先憂後楽ブルース 鎌をかける威し種 相変わらずのなにもないシンプルな廊下を、俺とダヴィットは2人歩いていた。いや、訂正する。正しくは3人だ。 「医療記録が見たいなら、早くそう言えばいいものを」 ダヴィットは歩きながら長い髪を揺らし俺を見つめた。 「図書館になど行かずとも、この塔にはすべての記録が書物として保管されている。特別に閲覧の許可をやろう」 「あ、ありがと」 これは本当に助かった。もしかして、この城にも手がかりがあるんじゃないかと思って訊いてみたのだが、期待以上だ。 「他ならぬリーヤの頼みだからな。無碍には出来ん」 「ダヴィット…」 それはいいが俺の手をいちいち握るのはやめてくれ。 少しばかり身の危険を感じた俺は、1メートルほど後方にいる助け舟の存在を確認した。 「ジローが気になるのか」 「え」 ダヴィットに核心をつかれ顔がひきつる。 「リーヤ、アイツのことは気にするな。風景、もしくは空気だと思え」 「く、空気…!?」 それはずいぶんとひどい扱いではなかろうか。救世主であるジローさんは、俺達が部屋を出てから一言もしゃべらず常に一定の距離を保って歩く優秀な護衛だった。俺としてはお礼を言いたいのだが、なかなか話しかけるチャンスがない。そしてダヴィットには内緒だが、俺は彼とお近づきになりたかった。どうもジローさんからは、この時代にはなかなかいない常識人の匂いがする。貴重な人材だ。 「それにしても、父親を助けるために治療法を探すなんて、リーヤはなんて健気なんだ」 うっとりした顔のダヴィットに口角をなでられ、俺は慌てて彼から離れた。駄目だ、いくら綺麗でも弟の顔でそんなこと言うな。若干吐き気がする。 「時間があれは国家間の闘争記録も見せてやったのだが。あれには私の勇姿が事細かに記されているぞ」 「そ、それはまたの機会に…」 出来れば戦争の記録なんておがみたくないのだが。 …それにしても、戦だなんて。平和を願う日本人の心はどこへいったんだ。 「っていうかさ、日本の三大原理、ってあるじゃん。戦争放棄、平和主義とかってやつ。あれどうしたの? やっぱりなくなっちゃった?」 戦争おっぱじめてる時点でほぼ100パーセント消えているだろうが、一応気になったので訊いてみた。するとダヴィットは話の内容に似つかわしくない笑顔で答えてくれた。 「三大原理なら我が国にもあるぞ。中身はちと違うが」 「どんなの?」 ダヴィットは胸を張って誇らしそうに口を開いた。 「古い歴史を持つ日本の三大原理は、創造、規律、敬愛だ。人としての正しい在り方を知り、すべての生きとし生ける物を尊び愛する心を持つ。素晴らしいだろう?」 「…あ、ああ」 内心、はあ? と思ったが口には出さなかった。いったい何なんだ、そのまるで校訓のような原理は。いい言葉だとは思うが、ずいぶんアバウトすぎやしないか。 「で、でもその原理じゃあ戦争なんてしちゃ駄目だろ。生きる物を尊んでねえじゃん」 「おいおいリーヤ、だからこそ曖昧な言葉でごまかしているんだろうが」 あ、本音言っちゃった。 「人を愛すればこそ、人を傷つけねばならんときがある。愛する人を守るためには、敵を徹底的に排除せねば。…まあ、二度と戦が始まらないに越したことはないがな」 「そう、だよな…」 ダヴィットが戦争を嫌ってることにちょっと安心。 「会食したとき、陛下…お前のお父さんが国の統合や侵略について話してくれたんだ。そのせいで国の数が減ってるって、だから日本は人種のるつぼ状態なんだって」 俺の言葉にダヴィットは真剣な顔で頷いた。歩くペースは今までとかわらず、ゆっくりだ。 「確かに国の数は急激に減少し、今や47しかない。だから私のような者が日本の王になれるのだ」 私のような者、にこめられたのはおそらく見た目のことだろう。