先憂後楽ブルース
意味のある会話
フランカ様にすげなくお断りをされた俺は意気消沈のままいつも通りハリエットに泣きついた。彼女の部屋に行く時、なぜかクロエもついてきたが、突然現れた俺とクロエにハリエットはさして驚くことはなかった。彼女は忙しいのか顔が少しやつれ気味で不機嫌だった。
「その辺にテキトーに座って。お茶は出せないけど」
「ハリエット、もしかして忙しかった?」
「殿下の分をフォローしてるから。でも大丈夫よ。ちょうど休憩しようと思ってたし」
彼女は使っていたパソコンの前から離れ、俺達の前に腰を下ろす。目頭を押さえて深くため息をついた。
「で、今さらいったい何の用なの? 私を袖にしていたくせに」
「そ、袖?」
「リーザ様が来られた時も、身代わりの契約をした時も、そこの男が来た時ですらその場に居合わさせてもらえなかったのよ」
「いやでも、それは俺の判断じゃないから」
「ふん、私なんかただの殿下のお茶汲み要員ですよ……」
「別にいいじゃねえか、お前ただのバイトなんだし」
「バイトじゃない! だいたい、クロエはなんでここにいるのよ」
「仕方ねぇだろ。こいつが帰って来ねえんだから」
「はーん、相変わらず鬱陶しい関係ってわけね」
クロエと俺の仲が鼻に付くらしいハリエットは不快そうに俺達二人を見比べる。これ以上話がそれると面倒臭そうなので、俺はさっさと本題に入った。
「は? フランカ様に帰ってもらう方法? そんなものないわよ。あったらとっくにやってるっての」
「えぇっ!」
「あの方が帰る気にならない限り無理無理。ストレートに頼んだって無駄よ。自分中心でいらっしゃるから」
言われてみれば確かにハリエットの言う通り、そんな方法があるならとっくにやってそうだ。しかし知能派のハリエットですらお手上げでは、策なんてないのではないかと不安になってくる。
「頼むハリエット! もう1回だけ考えてみてくれないか。ハリエットだって、ダヴィットが危険な目にあうの嫌だろ?」
「嫌とかそういう問題じゃないけどね……。まぁそういうことなら、ローレン様にも知恵を絞ってもらえるよう頼んでみましょう。あの方なら何かしらの解決策を授けてくださるんじゃないかしら」
「ローレンに?」
彼こそ、もし何か策があるならとっくに講じてそうなタイプだが。だが同時にローレンはひどく悪知恵が働く男でもある。
「ちょっと待ってて、ローレン様に連絡してみるわ」
「連絡って…どうやって?」
「そりゃメールで」
「メールで!?」
一国の王子様相手にメールって何だ。フランクすぎやしないだろうか。
俺の不安をよそにハリエットはポチポチと携帯で文字を打っていた。そしてその数分とたたないうちに、本当にローレンはやってきた。
「やっほー、リーヤ。クロエにハリエットも。調子はどう?」
軽い。しかもこんな簡単に呼び出せる王子ってのもどうなんだ。なんだか家来達が気楽に付き合える理由がわかった気がする。
「はい、コーヒー。確かブラック飲めたよね」
手に持っていたトレーの上のコーヒーをハリエット前に置く。彼の優しい気遣いにハリエットの目はキラキラと輝いていた。
「ハリエット、お仕事お疲れ様」
「ローレン様…なんてお優しい! ありがとうございます!」
「いいよこれぐらい、あ、リーヤ達もどうぞ」
俺達の前にも置かれる2つのコップに、感激しきりの俺は頭を下げる。一方クロエはちらりとコーヒーに目をやっただけで、また本に視線を戻した。……お前、王子様の淹れてくれたお茶にもっと興味を示せよ。
同い年なのにずっと大人な男、ローレンは俺の話を聞いてにこにこと微笑みあっさり答えた。
「フランカ様が国に帰りたくなる方法? んー、思い付かないなぁ」
「そんな!」
机に頭を打ち付けるほど落胆した俺だが、その場でガクッとなったのは俺1人だけだった。ハリエットは当然だという顔をしているし、クロエはくだらないと言わんばかりの呆れ顔だ。
「つうか今思い出したけど、お前弟に嫌われてるって言ってたじゃねえか。お前だって好きじゃなかったみてぇだし、もうそんな奴ほっといてうちに帰ろうぜ」
「それは昔の話! 仲直りしたって言ったろ!」
「えー、カキノーチったら意外ね。鬱陶しそうだから向こうに嫌われてたってのはわかるけど。どうして嫌いだったの?」
前半どういう意味だコラ。ほんと失礼なことをずけずけ言ってくれる奴だな。そして人が言いたくないことを訊いてくる奴でもある。
