先憂後楽ブルース
身代わりの条件
「み、身代わり……?」
その言葉があまりにも衝撃的で思わず顔をひきつらせたまま凍りついてしまう。そんな俺の反応を見たローレンが慌てて説明を付け加えた。
「いや、身代わりという言い方は悪かった。早い話、リーザには兄とまったく同じ格好をして、兄としてここで生活して欲しいんだ」
「……それには、どういう効果があるんですか?」
絶句する俺の代わりにリーザが訊ねる。こいつにしてみれば大変な状況であろうに、恐い程冷静だ。
「リーザ、君は兄の生き写しだ。僕らでも見分けがつかないくらい。それはつまり、敵からも君は兄さんと瓜二つということだ。兄を暗殺しようとしても、どちらがアウトサイダーでどちらが王子なのかわからなければ手は出せない」
「でもそんなの、どっちも殺されるだけなんじゃ……」
俺が控えめに意見を差し挟むも、ローレンはすぐに首を振った。
「いや、それはありえない。兄さんを暗殺しようとしている奴らこそ、アウトサイダーを傷つけることを一番恐れている連中なんだから。僕らはアウトサイダーのリーザと兄さんが同じ顔であることをわざと公表し、奴らの攻撃を防ぐ」
「本当にそれで、ダヴィットもリーザも殺されたりはしないの?」
「ああ、もしそんな危険があるならこんなことを頼んだりしない。リーザと兄さんは必ず守ってみせる。だからどうか僕らを信じて欲しい。…どうかな、リーザ」
ローレンに視線を向けられ、リーザは難しい顔をしながら耳の後ろを引っ掻いた。そんな弟の姿――“癖”を見て、ジローさん達は驚いているようだった。俺も経験者だからその気持ちはわかる。
「……わかりました。俺、やります。是非やらせてください」
数秒間の逡巡の後、リーザははっきりと、そしてあっさり言い切った。その瞬間、俺は考えるまでもなく間髪入れずに口を開いていた。
「俺は反対です。リーザにそんなことは絶対にさせられない」
「リーヤ様、」
俺の言葉を聞いた途端に、ジローさんとダーリンさんが身を乗り出し頭を下げてきた。まるで俺が断ることを見越していたかのようだ。
「な、何してるんですか二人とも。頭を上げてください!」
「お願いいたします! リーヤ様。どうか、殿下をお助けください!」
「……っ」
そう懇願するダーリンさんの声は震えている。もしかしたら泣いているのかもしれない。
「僕からも頼むよ。リーヤ、兄さんを助けてくれ」
「無理な願いであるのは承知の上です。リーヤ様、どうか、どうか…!」
「……」
ローレンやジローさんにまで頭を下げられ、俺は途方にくれてしまう。俺だってダヴィットを助けたいという気持ちはあるが、そこに弟が関わってくるとなると話は別だ。俺の本心をありのままに晒して弟とダヴィットを天秤にかけたとき、どちらに傾くかは明白なのだから。
けれど今、ダヴィットは俺のせいで命を狙われている。俺にできることなら何でもするべきだろう。それでも……。
「兄貴、俺のことなら気にしなくていい。やるよ、俺」
「駄目だ、リーザ。どんな危険な目にあうかわからないのに、どうしてそんな簡単に引き受けちゃうんだよ」
「だったら兄貴は、俺と一緒に家に帰るか? 今すぐに」
「え?」
「それで兄貴がここに二度と来ないって約束するなら、俺はこの人達に協力はしない」
「リーザ…?」
どうして弟がそんなことを言うのかがわからなくて、俺は戸惑ってしまう。無論、いくら弟の頼みでもこんな大変な時にすべてを放り投げて家に逃げ帰るなんて、そんな無責任ことはできない。リーザは最初からそんな俺の答えがわかっていたようで、視線をそらすと頭を下げているローレン達に向きなおった。
「もしこの世界に来ることができなければ、俺は死んでいたかもしれません。呼ばれた理由があるとすれば、それはダヴィット殿下を手助けすることかと思います。兄貴がここにいる以上、俺にできることはやらせてください」
「……」
先程の俺への言葉なんてなかったかのように、兄よりずっと大人の対応をみせる弟。「ありがとうございます!」 とジローさん達はリーザに頭を下げていた。
「リーザ、お前だけでも家に帰っていいんだぞ」
「いや、俺は兄貴と一緒にしか帰らない」
「どうして?」
断言する弟に俺は顔をしかめる。リーザは少し迷うような仕草を見せた後、俺の服の裾をそっとつまんだ。
「……兄貴が、心配なんだ」
「心配? 俺が命を狙われてるわけじゃない。何を心配するってんだよ」
「そうじゃない。俺が心配なのは…兄貴がもう、家に帰ってこないんじゃないかってことだ」
「帰ってこない、って」
なぜそんなことを思うんだろうと首をひねる俺の横でリーザは真剣な表情をしている。何か誤解をさせてしまっているのではないかと不安になった。
「何でリーザがそう思ったのかはわからないけど、俺はちゃんと帰るよ。今までだってそうだったんだから」
「でも兄貴は少しずつ、ここにいる時間が長くなってるはずだ。兄貴の家政婦さんが言ってたよ。前はたまに家に帰らないぐらいだったけど、冬休みなんかほとんど外泊してたって。休みのたびに泊まりに行って、だから母さんに連絡が入ったんだ。……俺は絶対に兄貴を連れて帰る。一緒じゃないと帰らない」
しょげたような顔をした弟が額を俺の肩に乗せる。こんなの、いつもの弟らしくない。いきなり異世界に飛ばされて、端からは落ち着いているように見えていても、本当は精神的にまいってしまっているのかもしれない。
兄らしい振る舞いをするべく、俺は弟の肩をそっと抱いた。すっかり2人の世界に入ってしまっている俺達を見て、ジローさん達は一度は上げかけた頭を慌てて下げる。少しばかり行き過ぎた兄弟愛を見てどういう顔をすればいいのかわからない、って表情だ。気まずい思いをさせてしまっただろうか。
「……わかったよ、リーザ」
一番混乱しているはずの弟は、今の自分にできることを冷静に考えている。身代わりの危険性だって承知の上だろう。俺は未だに頭を下げたままのジローさん達に向きなおった。
「3人共、頭を上げてください。弟がこう言っている以上、俺はもう止めません。ただ、弟を無傷で俺に返すことを約束してください。俺には暗殺者から弟を守る力がありません。だから、どうかリーザをお願いします」
「もちろんです、リーヤ様! 本当にありがとうございます!」
さらに深く深く頭を下げる3人に何とも言えないいたたまれないものを感じてしまう。暗い表情の俺をリーザがじっと見ていたので、大丈夫だよという意味をこめて頭を撫でた。
「俺は必ず、リーザと一緒に向こうに帰るから。だからリーザは、俺のことより自分の心配してな」
「……」
頷こうとしない弟の肩を俺はそっと抱き寄せる。こんなこと普段なら人前では絶対に照れ臭くてできない。それ以前に恥ずかしがりな弟が真っ先に嫌がるはずだ。
「約束だからな」
「ああ、もちろん」
だいたいこんな約束などせずとも俺はちゃんと家に帰る。いつもそうしていたのだから。リーザが不安になる必要はまったくない。
そう、まさかこの約束が破られることになるとは、この時の俺は思ってもみなかったのだ。
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