは私が許しを出した。クリスをとがめることはできん。ただ、確認したいだけだ」
「…ならいいけど」
どうも今日のダヴィットはイライラしているような気がする。いきなり意味のわからない要求を突きつけてきたり、見るからに善人そうな人を疑ってみたり。まあ原因がエクトルだというのは明白だが。
「それよりもリーヤ、あの双子には気をつけてくれ。奴らに背中を見せるな。間違っても食い物をもらうな」
「そんな大げさな、まだ子供じゃん。つうか何で子供がこんなとこで働いてんの」
科学開発研究部、だったっけか。たかだか10歳ほどの子供に一体なにをさせてるんだか。
「だいたいあの2人いくつだよ。やたら小さい大人、ってわけじゃないだろ」
俺の質問にダヴィットは肩をすくめた。
「さあな、年は知らん。ただ私が物心ついたときから、まったく成長してない」
「嘘!?」
そんなの絶対おかしいだろ。むしろそこを研究するべきなのでは。
俺はあの無邪気な双子の顔を思い浮かべ、急に寒気を感じた。
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