ダヴィットはどう見ても日本人には見えない。 …ってか47って、都道府県かよ。少なすぎやしないか? さっきからツッコミどころの多い時代だ。 「日本の血は薄いが私も心は日本人だ。そのことを忘れてはいけない」 つまり侍魂だな、というダヴィットに思わず笑ってしまった。彼はどう見ても侍なんて柄じゃない。だからこそ微笑ましく感じるのだろうが。 「アウトサイダーの俺ですらクオーターだしなぁ。それを知ったときのお前の父さんの顔、なんだかこっちが悪いことした気になったよ」 その光景を思い出し、また笑ってしまう。 「なあダヴィット、ここにクロエ達、いるんだろ?」 「あ? ああ、今は事情聴取中だ。たぶん、そろそろ終わる頃じゃないか」 俺はダヴィットの肩を掴み、立ち止まらせた。 「頼むダヴィット! みんなに会わせてくれ」 少し離れただけなのに、もう恋しくなってしまった。それに彼らにちゃんと謝りたい。全部俺の責任だ。 「別にかまわんが」 あっさりダヴィットの了解を得て、俺は拍子抜けした。まあ考えてみれば、会えない理由なんてないのだけれど。 「では保管室に連れてこさせよう。その方が手間がはぶけていいだろう」 「ありがとう」 親切なダヴィットはふっと乾いた笑みをもらした。 「リーヤがあのダラー3兄弟のところにいたとはな。正直、驚いた」 その言い方にかすかな含みを感じ、俺は顔をしかめた。 「ダヴィット、クロエ達のこと知ってるの?」 「ああ、奴らにはいつも頭を抱えさせられる」 険しい表情、今までの彼らしくない。 「レジスタンスをする者に喧嘩は付き物というが、クロエは派手にやりすぎだ。それから三男の、エクトル・ターナー! 本当にいまいましい」 俺は一瞬、我が耳を疑った。 「エクトル? なんでそこでエクトルが出てくるわけ?」 俺の疑問にダヴィットは、聞いてくれと言わんばかりに目をむいた。 「ターナーは我らのメインコンピューターをハッキングしてるんだぞ! 国家機密は全部筒抜け。ふせぎたくとも方法がわからん!」 「し、知ってたの?!」 ああ、ダヴィットは考えこむように腕を組む。 「侵入されてると気づくまで半年かかった。さらに侵入者の正体がわかるまでに1ヶ月。あの1ヶ月は本当に悪夢だった。もしも敵国だったらとヒヤヒヤしたものだ…。なぜリーヤが知っているのかは、あえて聞かないことにしよう」 「で、でもだったら何で逮捕しなかったんだよ? 犯罪だよな?」 ダヴィットは、わかってないな、と小さくつぶやいた。 「国の保護プログラムが14のガキに破られたなど、口が裂けても言えん! 逮捕など尚更だ!」 少々口が悪くなったダヴィットは、がなり立てながら早足で歩き出す。イライラを抑えきれないようだ。 「唯一の救いは、奴がほとんどレジスタンス関係のページにしかアクセスしなかったことだ。それでも、レベル3相当の機密情報だが」 慌ててダヴィットを追う俺。廊下には3人分の足音が響いた。 「幽閉は出来んが、ほっとくわけにもいかなかった。悪性レジスタンスに利用されんとも限らんからな。だから我々は常に奴を監視していた。まあ、そのおかげでリーヤが見つかったわけだが」 「え、そうなの?」 ずっと謎だったのだ。レジスタンス中の混乱で見失った容姿も名前もわからない俺を、いったいどうやって見つけたのかと。 「見知らぬ男がダラー家を出入りしていると報告があってな。それがアウトサイダーが来た日と丁度一致したので、調べてみたら、大当たり。それでもかなりの時間がかかったが」 おそらく俺の出生でも調べたんだろう。それで、垣ノ内リーヤはこの世に存在しなかったわけだ。 「とりあえずこれですべてが一件落着だ。