先憂後楽ブルース
友達と弟と婚約者と
「クロエ!」
俺が中央ロビーに行くと、そこにはイライラした様子で足を踏み鳴らす男がいた。俺に気付いた彼は顔を般若のようにしながら近づいてきた。
「リーヤ! てめぇ!」
「ひ、久しぶり……」
クロエの奴、ちょっと見ない間にすごく成長した気がする。この威圧感がそう感じさせているのかもしれないが。
「久しぶりじゃねえ! どうして俺の家に来ないんだよ!」
「え、だって今まで実家に帰ってたし……」
俺があの家に会いに行かなくなったのはジーンのことが大きいが、クロエだって俺を避けていたはずだ。喧嘩別れして以来、まったく音沙汰なかったくせになぜ今一方的に責められなければならないのか。
「いいから、さっさとこんなとこ出るぞ。みんな待ってんだから」
「だ、駄目だって! タワーを離れるわけにはいかない」
「あ?」
「ここには、いま俺の弟もいるんだよ」
その時のクロエの反応は意外にも驚愕のそれではなかった。もしかしてこいつはリーザのことを知っていたのか? いや、まさかそんなはずはない。だがここに来てからまだそれほど時間がたっていないのに、クロエは俺を迎えに来た。エクトルの情報はそれほどまでに早いのだろうか。
「俺の弟が来てるって、エクトルから聞いたの?」
「はぁ? 何であいつが出てくんだよ」
「え、だって…」
「あいつはお前が来たことすらまだ知らねえだろうぜ」
「……?」
ならばなぜ、クロエは俺の来訪を知ったんだ。情報の早い身内といえば彼しかいないだろうに。
「離れたくねぇなら弟もうちに連れてきたらいい。1人も2人も一緒だ」
「だからリーザは今、ダヴィットのふりをしてて」
クロエの奴、身代わり作戦のことは知らないのか。どうしてそんなに情報に偏りがあるのだろう。
「てかクロエ、エクトルじゃないなら誰に俺のことを…」
俺が彼に訊ねようとするも、クロエは俺の話をまるで聞いていなかった。ただでさえ大きな目をまん丸くさせながら、長い睫毛を瞬かせ、俺のはるか後方を凝視している。
「……リーヤ。あの馬鹿王子は、分裂でもしたのか?」
「え、あ、リーザ!」
振り返った先に二人のダヴィットとジローさん、ローレンの4人がいた。なぜ全員でここに来てしまったのか。そしてやっぱり弟とダヴィットの違いが俺にはわからない。おそらくは不機嫌なのがダヴィット、クロエの筋肉美に圧倒されているのが弟だろう。
「クロエ、私の城に何の用だ」
「お前にじゃなくてリーヤを迎えに来たんだよ」
「クロエ! わっ、本物だ!」
ダヴィットの横にいたローレンがクロエを見てはしゃぎ、子供のように駆け寄っていく。まるで有名人にでも会ったみたいだ。だいたいなぜ彼はクロエのこと知っているのだろうか。レジスタンス暫定2位という肩書きのせいか、ただ単にダヴィットがローレンに何か吹き込んだけなのか。
「初めまして、君の噂は色々と聞いてる。僕は弟のローレンだよ。」
「……お、弟?」
「君があのクロエなんだね。会えてとても嬉しいよ。ぜひ僕とも仲良くして欲しいな」
「ローレン、こいつと親しくなる必要はないぞ」
「ダ、ダヴィット」
ダヴィットがクロエの神経を逆撫でする前にと二人の間に入る。クロエの頭に血が昇ったら俺を無理やり家に連れ帰りかねない。そんなことになったら非常に困る。
「リーヤ、どうして奴を庇う。こんな男、さっさとここから追い返してしまおう」
「そういうこと言うなってダヴィット。クロエが本気にするだろ」
「本気にするも何も、本気なんだが」
「そうじゃなくて! クロエが本気で怒るだろって話!」
「本気で怒る? 怒っているのか、クロエ」
俺達の視線を一身に浴びるクロエ。けれど特に気を悪くした様子もなく、彼はただ困惑し立ち竦んでるだけだった。
