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先憂後楽ブルース
最後の賭けを




「座れ、リーヤ」

俺が部屋に来た時、そこにはテオ以外誰もいなかった。アドニスさんとハーシュさんが二人してドアの前で待機なのは珍しい。やけに真剣な表情の彼は俺に座るように促すと、自分もソファーに身体を沈めた。

「お前、俺の姉と何を話していた?」

「別に……別れの挨拶、みたいなものだよ」

その言葉に顔をしかめるテオだったが、本当のことを言うわけにもいかない。それにある意味では嘘ではないともいえる。あれは確かに別れの挨拶のようなものだ。

「お前達は仲が良いな。人付き合いを嫌うあの人らしくもない」

「仲が良い、ってのはなんかちょっと違う感じがするけど。俺は、なんていうか、フランカ様にとって異質みたいだから」

彼女にとっての俺がいったい何なのか、俺にもわからない。邪魔者なのか、いつか言ってくれたように弟の恩人なのか。考えたって何の意味もないけど、少なくとも俺にとっての彼女はただ綺麗で恐ろしいだけの人ではなかった。

「別れの挨拶、などと言ったが、お前、日本に戻る気なのか」

「そうだけど……」

「俺は許可していない。俺との約束忘れたのか」

テオの、フランカ様とそっくりな瞳が俺を覗き込む。いまだに至近距離で詰め寄られるのには慣れていないが、ここで言い返せなくてはどうしようもない。負けじと俺はテオの目を睨み返した。

「俺は、お前に言ったことを償うために確かに側にいると約束した。でもそれはテオが信頼できる人間が現れるまで、という話だったはずだ。お前を狙っていた犯人は捕まって、アドニスさんも戻ってきた。テオはもう、俺がいなくても大丈夫だろ」

いや、最初から俺なんかいらなかった。一番弱っているときにいたのが俺だったから、テオは勘違いしているだけなのだ。彼を支えてくれる人間はここにたくさんいるのだから。

「お前がここに残る、その代わり俺は日本に手を出さないし、日本の王子を帰してやっただろう。その約束はどうなる?」

「そう、だな。確かに俺はテオとの約束、破ろうとしてる。ごめん。でも俺はもう知ってるんだ。テオは俺が帰っても、日本に戦争しかけたりしないだろう。俺はもうお前がどんな人間か知ってる。ローレンのことだって同じだよ」

俺の言葉にテオは嫌そうな表情を隠しもしなかった。取引をするには俺達はもう互いを知りすぎている。戦争を仕掛ける、なんて馬鹿げた脅しなんてまるで意味がない。俺は、テオがとても優しい人間だということがわかってしまったのだから。

「確かに、お前の言っていることは間違っていない。だがリーヤ、お前はひとつ重大な点を見逃している。俺は日本相手に何か仕掛ける気はないが、かといってお前を帰す気もない。船がなければDBからは出られないことを、お前はわかっているのか? この俺以外の誰がお前に移動手段を提供する? 姉に頼むか、レイチェルに頼むか、どちらもきっとお前の望みは叶えてやれない。俺が渡航を禁止すれば、アウトサイダーの意思など関係なくなる。ここでは、俺に逆らえる者はいないんだからな」

「……」

俺としてはフランカ様に協力してもらうつもりだったが、彼女がどこまでしてくれるのか、できるのかわからない。もしかするといくら俺を追い出したがっているからといって、大好きな弟の意に反してまで俺を助けてはくれないのではないだろうか。いくらアウトサイダーに自由の権利があるとはいえ、こんな大国の王様相手にそんなものは通用しないのかもしれない。俺をここに閉じ込めたところでいくらでも言い訳のしようがある気がする。そもそも、俺が自由を奪われていることを、いったい誰に訴えればいいんだ。ここの人間がDBに不利益になるようなことをするとは思えないし、かといって日本に助けを求めれば最悪の事態になる可能性もある。できればテオを説得して、穏便にここを去りたい。

「お前にとって信頼できる人が現れるまで、って言ったよな。アドニスさんは戻ってきたんだから、約束は果たされたはずだ。頼むよ、テオ。俺はお前と仲違いしたまま日本には帰りたくない。お前には笑顔で俺を見送って欲しいんだ」

