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先憂後楽ブルース
だましうち




それからしばらくして、いい加減戻って学校に行けというジーンからのお怒りの言葉が、クリスさんの口からクロエに伝えられた。てっきりそんなメッセージ無視するとばかり思っていたのだが、意外にもクロエはジーンの言葉に従い、大人しく家に帰ることになった。素直なクロエにはかなり驚かされ寂しい気持ちにもなったが、学校に行かなければならないのは確かなので、俺も笑顔で彼を見送ることにした。


あくまで俺の予想だが、きっとクロエは不安だったのだと思う。友人が離れていってしまうことが嫌で、だからずっと俺の側にいたのだ。今回俺と話をしてやっと帰る決心ができたのだろう。あいつの不安がなくなったことは、俺にとってとても嬉しいことだった。






その日の夜、ベッドで横になってうとうとしていた俺の耳にノックの音が響いた。返事もしないうちに扉を開けて入ってきたのは、思いもよらぬ人物だった。


「えっ、ちょ……」

「邪魔するぞ」

唖然とする俺の目の前に立ったのは、少しやつれた顔をしたダヴィットだった。……いや、ちょっと待てよ。

「ストップ! お前どっちだ?」

「……リーヤ、それぐらい察しろ。私だ、ダヴィットだ」

「…なんだ、リーザじゃないのかー」

弟だった場合抱き締めようと思っていた手をすんなりおろす。しょんぼりさが顔に出ていたのかダヴィットの目つきが険しくなった。

「私じゃ不満か」

「別にそういうわけじゃないけどさ。…つかなんでお前1人なんだよ。リーザとジローさんは、一緒にいなくていいのか?」

「あの二人には部屋の外で待っていてもらっている。少々危ないが、どうしてもお前と二人きりで話をしておきたくてな」

「……ちょうど良かった。俺も、お前に話したいことがある」

「? なんだ?」

首を傾けるダヴィットの様子をちらりと窺った俺は、深呼吸をしてから意を決して話し出した。

「……さっきは、ごめん。お前の気持ちも考えないで、あんなこと言ったりして」

頭をさげる俺の隣にダヴィットはゆっくり腰をおろした。優しい手の感触が俺の頭ごしに、じわじわと伝わってくる。

「そんなことはいい。お前は気にするな」

「でも…」

「くどいぞ」

少し怒っているような強い口調で窘められ、俺は口を閉ざす。この話はもうこれでおしまいにした方がいいようだ。

「……で、ダヴィットの話っていうのは?」

そう訊ねると、ダヴィットの表情がほんの少し暗くなる。伏せ目がちになり、俺をまともに見てくれない。

「……お前は、私のことをどう思っている」

「え?」

そのストレートな物言いに俺の方が言葉に詰まってしまう。何も照れる必要はないだろうに頬が熱くなってきた。

「私が好きか?」

「な、何でそんなこと今さら訊くんだよ。前にちゃんと言ったはずだぞ」

俺はダヴィットのことは友人としか思えないし、これから先もきっとそうだろう。だがこれを言うにも結構気力が必要なのだ。

「私とお前は婚約者ではないのか? お前から申し込んだのだろう」

「そりゃ、そうだけど……」

「何を躊躇う必要がある。私とお前はキスまでした仲だ」

「うわああ、それ言うなよ! 思い出すだろ!」

彼がなぜ今こんなことを言うのかわからない。どこか焦っているようにも見える。しかし何にせよ、俺は自分の正直な気持ちをありのままに伝えなければならない。

「ダヴィット、俺の気持ちは変わらないよ。これからも、ずっと……」

こんなに好きでいてくれてるのに申し訳ないという気持ちと、アウトサイダーじゃなくても俺を好きになってくれたのだろうかという不安がない交ぜになる。しかしそれを言葉にする勇気はない。仮にダヴィットが否定してくれても、俺がそれを素直に信じられるだろうか。

「……リーヤ」

「え?」

ダヴィットの手にいつの間にか握られていた紐が俺の手首にかかる。手際よく縛られていくのを見ても、俺は事態がうまく飲み込めなかった。

「ちょ、何これ」

「すまない、リーヤ。許してくれ」

俺の肩にそえられた手によってベッドの上に押し倒される。覆い被さってきたダヴィットが肩口に顔をうずめる。

「な、何してんだよ! ふざけんな! 今すぐどけ! んで紐はずせ!」

「……」

「おい、俺は怒ってるんだぞ。さすがに紐で縛るのはナシだろ。何の真似だよ。ほら、さっさと外せって」

この時の俺は、まだ何かしらの余裕があった。ダヴィットが俺の嫌がることを無理矢理するなんてあり得ないことだったし、これもまたあの薬の事件のように彼がやり過ぎただけなのだと、そう思っていた。だが、

「う、あ…っ」

首筋に鋭い痛みが走る。噛まれた、と気づくまでにずいぶんと時間がかかった。そして理解すると同時に言い様のない不安が襲ってくる。

「……い、嫌だ。放せ!」

「なぜだ、私達は婚約者同士だろう?」

所詮、俺達は仮染めの婚約者だ。ダヴィットもそのことをきちんとわかっているはずなのに、なぜそんなことを言うのだろう。

「だとしても、こんなのおかしいだろ! いっ……」

噛まれた部分を舐められ痛さに涙が滲む。服をたくしあげられ肌を直接撫でられた。

「ダヴィット、何のつもりだ」

「……」

「…一体どうした? お前、変だぞ。何かあったのか?」

呼びかけても反応はない。ただ氷のような冷たい目で俺を見下ろすだけ。

「……こんなことされても、リーヤはこいつの心配をするんだな」

「?」

何かをぼそりと呟いたダヴィットは、そのまま俺の腕を片手で拘束し、もう一方の手で身体に触れてくる。いつものスキンシップとはまるで違う触り方に、必死に抵抗しようとするも太ももを膝で押さえつけられ身動きがとれない。

「何すんだよ! やめ…っ」

「うるさい、静かにしろ。喋れなくされたいか」

乱暴に口を塞がれ、まるで俺を憎んでいるかのように睨み付けられる。
ダヴィットのその目に、俺は間違いなく恐怖を感じた。殺されるのではないかというぐらいの、身も竦むような恐怖。己の勘が叫んでいる。これは違う、と。
俺は無我夢中で男の手から逃れ、叫んだ。

「お前っ、お前ダヴィットじゃないだろ! ダヴィットはこんなこと絶対にしない! いったい誰なんだよ! 誰がこんな……っ」

必死になって叫んでいた俺は、当たり前のことに気がつき口を噤む。ダヴィットじゃない。なら目の前の男は誰かなんて、考えなくてもわかる。でも。


「……嘘だ、そんなわけない」

首を振って否定する俺を見下ろす男は、ダヴィットが俺には絶対に見せない表情をしていた。でもこの冷たい目には見覚えがある。




「よく気づいたな。――やっと見分けてくれて嬉しいよ、“兄貴”」


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あきゅろす。
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