先憂後楽ブルース
取り引きと駆け引き
鼻につく臭いがして、深い眠りに沈んでいたはずの俺は、引きずり出されるようにして目を覚ました。周囲はとても明るくここが部屋なのだということはすぐにわかったが、なぜ俺がこんな小さいけれど立派な部屋に、高そうなベッドの上に横たわっているのかがわからない。軽くパニックになりながら辺りを見回すと、俺のすぐ横に人がいることに気がついた。
「おはよう、リーヤ。といっても今は夜中なんだけどね」
「ロ、ローレン…?」
彼の姿を見た瞬間、自分がされたことを思い出した。確か俺は、この男といる時に気を失ったのだ。いや、この男に気絶させられたといった方が正しい。
「ローレン、いきなり何であんなこと」
「ごめんねリーヤ。ああするしか他に方法がなかったんだ。身体は大丈夫? 喉はかわいてない?」
ペットボトルに入った水を差し出された瞬間、激しい喉の乾きを感じた俺は水を口に含む。喉を潤すと今度は空腹を感じた。
「……ここはどこなんだ? 俺、どれくらい眠ってた?」
早く弟に会わなければならないことを思い出し、俺はローレンに詰め寄る。彼は俺からペットボトルを受け取り、ベッド横の椅子に座った。
「リーザは今どこに? とにかく、すぐにリーザのところに連れていってくれ。話はその後で……」
「リーヤはリーザに会うことはできないよ。多分、これから一生ね」
「……。――は?」
「可哀想だけど、仕方ない。今は空の上だし、もう日本には引き返せないから」
「空の上って……」
突拍子もないローレンの言葉にどういう反応を返せばいいのかわからなくなる。そんな俺を見てローレンは悲しそうに笑った。
「ここは日本からDBに帰るための乗用機の中だよ。ああ、航空機って行った方がわかりやすいかな」
「……な、なに言ってるんだ、ローレン。変な嘘つくなって」
「嘘だと思うんなら、そこの窓を開けてみなよ」
顔をひきつらせながらローレンを凝視すると、彼は表情一つ変えずに壁にかかったカーテンを指差す。俺は慌ててベッドから這い出しカーテンをめくった。小さな窓から覗く景色は真っ暗で、下の方に街の光らしきものが点在している。確かに、ここは上空だった。
「もうすぐ到着するからリーヤを起こしたんだ。すぐにこの部屋を出るから、準備しておいてね」
「出るって、どこに行くんだ」
「もちろん、ディーブルーランドの首都にあるリリアハント城にさ。可愛らしい名前のお城だろう? あそこの人達って中身はえげつないくせに、お伽の国みたいな名前をつけるのが好きだよね」
「……ふざけてるのか?」
そうであって欲しいという願望を持って、俺はローレンに問う。この状況、彼の言葉、どれも理解できたものではない。もしかすると俺はまだ気絶していて、ここは悪い夢の中なのではないか。だったら早く覚めてくれ。
「ふざけてなんかいない。ここは確かにディーブルーランドだよ。僕が近々DBに戻ることは知っていただろう。急ではあったけど、表向きフランカ様達はすでに帰国したことになっていたからね。夜にこっそり出航するのが一番だったんだ」
「何で俺を連れてきたんだ。このこと、ダヴィット達も知っているのか?」
「まさか! アウトサイダーが消えて、きっと今頃日本は大騒ぎだと思うよ。リーヤに仕込まれた発信器はレッドタワーに置いてきたしね」
「発信器?」
「なんだ、知らなかったんだ。タワーの人間がリーヤに着せていた服には、リーヤがどこにいてもわかるように追跡装置がつけられていたんだ。繊維型の発信器だったから、服ごと取り替えさせてもらったよ」
ローレンに言われて初めて自分の服が変わっていることに気がついた。俺がいま身にまとっているものは淡い色の着物だ。洋服から和服になっているのに気づけないなんて、相当混乱していたのだろう。
「首、痛そうだね」
「……っ」
とっさに首の傷を手で覆い隠す。首筋に何かテープのようなものが貼られている感触があった。よみがえる弟に噛まれた記憶を、俺は無理やり振り払った。
「軽くだけど手当てをしておいたよ。着物だと目立つものね。でも着物の方が日本人っぽくっていいかなと思って。リーヤのために特別に用意してたんだけど、どうかな。薄手でも暖かいだろう」
「……そんなことはどうだっていい」
俺は呑気に椅子に座って話すローレンに詰め寄り、その胸ぐらを掴み上げた。乱暴なことをされても、彼は顔色一つ変えようとはしない。
「ダヴィットが知らないなら、これはお前が勝手にやったことなんだろ! だったら理由を言え。お前は何のために俺をDBに連れてきた!」
「落ち着いて、リーヤ。君は丸一日眠っていたんだ。まず何か食べないと……」
「はぐらかすなよ!」
すっかりローレンのペースに飲まれてしまっている。まともに聞き出そうとしても余計に混乱させられるだけだ。彼は先程日本の方では大混乱だと言っていたが、つまりそれは助けは期待できないということなのか。
「……ダヴィット達は、俺がどこにいるか知らないんだな」
「ああ、そうだよ。君の服は日本にあるからね。でも監視カメラの映像もあるし、最後に一緒にいた僕がDBに帰ったってわかれば、おおよその見当はつくんじゃないかな」
「……」
行方不明、ということにはならなさそうだということがわかり、俺は少しほっとする。まだローレンの企みはまるでわからないが、きっとすぐに迎えが来てくれるはずだ。
「でも、日本の人間はDBには入れないよ。だから君を助けにも来られない」
俺の思考を読んだかのようなローレンの発言に、俺は放心する。彼を掴んでいた手からするすると力が抜けた。
「……どうして」
「協定違反だからだよ。DBとの和平条約は今も有効だ。それでなくとも許可なく他国の領域に侵入するのは、宣戦布告ととらえられても仕方ない。いくらアウトサイダーがいる国といっても、戦争になるのは避けられないね」
戦争。俺には経験のないこと、それでもその言葉は耳にするだけでも恐ろしかった。ローレンは自身で体験したはずなのに、なぜそんな平気な顔をしていられるんだ。
「お前は、ディーブルーの味方だったのか」
「味方? 確かに、そういう言い方もできる」
これまでのローレンの人物像が音をたてて崩れていく。彼は自分の国をとても大切に思っていたんじゃなかったのか。ちょっと変わってはいるが、兄思いの優しい人。それが俺の中のローレンだったのに。
「なんで! なんでだよローレン! DBはダヴィットを殺そうとしたんだぞ! それなのに……っ」
「わかってないな、リーヤは」
「……?」
ローレンは俺に乱された服を整えながら再び椅子に座る。そして次の瞬間、思わず耳を疑うような言葉を口にした。
「僕がディーブルーに頼んだんだよ。これは取引さ。兄さんを殺してくれ。そしたらアウトサイダーをDBに連れてきてあげる、ってね」
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