「……いや。ていうか何で全員、後ろにいるバカ王子のクローンっぽいのをスルーしてんだよ。もしかして、俺にしか見えないのか?」
「あ」
俺達の中では周知の存在だったリーザだが、クロエにとってはちょっとした超常現象だ。一番始めに説明してやれよ、俺。
「クロエ、こいつはダヴィットじゃなくて俺の弟。リーザって言うんだ」
「え? あの胡散臭い金髪がお前の弟じゃねえの?」
「違うって、ローレンはダヴィットの弟!」
俺のおざなりな説明を聞き、戸惑ったように俺達を覗うリーザと笑顔のローレン。二人をさんざん見比べたクロエが遠い目をしてぼそりと呟いた。
「意味わかんねぇ…」
「……」
だろうな。俺も自分がクロエの立場だったら理解できなかった。しかしだからといって考えるのを放棄するのはやめてくれ。
「初めまして、リーヤの弟のリーザ・垣ノ内といいます」
「……どうも」
差し出されたリーザの手を握りながら、どうして顔がダヴィットなんだという疑問が表情にありありと出ているクロエ。説明してやりたいが俺にだってわからないのだから何も言えない。
「リーザ、こんな男を覚える必要はないんだぞ。すぐいなくなる男だからな」
「クロエ! ちょっとこっち来て!」
これ以上ダヴィットとクロエを一緒にしてはいけない。そう確信した俺はクロエのたくましい腕を掴み、その場からさっさと逃げ出した。
人気のないところまでクロエを引っ張っていた俺は、周りに誰もいないことを確認してからリーザのことを話した。俺の弟がなぜかダヴィットと瓜二つだということ、そして暗殺を防ぐために身代わりとなったこと。そして、それが一段落するまでは俺は弟の側を離れるわけにはいかないことをできるだけ簡潔に、わかりやすく伝えた。
「……というわけで、俺はお前とは行けないんだ。わかってくれ、クロエ」
「そんなことはどうでもいい」
「ど、どうでもいい?」
俺なりに一生懸命、クロエにも理解してもらえるよう説明したのに、どうでもいいとはどういうことだ。自国の王子の命がかかってるんだから、もっと興味ある素振りをしろよ。
「俺が言いたいのは別のことだ。問い詰める間もなく向こうに帰りやがって」
「? なんだよ」
「お前、あの馬鹿王子と婚約したらしいな」
「う」
クロエに痛いところをつかれた俺は反射的に顔をひきつらせる。そう、あの婚約は全世界に向けて発信されたのだ。目の前の男の耳に入らないはずがない。
「あのバカ王子と結婚するつもりか」
「いや、けしてそういうわけでは。将来的にどうなるかは誰にもわからない、といいますか……」
「はあ? ふざけんなよテメェ」
2つの鋭い瞳に睨み付けられ俺はしどろもどろになる。クロエはどうやらかなり腹をたてているようだ。
「なんだよ! 別にクロエに関係ないだろ! しょーがないじゃん。ダヴィット、俺のせいでDBと政略結婚させられそうになってたんだから!」
「だからって結婚する気もねぇくせにホイホイ婚約すんな。何の解決にもなってないんだよ。このままほんとに結婚させられても文句は言えねえぞ」
「……!」
クロエの言葉に軽く衝撃を受けるお馬鹿な俺。自分でもわかってはいたが改めて他人に言われるとショックだ。
「とにかく! 俺はここから絶対動かないからな。少なくとも弟がいるうちは」
「…だったら、俺もここにいる」
「――え」
何か聞こえないはずの台詞が聞こえた気がする。困惑する俺にクロエは大真面目な顔をして告げた。
「だから、俺もしばらくここに住むって言ってんだかよ。弟の件が片付いて、お前が家に戻って来るまでな」
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