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先憂後楽ブルース
未遂




獲物を捕らえた獅子みたいな凶悪な面で俺を見下ろすテオドール。しかしそんな奴の姿を見て、俺が感じたのは危機感などではなかった。

「っ…」

「?」

笑いをこらえる俺に気づいたテオドールの眉間に皺がよる。彼には悪いが、テオドールの考えはとてもわかりやすかった。

「そんなこと言って、俺を追い返そうとしたって無駄だぜ。女好きのあんたが、俺みたいなのをどうにかできるはずがない」

「……ほう」

女顔の美形でも何でもない俺に迫っているこの状況ですら、奴はかなり無理をしているはずだ。ほんと、今ほど自分が美女じゃなくて良かったと思ったことはない。

「下手な芝居はやめて、さっさと手を離せよ。今日はとりあえず帰ってやるから。また明日…」

「誰が帰すなんて言った」

「…は?」

「ちょうど女にも飽きてたところなんだ。一度男を抱いてみるのも悪くない」

「だから、そんな嘘はもう……」

通用しない、と言おうとした俺は奴の真剣な目に言葉を失う。これは演技でも脅しでもない。信じられないことに、テオドールは本気で俺とやる気だ。

「……っ」

「あ、おい待て!」

身の危険をいち早く察知した俺は自分でも信じられないくらいの力で奴を押し退け、転がるようにベッドから下りた。そしてそのまま猛ダッシュでドアに向かって走り、ドアノブに手をかける。奴が後ろから追ってくる足音が聞こえ、必死にドアを開けると何かに思い切りぶつかった。

「……アウトサイダー様?」

「アドニスさん!」

ぶつかった相手はドアの前に立っていたらしい護衛のアドニスさんだった。派手にドアをぶつけてしまった彼に謝るべきか、それとも逃げるべきか考えている間に、背後から手がのびてきた。

「う、わ!」

「まったく、自分から誘っておいて何だその失礼な態度は。俺から逃げた女は初めてだぞ」

「俺は誘ってないし女でもない!」

奴の手が腰と首筋にのびてきて、まるで急所を掴まれているかのような感覚に身震いする。なんとか奴の身体を離そうともがくも、がっしりとまわされた手はビクともしない。

「や、やめ……助けてアドニスさん!」

その恐ろしい感覚から逃れたくて目の前の男に助けを求める。特に関わりも薄かった相手だが、あきらかに襲われている人間をまさか見捨てはしないだろう。

「……陛下、手をお離しに」

アドニスさんは俺のSOSにきちんと応えてくれた。これで助かる、とほっとしたのもつかの間、後ろのテオドールが俺の耳元で笑みをこぼした。

「アドニス、俺は今夜の相手をこいつに決めた。邪魔をするな」

「しかし、その方はアウトサイダー様で…」

「関係ない。いいか、アドニス。これは命令だ」

「……」

命令、という言葉に明らかにアドニスさんの表情が強ばった。のばしかけていた手を下ろし、目を伏せ一歩後方に下がる。もはや明らかに奴を止める気のないその様子に俺は絶句した。

「な、んで……っ」

「残念だったな、アウトサイダー。アドニスにとって俺の命令は絶対だ。ハーシュの方ならまだ可能性はあったかもしれないが…。ま、今日のお前はついていなかったということだな」