「……その言い方だとまるで、俺を出し抜いてここを出る方法がある様に聞こえるが。リーヤ、どうなんだ」

「………」

察しのいいテオに思わず視線をさまよわせてしまう。確かに、俺にはここから出ていく策があった。でもそれはなるべく使いたくはない。テオとの関係が崩れるのは確実だし、俺自身にも相当の覚悟が必要だ。

「なるべく、使いたくないけど。あるにはある。でも、どうしても俺をここから出さないっていうなら、その俺は最終手段を取らざるを得ない」

「ならその方法を言ってみろよ、リーヤ。言わないなら、単なる脅しとして聞き流すだけだ。俺を説得できず、お前はここから絶対に出られない」

その真剣な眼差しに、彼が本気なのだと嫌でも思い知らされる。テオは、俺を何がなんでもここに置いておくつもりでいる。でも、それじゃ困るんだ。ここに閉じ込められたら、俺はもう二度と大切な人達に会うことができない。

「……テオが俺を帰さないって言うなら、俺はお前がしたことを公表しなきゃならない」

「俺がしたこと?」

「テオが、俺に飲ませた薬のことだよ」

「……」

その一言で、明らかにテオの顔つきが変わった。できれば二度と忘れていたかったことだが、利用できるものはなんでも利用する。すでに俺の心は決まっていた。

「あれがかなりまずいものだってのはわかってる。あれを俺に飲ませたって知った人達は皆異様に慌ててた。あれを相手の了解なしに飲ませることは厳しく禁止されてるはずだ。そんなものをアウトサイダーに、無理やり飲ませたと知られればどうなる。間違いなく、DBは何かしらの打撃を受けるはずだ」

本当のところ俺は公表などするのではなく、あの事実を知っている誰かに脅しをかけようと思っていた。俺を日本に帰さなければ、テオの立場がまずくなるといえばいうことをきいてくれるかもしれない。それなら、テオが直接罰を受けることもないだろう。消去法でフランカ様かハーシュさんを脅迫することになるかもしれない。心が痛まないというわけではないが、ここまでする価値は必ずあるはずだ。

「それにしっかりとした証拠もある。この身体はテオしか受け付けなくなったと、調べればすぐにわかるはずだ。言い逃れはできない。俺が合意じゃないって断言すれば……」

「さっきからペラペラと得意気に言っているが、お前はそれができるのか? 俺を追い込んで平気な顔して日本に帰れるとは、到底思えないんだけどな」

「平気なわけない。言ったろ、最終手段だって。だから頼む、テオが本当に俺を好いてくれてるんだったら、こんなことさせないでくれよ。ただ他に方法がないんだったら、俺にも覚悟が……っ」

素早く間合いを詰めてきたテオに俺の身体は容赦なくソファーに引き倒される。衝撃はなかったが、間近に迫ったテオの顔に息が止まった。

「残念だが、リーヤ。それは無理だ。断言できる、そんな脅しはまったく意味がない」

「…………ど、うして?」

やけに自信たっぷりに言い切るテオに、疑いの眼差しを向ける。ただのはったりか、それとも何か見落としているのか。必死に頭をまわす俺を見下ろしながら、テオは一瞬項垂れた後、吐き出すように告げた。

「あれは、嘘だからだ」

「え? …………うそ?」

「そうだ。俺はお前に“誓いの楔”なんざ飲ませていない。あれは、ただのはったりだ」

「……でも、おれあの時、身体が……」

「おかしかったのは媚薬を飲ませたからで、あの赤い玉はダミーだ。もちろん、まわりが勘違いすることを見越してのな」

言われていることがすんなり飲み込めなくて、暫くの間呆然とした。少したってようやく、ばつの悪そうな表情のテオに尋ねることができた。

「ほんとに? ほんとに飲ませてないの?」

「ああ、信じられないなら試してみろ。もしあの薬を飲んでいた場合、最悪死ぬからな。飲ませていたらこんなことは絶対に口にできない。心配なら、ここの医者に調べてもらってもいいぞ」

