先憂後楽ブルース
息が止まるほどの
「……っ」
目の前の男、もといリーザの言葉に俺は息を呑む。弟がなぜダヴィットのふりなどしたのかはわからない。ただの冗談にしてはこの状況はたちが悪すぎる。
「…リーザ、なのか? ほんとに?」
「ああ、そうだよ」
「……なんで、ダヴィットのふりなんてしてるんだ。本物はどこにいる」
「外にいるのが本物だよ。俺はただ、真実を確かめるためにここにいるんだからな」
「…?」
弟の視線がよりいっそう険しくなる。俺を嫌っていた頃によく見た、懐かしい目をしていた。
「兄貴、あの王子と随分仲がいいらしいな」
「……っ!」
「しかも兄貴の方から婚約を申し込んで、噂じゃキスまですませたらしい。ひょっとしたらそれ以上のことも、か?」
――バレた。
ついにバレてしまった。これだけは隠し通さなければならなかったのに。単なる俺のプライドの問題だけではないのだ。
「……誰に聞いた」
「そんなことはどうだっていい! なんで、なんであんな俺そっくりの男と……!」
リーザが怒ってる理由も、こんな真似をしてまでダヴィットのことを確かめようとした理由も嫌という程わかる。俺だってリーザの立場だったらきっと同じ気持ちだろう。
「ごめん、リーザ。……本当にごめん」
「…何で謝るんだ」
「お前に嫌な思いをさせたから」
俺を押し倒したまま微動だにしない弟。俺にこんな皮肉ったことをするぐらいだ。深い憤りを感じているに違いない。
「確かに、お前の言う通り俺とダヴィットは婚約してる。でもこれだけはちゃんとわかってて欲しい。俺は絶対にお前とダヴィットを混同させたりしない。ダヴィットはダヴィットで、リーザはリーザだ。気持ち悪いかもしれないけど、顔は同じでもアイツとお前はまったく違…っ」
「黙れ」
息が止まるほどの強い力で口を塞がれ、俺は目を見張る。間近にあるリーザの顔がなぜか今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「アイツと俺は違う? どこが違うって言うんだよ。顔は一緒だし、中身だって大差ないはずだ。出会ってから1年もたってないんだろ? 何で、何であの男はよくて俺は駄目なんだよ…!」
「…リーザ?」
俺を詰るその言葉の意味がわからず、項垂れる弟の名を呼ぶ。リーザは俺の胸にぐしゃぐしゃになった顔を埋めていた。
「あんな男よりも、俺の方がずっとずっと兄貴が好きだ。頼むから、あいつじゃなくて俺を見てくれよ。兄貴だって、俺のこと愛してるだろ…?」
「……」
リーザの様子がおかしい。そんな言い方じゃ、まるでリーザもダヴィットと同じように俺に恋愛感情を持っているみたいじゃないか。もしかして、こいつもクロエと同じで恋とそれ以外の気持ちの区別がついていないのだろうか。いや、兄弟なのだからそれはさすがにありえない。
「き、気持ち悪い言い方するなよ。俺達は兄弟なんだから、ダヴィットと同じようにはいかないだろ。しっかりしろ、リーザ」
「……」
その時のリーザの表情を、俺はずっと忘れられない。絶望、悲観、愕然。なんと表現すれば良かったのだろう。とにかく、俺が彼に言ってはいけないことを口走ってしまったのは確かだった。
「いっ……」
再び強い力で両手を頭上で拘束される。手首に鋭い痛みを感じると同時にリーザの右手が俺の首筋にかかった。
「気持ち悪い……。そうだよな、兄弟なのに兄貴にこんな感情持つなんて、気持ち悪いにも程がある」
「う……げほっ、げほっ」
視界が霞み意識が遠ざかる寸前でリーザの手が離れる。むせる俺を見下ろすリーザが別人のように見えた。
「リーザ、なんで……っ」
「何で? さっきから言ってるだろ。俺はお前が好きなんだよ。1人の男として」
「う、嘘だ…」
「嘘?」
「…だって、お前は俺の弟だろ。好きになるなんて、どうかしてるとしか、思えない」
「……はははっ」
息も絶え絶えに話す俺を見て、突然リーザは笑い出した。その冷たい笑みに俺の身体がびくりと震える。
「男同士は大丈夫でも、やっぱり兄弟は駄目なんだな。でも兄弟なんて、ただ同じ腹から産まれただけの関係だ。キスはできるし、セックスだってできる。ああ、俺だって今の今まで我慢してたさ。そのために兄貴に嫌われようともした。……でも、もう何もかもおしまいだ。よりによってあの王子と結婚しようとするなんて、そんなのあんまりだろ。我慢してた俺が馬鹿みたいだ。こんなことになるぐらいなら、もっと早くお前を俺のものにしておけば良かった」
