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先憂後楽ブルース
003


父の書斎に通じる扉を開くと、そこはやけに明るかった。人のいる気配がする。やっぱり、アイツはここにいるんだ。

書斎に入ってすぐ、大きな木製のテーブルが目についた。父のお気に入りだ。そこには数冊の医学書と、起動したままのパソコンが放置されている。
でも、アイツはいない。

しかし一歩一歩、慎重に絨毯を踏みしめ足を進めると、探すまでもなく奴はそこにいた。けして居心地がいいとは言えないソファーの上で、四肢を伸ばし寝息をたてて眠っている。彼の左手には薄めの本、右腕は目を覆い隠すために使われていた。
こんな明るい場所で眠るなんて、よほど疲れていたんだろう。コイツが父の病を治すために東奔西走していることは知ってる。でも、最近無茶ばかりしすぎだ。

俺は彼を起こさないようそっと近づき、左手に握られた本をそっと奪い取った。そしてその本を床に置き、彼の手首を掴んだ。今まで必死に忘れようとしていた邪な感情が、次々と溢れだしてくる。伝わるはずもないのに、彼の手を優しく握りしめ額にあてた。


俺はずっと、ずっと昔からお前を愛しく思っていた。家族愛なんて甘っちょろいものじゃない。お前を1人の男として愛している。お前に触れたい、お前にキスしたい、お前を俺の手で汚して、俺だけのものにしたい。もう頭がおかしくなるほど、俺の中にはお前のことしかないんだ。

こんな思想、自分でも危険だとわかってる。だから俺は必死でお前から離れようとした。お前をここに居づらくさせ、お前をここから追い出した。それなのに、どうしてお前は俺の前で無防備に寝ているんだ。

ああ、このまま彼にキスしたらどうなるだろう。何かが変わるだろうか。口づけを落とした時、もし彼が目を覚ましたら──
そんなこと、考えたくもない。


俺は彼をつなぎ止めていた手を離し、そのまま体へと這わせた。この腕、この首、この唇。全部俺の自由に出来たらいいのに。

俺はもう、お前の愛なんていらない。お前が欲しい。心はなくともお前さえ手に入れば──
俺の異常な感情は、そこまで歪みきっていた。

けれど、もう少しでたががはずれる、という瞬間、彼の瞼が震えと両目がゆっくりと開いた。まだ寝ぼけているのか焦点が定まっていない。俺は慌てて彼から離れた。

まともに顔を突き合わせるのは、おおよそ一週間ぶりだ。一週間前だって、姿をちらりと見たぐらいなのに、いったいどんな顔をして会えっていうんだ。今まで俺は数え切れないほどたくさん、コイツに酷いことを言ってきた。合わせる顔も、交わせる言葉もない。それはきっとコイツだって同じはず。

けれど動揺している俺の存在に気づいた彼は、薄く開いた瞼で数回まばたきした後、小さく口を開いた。


「……リーザ?」


名を呼ばれて、はっとした。

どうしてなんだ。そうじゃない、そうじゃないだろ。何でそんな平気な顔して俺を呼ぶんだ。今まで散々、お前を傷つけてきた男が目の前にいるんだぞ。ここは普通、嫌いな弟の姿を見て嫌悪に顔をしかめるところだろう。聞くのも嫌なはずの名前を、簡単に口にするんじゃない。

「俺、寝ちゃったのか…」

彼は目をしばたたかせながら体を起こし、立ち上がって伸びをする。呆然と立ち尽くした俺は、ただただ久しい彼の姿を見ていた。

俺はお前を、言葉では表せないぐらい愛してる。きっと俺が生まれたその時から、俺はお前しか見てない。運命だと思ってた。男同士で、ましてや兄弟なんていう壁なんて関係ないほど、強い運命で繋がれた相手だと。
でも悲しいことにそう思っていたのは、俺だけだった。

「リーザ、どうした? 顔色悪いよ」

彼の手が俺の頭にのばされ、体がびくんと震える。自分自身への警鐘だ。

「さわるな!」

のばされた手を乱暴に叩き、睨んでやる。悲しそうな顔をする彼を見て、これでいいんだ、と自分に言い聞かせた。

「…ごめん」

謝られてもあくまで無視を通す。だけどつらそうな顔を見ていられなくて、逃げるように視線をそらした。
やっぱりここに来るべきじゃなかったんだ。会いたい、なんて欲、出したのが間違い。早く自分の部屋に戻ろう。

俺は大きいテーブルの上にあった本を数冊つかみ、大きな声で彼にこう言った。

「何でそんな必死になってる。どうせお前には、何も出来ないのに」

その瞬間、彼の目が大きく開かれたのを俺は見逃さなかった。これに懲りて、もう治療法を探すのをやめてくれればいいけど。あんなことしたって無駄だ。医者でも科学者でもない一般人が、どうにか出来る問題じゃない。

本を再び机の上に置いた俺はそのまま彼に背を向け、薄暗い廊下へと向かった。パタンと静かにドアを閉じ、また1つ増えた苦しい思い出にうなだれる。

もし俺達が男同士じゃなかったら、兄弟じゃなかったら、なんのしがらみもなくアイツに気持ちを伝えられたのに。父さんにバレたら、きっともう彼には会えなくなる。

許されない恋、けして受け入れられはしない恋なのだ。


頼むからもう俺の前に現れないでくれ。お前を見るたび、俺の心はかき乱される。お前をどこかに閉じ込めて、俺の意のままにしたくなる。世界中でお前を愛せるのは俺だけなんだと思いこませ、俺のことしか考えられないようにしてやりたくなる。

だからこのまま、アイツには俺に嫌われていると思わせよう。


そしてお前も、俺を嫌いになればいい。


第1.5話 完

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