「……」

このときの俺の感情は、ひどく単純なものだった。あの薬の一件で俺は自分で思う以上にまいっていたらしい。

「……よ、良かった。俺、普通の身体なんだ……良かった……」

「……」

震える声が安堵の言葉を紡いでいく。涙腺がゆるみそうになるのをなんとかこらえた。これでもう、ダヴィットを悲しませることはないのだと思うと嬉しかった。

「どうして、そんな嘘ついたの?」

「……お前を、傷つけてやりたかった。俺が傷ついた分だけ、お前も痛い思いをすればいいと思ったんだ。怒り狂って、俺を罵るお前を見たかった。自分の気がすめば、嘘だとおしえるつもりだったんだ」

「じゃあ、なんで今の今まで黙ってたんだよ」

「お前が、ちっとも俺を怒ったりしなかったからだろうが! 完全に話すタイミングも失って、俺の復讐心も満たされなかった」

「な、なんだよそれ……」

じゃあ、あの時俺は思う存分テオを責めれば良かったのか。変に許そうとせず、怒りのままに殴り飛ばしたりした方が、テオにとっては良かったってことなのかよ。

「だが今思えば、俺はあの時すでにお前を好きだったのかもしれない。あの日本の王子に渡したくなくて、そんな嘘をついたと考えるのが妥当だ」

「……」

俺の腕をおさえるテオの手に力がこめられる。彼の物憂げな表情を見て、結局どうあっても俺は彼に対して暴言など吐けないし、憎むこともできないのだろうと思った。

「リーヤ、提案がある」

「な、なに」

「取引、いや賭けをしないか」

「賭け?」

「そうだ、その賭けにお前が勝ったら、俺はお前を諦めて日本に帰ることを許そう。もちろん、これからも日本と友好的に付き合っていくと約束する」

「それは、いい話だな。内容次第だけど」

俺の言葉に、テオは意地の悪そうな笑みを見せる。嫌な予感がした。

「賭けの内容はこうだ。今から三日後、大々的に俺とお前の結納式を行う。その誓いが交わされれば、後は国をあげた結婚式の準備をするだけ。俺達の関係は揺るぎないものとなる。だがその結納式で誓いが交わされる前に、日本からの迎えがくればお前の勝ち。来なければ、おとなしくここにいてもらう」

「な……」

馬鹿げている、素直にそう思った。そんな賭け、俺の負け確定じゃないか。

「なぜそんな顔をする。お前はあの男を信用していないのか」

「だって、その賭けのことはダヴィットには言っちゃ駄目なんだろ? 次DBに許可なく侵入したら、戦争になるって言ったのはテオじゃんか。ダヴィットにはここには来られない。必ず帰るっていう、俺の言葉を信じてくれてるから」

「ははっ、お前この状況をわかっているのか? 現状では、お前はここから出る方法がない。それはきっと、あの王子だってわかってる。もしお前を信じて大人しく待っているなら、やつの頭は相当お花畑だ」

「でも、ダヴィットはもう一度ここに許可もなく侵入してる。警告もされてる。それでもここにまた来るなんて、そんな無茶なことはしない」

「ならばどうする。この賭けを拒否して、お前はどうする気だ」

「……」

どうしようもない。それは俺が一番よくわかっていた。俺にはテオを説得して、考え直してもらうより他ない。なんとかなるって思っていたけど、今ではもうどうすればいいのか見当もつかない。

「なあ、リーヤ。俺はお前を追い詰めたいわけじゃない。あの時みたいに傷つけたいわけでもない。お前を幸せにしてやりたいんだ。誰でもない、この俺が。始めはつらいかもしれないが、それは時間が解決する」

「テオ、そんなの無理だよ。はなして」

「そんな風に嫌がらないでくれ。俺は、お前にここにいてくれるだけでいいんだ。何も、無理強いはしないから」

ただ黙って俺を抱き締めるテオになんだか泣きそうになった。テオを好きになれたらいいのに、とも少し思った。俺がダヴィットを好きでいる以上、一緒にはいられない。俺の気持ちはきっと変わらないし、いくらテオが優しくしてくれたってつらいだけなのだから。


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