リーザの手が下のズボンをするりと下げる。いきなり下半身に触れられ、俺は身をよじった。
「ああっ…」
「殿下にはここを触られたか? まさかそんな簡単に身体を許したりしてないよな? もしそうだったら、俺はアイツの指を切り落としてやりたいよ」
リーザの唇が俺の胸に落とされる。止めなければならないのに、混乱するばかりの俺の身体は震えるばかりでいうことを聞いてくれない。
「俺はずっとずっと兄貴をこうしたかったんだ。兄貴の身体に余す所無く触れて、俺のを兄貴にいれて、兄貴に俺を感じてほしかった。……どうだ、気持ち悪いだろ?」
「……っ」
ボロボロと涙が止めどなく溢れてくる。なぜ弟が俺を押し倒しているのかも、なぜ自分がこんなにも泣いているのかも、今の俺には何もわからなかった。
リーザの指が奥までのばされる。ゆっくりと中に入れられた瞬間、頭がおかしくなりそうな程の嫌悪感でいっぱいになった。
「嫌だぁ! うぁあああ!!」
俺の身体は仰け反り、奇声に近い叫び声が口から飛び出す。リーザへのとてつもない拒絶反応に、今にも狂ってしまいそうだった。
「うっ、う」
騒ぐ俺の唇は血走った目をしたリーザに再び塞がれる。手はいまだに俺の身体に侵入しようと蠢いていて、吐き気と涙が込み上げてきた。
このままではきっと俺の中の何かが壊れてしまう。もう、まともではいられない。
俺が悍ましい狂気に飲み込まれそうになった時、向こうから強いノックの音が聞こえ、次の瞬間には部屋の扉が勢いよく開かれた。
「リーヤ! 今の叫び声は……っ」
部屋に乗り込んできた“本物”のダヴィットが俺達を見て目を見開く。後からきたジローさんや数人の兵士達も足を止め呆然と立ち尽くす。けれど俺達の異常な様子を目の当たりにしたダヴィットの反応は早かった。すぐに正気に戻り、物凄い剣幕でこちらに向かってくる。
「リーザ、何をしている!」
ダヴィットはリーザの胸ぐらを掴みあげるとそのまま床に引き倒した。そしてジローさん達に向き直り、大声で怒鳴った。
「お前達、今すぐこいつをとらえろ! すぐにここからつまみ出せ!」
「……し、しかし」
ダヴィットの命令にジローさん達は困惑する。いくらダヴィットの指示とはいえ相手はアウトサイダーだ。そんな簡単に拘束できるはずなどない。
「馬鹿か! アウトサイダーの安全を確保するのが先決だ。加害者がアウトサイダーでもそれは同じ、私の責任の元、お前達はリーザをとらえろ!」
「…はっ!」
ダヴィットの一喝に兵士達はすばやくリーザの腕を掴み立たせる。その間、茫然自失の俺はベッドの上で身体を丸めていた。
「リーヤ、大丈……」
「……っ」
近づいてくるダヴィットとのばされた手に俺は思わず顔を背ける。俺を助けてくれたのは他ならぬダヴィットだが、その容姿はあまりにリーザに似すぎていた。
「……ジロー、リーヤの腕を外してやれ」
「は、はいっ」
俺の怯えを感じ取ったのかダヴィットがジローさんに指示をする。手際よく紐をはずしてくれたジローさんは、俺の服を整え自分のジャケットを肩にかけてくれた。その様子を見ていた兵士の一人が恐る恐る声をかけてくる。
「ダヴィット殿下、リーザ様はいったい……」
「地下の牢屋に入れておけ。リーヤには絶対に近づかせるな」
「……っ。…待って!」
ダヴィットの命令に、まともに口をきくことができなかった俺の声が蘇る。リーザを連れていこうとする兵士達を俺は思わず睨み付けていた。
「そいつは俺の弟だ! 牢屋にいれるなんて許さない!」
「……リーヤ」
「ダヴィット、お前にとってリーザは命の恩人のはずだ。頼むから、リーザには、何も…」
叫ぶ俺を見て複雑な表情をするダヴィット。彼が何かいいかけたその時、開いたままのドアから足音が聞こえた。
「何なんだよ、この騒ぎは。いったい何があったんだ」
そこに現れたのは寝間着姿のローレンだった。拘束されているリーザを見て、いつも暢気な様子の彼の表情に緊張が走った。
「ちょうど良いところにきた。ローレン、私は訳あって今すぐリーザをここから連れださなければなければならない。お前はリーヤについててやってくれないか」
「え…、それはかまわないけど。兄さん、いったい何があったんだ」
「説明は後だ。ここは任せたぞ。お前達、とりあえず私の部屋に連れていけ」
ジローさんと兵士達がダヴィットの背中を追って早足で部屋を出ていく。力無く項垂れ連れていかれた弟の後ろ姿を、俺はただ黙って見送るしかなかった。
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