先憂後楽ブルース
退屈な日々
ディー・ブルーランドでの生活が始まってからはや3日。俺の1日はとても規則的なものになっていた。最初の日はひっきりなしに誰かしらが挨拶にきたものだが、3日目ともなるとその挨拶もまばらになり、ぶっちゃけてしまうとまあとにかく暇で暇で仕方がないのだ。知り合いもいないに等しいこの場所で腫れ物扱いされ、言葉も一部の人間としか通じず、友人の1人もできない状態で毎日を自堕落に過ごしている。
しかし、そもそも俺は友人など作ってここの生活を楽しむわけにはいかないのだ。ここから自力で日本に戻る方法を考えなくてはならない。しびれを切らしたダヴィットが迎えに来て、どうしようもなくなる前に。
「オハヨウございマス、アウトサイダー様」
「……おはよ」
俺専属の給仕係りが、めちゃくちゃ片言で挨拶してくれるのが俺の1日の始まりだ。彼の名前はジア。褐色の肌に灰色に近い黒髪の妙齢の男で、初っぱなから自分のことは自分でやる宣言をしたせいなのか、俺に対してかなり愛想がない。絶対に俺と目をあわせようとしないし、おまけに無表情で片言なもんだからまるでロボットだ。はっきり言って、ちょっと怖い。
「キョウのおしょくじハ……」
「いらない」
俺はわざとつっけんどんに答えると再びベッドの中に潜り込む。ここに来てから、俺は出される食事にいっさい手をつけていない。俺が料理を口にしようとしないと知るやいなや、料理長が困った様子でこの部屋にやってきたが、俺は頑として食事をしようとはしなかった。
普通に食欲がわかなかったことも理由の1つだが、もちろんそれだけではない。俺は嫌われようとしていたのだ。ここの使用人達、いやDBの人間全体に。
あれから日本に戻る方法を真剣に考えてみたが何も思い付かず、結局DBの人達に煙たがられるように仕向ける、というような安易な作戦しかたてられなかった。
使用人達の間から俺のよくない噂が広まり、俺が不必要どころか邪魔な存在となれば日本に帰してくれるかもしれない。それを期待したのだ。しかし嫌われるように仕向けるというのは予想以上に大変で、かなりの精神的苦痛が伴われた。給仕係りのジアは元々俺に好意的ではないようだし、周りの人間のほとんどが言葉が通じないしであまり効果は見られなかったが、そもそも関わる人が少なすぎて態度を悪くするにも限界があった。
そういうわけで、俺は食事を、部屋になぜか常備されているお菓子と健康食品だけで賄っている(もしかしたら食わない俺のためにこっそり置いていてくれているのかもしれない。気がついたら補充されてるし)。
ちなみに、俺のためにDBが用意してくれた服は上質な着物だった。最初にここに来た時ローレンに着せられていたためなのだろうが、寝間着も含めて見事に洋服がない。俺としてはジャージとかの方が動きやすくていいのだが、向こうとしてもそういうわけにはいかないのだろう。父方の祖母に着物の着方を習っていて本当に良かった。さもなければ今頃この微妙な関係の給仕係りに「着付けしてください」と頼まなければならないところだった。自分で全部やるから俺のことはほっといて、とか偉そうなこと言っておきながら服だけ着せてもらうとか恥ずかしい上に気まずすぎる。お祖母様には今更ながら感謝だ。
そして今日もいつも通り、世話係りのジアをさっさと追い出して、顔を洗って歯を磨いた俺は用意された着物を着る。今日は紺色にしよう。袖が毎回邪魔でしょうがないが、テオドール陛下が着られていた仰々しい服よりマシだ。
「……さて」
思い腰をゆっくりとあげ、身仕度をした俺はそっと部屋から出る。向かう先は昨日、迷わない程度に城内を散策していた時にたまたま見つけた図書室だ。開放されているにも関わらず人のあまりいない閑散な場所で、昨日は俺へ挨拶をしたいというお偉方がくるまでの時間をそこで過ごしたのだ。
「おはようございます、アウトサイダー様」
「……!」
こっそり出ていってひっそり本でも読んでいようと考えていた矢先、俺は1人の男に呼び止められた。ゆっくりと振り返った先にいたのは特使として日本にも来ていた男、アリソン・ワイクだ。
「……どうも」
「どちらに行かれるのですか? もしよろしければ案内させていただきますが」
「いっ、いえいえお構いなく!」
にこにこと優しげな笑みを浮かべているワイク。ここに来て接する機会が多くなった彼は一見すると感じのいい男だったが、ローレンから注意しろと言われている重要人物でもあるのだ。もしかするとダヴィット暗殺を命令した男なのかもしれない。そう考えるととてもじゃないが馴れ合う気になどならない。
「アリソン様、アウトサイダー様もDBに来られてまだ日が浅い。好奇の目に晒されることも多いでしょう。あまり連れまわすのも如何なものかと」
「……ふむ、確かにそうだな」
アリソンさんの後ろにいた護衛だか秘書だかわからん男が控えめに進言してくれる。男の名前はグスコフ・ショーティ。ここに来てすぐにアリソンさんが紹介してくれたが、彼もまた日本語がペラペラだ。アリソンさんの側近らしく常に彼の側にいる。…このまま、主人を説得して俺から遠ざけてくれると嬉しいのだが。
「それでしたらむしろ、アリソン様のお部屋にアウトサイダー様をお招きする、というのはいかがですか」
「おお、そうだなショーティ。お前の言う通りだ。その方がいいかもしれん」
おいおいおい。なんな話が変な方向にいってるぞ。誰が誰の部屋に行くだって?
「どうでしょうか、アウトサイダー様。退屈はさせません」
「いえいえ! ワイクさんもお忙しいでしょうし、俺なんかに気を使わないでください!」
必死に首を横に振る俺を見て、アリソンさんがくすっと笑う。自分の飼い猫が可愛い悪戯をした時みたいな、甘い笑みだ。正直彼にそんな表情を向けられる理由がない俺は顔をひきつらせるしかなかった。
「アウトサイダー様、どうかワイクではなく、アリソンとお呼びください。距離をおかれているようで悲しいので」
「……は、はあ」
だったらそっちもアウトサイダー様なんかじゃなく名前で呼べよ、と思うのだが、そうすると俺がまるで彼と仲良くしたがってるみたいだから言わないでおく。
しかしこの男、最重要警戒人物でありながら最も俺にフレンドリーな相手でもある。テオドール陛下なんか早々に俺から興味をなくし(元々あったのかすら怪しいが)、姿も見ないので美形すぎるあの王様はともかく、両隣にいた護衛の顔はすでに忘れかけている。
「……げ、アリソン」
このままでは部屋に連れ込まれてしまうかも、と俺が危惧していた時、後ろから男の声が聞こえた。振り返るとそこにはもはや懐かしさすら感じる美しい顔があった。テオドール陛下とその護衛だ。何故か寡黙で背の高い方しかいないが。
「おや、テオドール陛下。奇遇ですね。どこかに行かれるのですか?」
「自分の部屋に戻るだけだ。ああ、お前がいるとわかっていたらここは通らなかったのに」
仲が良いのか悪いのかわからない会話をかわしながら、テオドール陛下の視線はアリソンさんから俺に移動した。彼はそのフランカ様似の顔を一瞬きょとんとさせる。
「お前は……あー…例のアウトサイダーだな」
名前、忘れてただろ絶対に。いやもしかすると存在すら忘れられていたかもしれない。俺にここにいるよう取引した張本人くせに、なんて無責任な。
「しかし陛下、これはちょうど良いところに。時間があるのでしたら、陛下直々にアウトサイダー様を楽しませて差し上げてはいかがでしょう」
「「は?」」
突然笑顔でおかしなことを言い出したアリソンさんに、俺とテオドール陛下は呆気にとられる。俺にとってももちろん陛下にとっても、好ましい話ではない。
「友好を深めるためにも、大事なことかと思いますが。いかがですか?」
「……」
ノーとは言えない日本人な俺と、表情にありありと嫌がっているのが出ているテオドール陛下。嫌ならさっさと断ってくれと思っていると、陛下の顔が何か企むようなものに変わった。
「……わかった。確かにお前の言う通りだ。来い、アウトサイダー」
「えっ、ちょ」
「任せましたよ、陛下」
テオドール陛下は戸惑う俺の腕をひっつかみ、すたすたと歩いていく。抵抗する暇さえ与えられないような強い力だった。
「あの、一体どこに…?」
「俺の部屋。娯楽用のな」
ご、娯楽用って。もしかしてDBの王様は用途別に自分の部屋を持っているのだろうか。そして娯楽と聞くとボーリング場と漫画喫茶が一緒になったような場所を想像してしまう辺り、俺も結構庶民的なのかもしれない。
「あの、陛下。俺は別に図書室とかで静かに本が読めれば、それでいいんですが」
「……」
テオドール陛下は引っ張られるがままの俺をちらりと一瞥すると、初めて会った時に見せたような愉しげな微笑を浮かべた。
「いいから黙ってついてこいよ。楽しいこと、させてやるから」
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