「な…ちょ、放せ!」

再びベッドまで引きずられ手首と膝を押さえつけられる。着ていた浴衣がもう大変なことになっていたが気にしてなどいられなかった。

「てめぇ、ふざけんな! 今すぐ手ぇ放さねぇとぶっ殺すぞ!」

「……お前、意外と口悪いな」

「怒ってんだから当たり前だろ! それ以上俺に何かしたら絶対許さねぇ」

「ほう、何をされるかわかっているのか。童貞のお前には見当もつかないかと思ったが、さすがに女役は慣れているらしい。これは楽しみだ」

「ふざ、けんなっ」

絶対に全力で抵抗してやる。刺し違えてもこいつから逃げ切ってやるんだ。

「お前、ちょっと忘れてるんじゃないのか。DBはいつだって、お前の恋人に罰を与えることができるんだぞ」

「な…」

「奴がうちに不法侵入してきたことは紛れもない事実だ。それに目をつぶってやってることを忘れるな。お前の態度次第では、俺の寛容な心も変わるかもしれない」

「……っ」

そろそろと、俺は持ち上げようとしていた腕の力を抜いていく。無抵抗になった俺を見て、テオドールは満足げに笑った。

「よし」

そのまま奴の手が襟にかかり、かろうじてかかっていた帯が緩んでいく。心臓の鼓動が恐怖によってもの凄いスピードで脈打っていた。

「このクソ野郎っ…」

「黙れ。少しの抵抗なら可愛いが、あまりにも暴れられると面倒だ」

テオドールはそういうとベッド横の棚から慣れた手つきで小瓶を取りだし、中に入っていた液体を手に出す。その光景を見ていた俺は唖然とした。

「そ、それって…」

「ん? なんだ、ローションも知らないのか」

やっぱり…! ってことはこいつ、男同士のやり方を知ってて、それを俺にやろうってのか!?

「お前、まさか俺に突っ込む気じゃねえだろうな…っ」

「ムードのない言い方をするな。お前は恥じらいがないのか。だいたい、それ以外に何をすると言うんだ」

「っ……」

目の前の男を全力でぶん殴りたい衝動を必死で押さえる。こんな奴のされるがままになるのは嫌だが、ダヴィットを守るためにはこれぐらい我慢できる……のだろうか?

「待てよ! 俺っ、そういうことしたことないし、無理だ!」

「リードするのは俺なんだから、経験なんかいらない」

「そうじゃなくて、やられたことないって意味だっつの!」

「は? そんな傷首筋につけといて、抱かれたことないだって? 笑わせるなよ、あのすかした王子様と婚約してるくせに」

「首のこれは違っ……」

この傷は事故によってできたもので俺とダヴィットは完璧にまだプラトニックな関係だ。というか、そういう恋人関係になったのはDBに来てからで、それまではずっと俺が拒否していたのだから。

「いっ…!」

中途半端に脱がされた浴衣に手が入れられ俺は思わず身を捩る。抵抗するべきなのか耐えるべきなのか。ダヴィットなら間違いなく抵抗しろというだろう。けれどそうすればこいつは本当にダヴィットを、そして日本を追い詰めるのだろうか。

「やめ、んなとこ触んなっ…」

まるで俺を女のように扱うテオドールに、もう我慢の限界だった。そっちにとっては単なる遊びなのだろうが、俺にとっては屈辱でしかない。たとえダヴィットのことが好きでも、女になったつもりは更々ないのだから。

「うあっ! ちょ、やめろって!」

ローションのついた冷たい指が俺の中に無理やり押し入ってくる。その瞬間、俺は“あの日”のことを思い出した。弟に襲われたあの日のことを。

「っ……!」

あの日の恐怖を思い出し、息がまともにできなくなる。大丈夫だと思っていた。もう平気だと。あんなの、ただの兄弟喧嘩のようなものだと何とか流そうとしていた。でも、やっぱりそんな簡単なものではなかったのだ。頭で解決しようとしても、まるで身体はついきてくれない。身体の震えが止まらず、理由もわからない涙がこぼれ落ちた。

「アウトサイダー?」

突然豹変した俺にさすがのテオドールも手を止める。彼は慌てて距離をとったが、俺のパニックは止まらなかった。

「おいおい、いくらなんでも嫌がりすぎだろう……」

地味にショックを受けているらしいテオドールは脱がせた浴衣を再び羽織らせて、背中を乱暴にさすってくる。いまさっき俺を襲おうとした人間ではあったが、すっかりやる気をなくしてしまった奴に宥められ、だんだんと呼吸が戻ってきた。

「お、やっと落ち着いたか」

「……どう…しよう」

「あ?」

「こんなんじゃ、もう弟に会えねぇよぉ…」

その場で再び泣き崩れる俺の上からテオドールの深いため息が聞こえる。情けなく泣き続ける俺の肩を、奴はずっと支えてくれていた。


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あきゅろす。
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