ターナーにはさんざん悩まされてきたが、それも今日で終わる」 鋭く目を光らせ狡猾な笑みを浮かべるダヴィットに、俺はなんだか嫌な予感がした。 「今まで本当に大変だった。連れてこようにもエクトルは引きこもり、それらしい口実も作れん。そのうえ何かと上2人の邪魔が入って…、ああ、リーヤには礼を言わねばならんな」 くすっと微笑むダヴィット。王子様の慈愛の笑みじゃない。 「ま、まさかとは思うけど、ダヴィット、エクトルをここに閉じ込める気じゃ…」 「無論、そのつもりだ」 何の躊躇もなく言いのけたダヴィットに、俺は言葉を失った。 「エクトルの父親はなかなかの権力者でな、これまで強くはでられなかった。タワーに連行する理由がなかったんだ。だが一度連れてきてしまえばこっちのもの。親はおろかジーンやクロエにも止められはしない」 目を丸くさせ唖然とする俺に気づかないのか、ダヴィットはペラペラ話し続けた。 「しかし閉じ込める、というのは穏やかな言い方じゃないな。彼には特殊分析班に入ってもらうつもりだ。またとない戦力だぞ」 「そ、それって、ちゃんと毎日、家に帰れんの…?」 「まさか。帰れるのは…お盆か正月ぐらいのものだろう」 た、大変だ…! 「待って、ダヴィット! エクトルにそんなことしないで!」 俺は必死で彼に詰め寄った。 「エクトルはまだ14歳なんだ。そんな歳でタワーに閉じこめるなんて、絶対だめだ!」 「何を言う。本人が何も気づいていない今がチャンスなんだ。第一、家にいたって引きこもっているだけだろう」 「だからこそだよ!」 外の世界を知らないうちに、中にこもるのは良くない。それにエクトルは、兄2人を嫌ってる。このままクロエ達と別れてしまったら、一生溝が埋まることはない。誤解したままで終わってしまうだろう。 「頼むよダヴィット。エクトルはあの家にいた方がいいんだ。ずっととは言わないから、今は…」 もしかしたら、エクトルはここで働きたいと思うかもしれない。でも、それはまだ早いんだ。それは俺が決めることじゃないけど、きっと間違ってない。こんなところで利用される前に、エクトルには楽しい思い出を作ってもらいたい。 「…いいだろう」 「え?」 ダヴィットの了承に俺は先程よりもずっと驚いた。そんな簡単に決められるものなのだろうか。 「ただし、条件がある」 俺が反応する前に壁際に追い詰められ、優しく肩を押し付けられた。 「私と、婚姻の契りを結んでもらう」 「なっ…!」 驚く俺にダヴィットはずる賢い笑みを見せた。 「リーヤが私のものになるというなら、エクトルのことを父上に掛け合ってもいい」 「………っ」 ダヴィットの指が俺の頬から首をなぞる。かなり危機的状況だったが俺はジローさんに目を向けなかった。ここで人に助けを求めちゃいけない。 言葉に詰まった俺を見て、今までの雰囲気が嘘のようにダヴィットは、パッと手を放し楽しそうな顔になった。 「冗談だ、リーヤ。そんな顔するな。結婚は神聖なもの、そこに気持ちがなければ意味はない」 ダヴィットが俺から離れ、安心した俺はほっと息を吐く。良かった、ダヴィットの変貌にちょっとびっくりした。 「エクトル・ターナーのことは、私から父上に頼んでみる。約束は出来ないが、努力はする」 「…ありがとう」 ただし、とダヴィットはさっきまでとはまるで違う優しい顔になった。 「結婚のこと、ちゃんと真剣に考えるって約束してくれ」 「…………わかっ、た」 俺が頷くと、ダヴィットは嬉しそうな、でも少し悲しげな顔になる。この表情を見て、俺はやっとダヴィットが本気だということに気がついた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |