先憂後楽ブルース
本音と嘘の境界線
それからすぐに俺達の乗る航空機は音もなく着陸し、俺はローレンに連れられて外に出た。彼の後についていきながらも、俺は彼の言った言葉を受け入れられず悄然としていた。ローレンがダヴィットを殺そうとしていたなんて、そんなの絶対ありえない。だってローレンは、自分の国をとても大切にしている兄思いの優しい男だったはずだ。
「リーヤ、暗いから足元気をつけてね。あ、そうだ。僕が手を引いてあげるよ」
「……」
いつもの調子で話し続けるローレンは俺の手を取りすたすたと進んでいく。航空機が降り立ったのは滑走路のような場所で視界は十分明るかったが、俺は彼の手を振り払うことができなかった。ここで下手に抵抗しても日本に帰れるわけでもないし、ローレンの狙いだってまるでわからない。慎重に行動して、とりあえず出方を窺おう。そしてその間に自分がどうすべきかを考えなければ。
人のいない舗装された道を歩いていくと、大きな塀の前で武装をした男が立っていて、俺達を見て敬礼をした。DBの人間にローレンが帰還することは通達済みだったのだろうか。その男は明らかに俺達を待ち構えていたようだった。表情を押し殺すような顔をした彼は英語で話しかけてきたが、早口すぎて中学英語止まりな俺には理解できない。戸惑う俺の横でローレンはすらすらと英語で受け答えをしている。留学をしていたのだから当然なのだが、その流暢な英語にかなり驚いてしまった。
男が歩き出すと同時に俺達もその後を追い、何重ものセキュリティゲートをくぐり抜け、建物の中へ中へと入っていく。かなりの時間を歩いて、ようやく大きなホールに到着した。おそらくここはDBの城なのだろうが、夜の暗闇に包まれ外にいる時もその外観はわからなかった。だがかなり馬鹿デカいことだけは確かだ。
「……ローレン」
「なあに、リーヤ」
男に気づかれないよう小声でローレンに呼び掛ける。これから何が起こるのか、心の準備のためにどうしても知っておきたかった。
「俺、これからどうなるんだよ。あの男はどこに連れてこうとしてるわけ?」
「それはさっき言っただろう。リーヤは今日からここで暮らすんだ。だからこれからここの陛下にお目見得するんだよ」
「陛下!? な、何でそんな……」
ローレンを問い詰めようとして、考えろ、という誰かの声が聞こえた気がした。ローレンに馬鹿正直に訊いたって、きっと本当のことは言ってくれない。ダヴィットを殺してもらう代わりに俺をここに連れてきたなんて、そんな話を鵜呑みにして本当にいいのか? ローレンのいうことは簡単に信じちゃいけない。初めて会った時から、嘘ばかりの男だ。
ただ、ローレンがDB側と何らかの裏の繋がりを持っていたのだけは確かだろう。俺を拉致するのはずっと前から計画されていたことだったはずだ。
いや、でも待てよ。そもそもこんなことになったのは確か……。
「……もしかして、リーザに俺とダヴィットのことしゃべったの、ローレンなのか?」
俺がローレンと二人きりになった理由を思いだし半信半疑で訊ねると、彼はにこっと笑って俺の手をさらに強く握り締めた。どうやらそれは肯定の合図だったらしい。
「そうだよ。よくわかったね。でもあんなに上手くいくと思ってなかったから、ちょっとびっくりした」
何でもないことのように笑って認めるローレンに対して怒りが芽生えてくる。おかしいと思っていたのだ。偶然知ってしまったにしては、リーザは詳しすぎた。あれは誰かに何かを吹き込まれたとしか思えない。まさかそれがローレンだとは思いもよらなかったが。
「ふざけるなよローレン! 何でそんなことしたんだ」
「ふざけてなんかいるもんか。リーヤにはいつも警護の目があったから、何かで注意をそらす必要があったんだ。自分の兄がダヴィットと婚約しているなんて話を聞いたら、リーザは身代わりなんてやってられなくなるだろうと思ってね。それが大好きなお兄さんならなおさら」
「な……」
もしかして、リーザをダヴィットの身代わりにと言い出した時から、こうすることを考えていたのか。だとしても、リーザがどんな行動をとるかなんて予測できないだろうに。
「…ローレンは、リーザが俺のことをどう思ってるか、知ってたのか」
「え? ああ、それはまったく。最初はただのお兄さん好きだとしか思わなかったよ。でもリーザが昔君をさけていたと知って、もしかしたらってね」
「……」
実の弟にあんな風に思われていたなどまったく想像もしていなかった俺は、ローレンを恨まずにはいられなかった。狡い考えかもしれないが、できることなら知らないままでいたかったのだ。せっかく修復した兄弟関係をどうしても壊したくなかった。
とその時、俺達を案内していた男がドアの前で立ち止まった。一言二言英語で何かを言い俺達に一礼すると、目の前の重たそうなドアを開ける。ローレンが頭を下げて部屋に入っていくので、俺も慌ててその後に続いた。
「うわ……」
俺達が足を踏み入れたのは、天井の高い広く大きな部屋だった。床には高そうなカーペットが敷かれ、天井には絵画が描かれている。
「ここは謁見の間だよ。僕も入るのはまだ二度目だ。あそこに陛下が座られてるはずだったんだけど、まだ来られていないようだ。マイペースなのは相変わらずらしい」
そう言ってローレンが指差した先には立派な赤い椅子が鎮座していた。みるからに玉座、という雰囲気を醸し出している。その豪勢な椅子に相応しい立派な部屋の雰囲気に圧倒されていると、すぐ後ろでドアが閉まる音がした。ここまで案内してくれた男が出ていったようだ。この広い部屋で、俺はローレンと二人きりにされてしまった。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ、リーヤ。DBの陛下は礼儀とかあまり気になさらないし、無理に畏まる必要はない。僕はすぐに出ていかなきゃならないけどね」
「……どうして?」
「あまり陛下とは会うなと言われている。僕たちが仲良くなってしまうのが嫌なんじゃないかな」
DBの王の事を語るローレンに違和感を感じる。まるで王様よりもまだ上に強い権力者がいるみたいな言い種だ。
「俺をDBに連れてくるよう望んだのは、王様じゃなかったのか?」
「違うよ。あの方は政治にもアウトサイダーにも興味がないからね。もしかすると彼は君が自分の意思でここに来たと思っているかもしれない」
「じゃあ、ローレンは誰と示しあわせてこんなことを」
「それは話せない。僕だって実態を掴めているわけじゃないし、それにそんなことはどうだっていいんだ。兄を排除して、僕を日本の時期国王にしてくれたら、それで」
彼の物言いはまるでダヴィットを憎んでいるようだ。けれど彼はその昔、兄をかばって単身でDBに行ったんじゃなかったのか。それに、これはダヴィットだけの問題じゃない。ローレンの両親は勿論、国全体を巻き込んでのことだ。
「どうしてなんだローレン。家族なのに、何でそんな言い方ができる」
「家族?」
それ以上つまらない言葉はない、と言わんばかりの顔をするローレン。鼻で笑いながらもその口調には明らかな苛立ちが含まれていた。
「僕を兄の代わりにDBに引き渡すような家族は、家族じゃないさ」
「……それって、戦争の後の? でも留学はローレンから志願したんじゃ」
「いいや、本当は父上から頼まれたんだ。僕に拒否権なんかなかった。これは僕と父だけの秘密だけどね。でも兄だって父を説得してはくれなかった」
「……」
ローレンの言葉に衝撃を受けた俺は暫く言葉もなく唖然としていた。そんな俺を見てローレンは小さく笑う。
「君は僕のことを何も知らない。だから簡単に僕を善人だと思い込む。……ああ、そういえばリーヤ、君には好きな人がいたそうだね。そしてその男と僕はよく似ていると」
なぜその事を、と俺が訊ねる前にぐっと引き寄せられる。そして俺の顎に手をかけ耳元に囁きかけてきた。
「ハリエットから聞いたんだよ。でも彼女からそれとなく君の情報を引き出したのは僕だから、あまり責めないでやってあげて。そのおかげで、僕の告白に満更でもなさそうな顔をしていた理由がわかったわけだし」
「……」
そういえば、最初の頃はローレンとジーンをよく混同させていた。今でも彼ら二人はよく似ていると思う。でもいつからかローレンを見るたびジーンを思い出すことはなくなっていった。それはきっと、俺が…。
「その人の代わりになってあげられなくてごめんね。せめてリーヤの前では、いい人間でいたかったんだけど、君がぼくを好きになってくれないから優しいままではいられなかった。僕はただ、兄さんの苦しむ顔が見たいだけだなんだ。僕からすべてを奪っていく兄さんのね」
彼の言葉が現実のものとして頭の中に入ってこない。優しく微笑みかけてくるローレンの意図が、感情が見えないことに俺は恐れを感じていた。
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