「……俺はただ、僻んでたんだよ。弟は俺よりずっとできた奴だったから。まぁクロエにガツンと言われて目が覚めたんだけど。あいつだって努力してるんだから、何もしてない俺より秀でてて当たり前ってな。なんでそんな当たり前のことに気づかなかったのかって自分が馬鹿らしくなるよ」
俺のせっかく我ながら恥ずかしい告白にハリエットは難しい顔をした。また説教じみたことを言われるのかと構えていたが、ハリエットの口から出た言葉は意外なものだった。
「でも、努力だけじゃどうにもならないこともあるでしょ。見た目とか運動神経とか。持って生まれた才能だわ。そこも踏まえて、カキノーチはなんとも思わなくなったわけ?」
「……」
まさかそんなことを彼女に指摘されるとは思わなくて、俺は固まってしまった。確かに、努力だけでは到底手に入らないものをリーザは持っている。俺がいくら欲しくても得られないものだ。けれど今の俺は本当に、羨ましくはあれど弟を妬んだりなどしていない。前はあんなに疎んじていたはずなのに。
「だいたい僻むなんて、カキノーチらしくないと思うわ。何か、きっかけでもあったんじゃない?」
「きっかけって言われても……。親が、弟ばっかり可愛がってたから?」
「それ、今は違うの?」
「いや、特に変化はないけど。でも、母さんに愛されてる自覚はできた。この世界に来るまで、俺は母さんに嫌われてると思ってたから」
父さんは相変わらず弟贔屓だが、母さんは前から俺達を平等に愛してくれていた。それを俺は気づけなかったんだ。確かによく弟と比べられて傷ついていたが、きっと母さんなりに発破をかけていたのだろう。
「だったら、何でカキノーチはお母さんに嫌われてると思ってたの?」
「なんで……」
弟の方が母さんに褒められていたから……と答えようとして俺は口をつぐんだ。いや、違う。そんな曖昧な理由じゃない。そう、俺は誰かに言われたのだ。母さんは、俺のことを疎ましく思っているのだと。
「そうだ、あいつだ……」
「え?」
「……弟に、言われたんだ。母さんは、俺のこといらないって思ってるって」
「なら、答えは簡単ね」
ハリエットはローレンが用意してくれたコーヒーに口をつけ、カップを音をたてることなく戻した。
「カキノーチが弟を嫌っていた理由は、僻んでたんじゃなくて酷いことを言われていたから。弟に嫌われていたから、嫌いだったのよ」
「…で、でもリーザは、ほんとは俺を嫌っていたわけじゃないんだよ。ただちょっと、素直じゃなかっただけで」
「あら、そんなの兄弟喧嘩の枠を越えた暴言だと思うけど。明らかに許されるレベルじゃないわ。しかもずっとそんな状態だったわけでしょ? 完全に嫌われてるわよ、カキノーチ」
ハリエットの言葉がずしんと俺の心にのしかかってきた。というか何でこんな話になってんだよ。うなだれ落ち込む俺の肩をローレンが優しくなでてくれた。
「でもさ、仮にリーザが本当にリーヤを嫌っていたとして、理由は何なのかな。今は本当に、リーヤを好いていると思うし」
「そうなんですか?」
「うん。びっくりするぐらいのブラコンだったよね。お互い」
ローレンの言葉にちょっと復活する俺。しかしあそこまで嫌われる理由などすぐに思い付かない。
「俺が、リーザを嫌ってたから。それがあいつに伝わったとか?」
「馬鹿、それじゃ堂々巡りじゃない。鶏と卵みたいに、どっちが先かって悩むはめになるわ」
「うーん、確かに」
人の家庭の兄弟不仲について真剣に悩むローレンとハリエット。本を読みながらも話を聞いていたらしいクロエが、俺の一番言いたかったことを代弁してくれた。
「……つーか、どうでもよくね? そんなこと」
王子とその兄の側近に対して、こんな遠慮なしに口をきける一般市民はこいつだけかもしれない。しかし二人とも特に気を悪くした様子はなかった。
「あら、日常の矛盾を探求してこそ、真実が見えてくるものなのよ」
「いや、リーヤの家庭事情の真実が見えても仕方ないだろ。そんなことよりあのフランカ様とやらを帰す方法考えろよ。リーヤが昔弟に嫌われてようが、いま好かれてんだったら問題ねぇだろ」
「うん、もっともだね」
ローレンの鶴の一声にハリエットもおとなしく頷く。もともとあまり興味ある謎ではなかったようだ。俺の心には妙なしこりができたわけだけど。
そんな無駄な前座を終えた上で、俺達はようやく話し合いをすることとなった。
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