先憂後楽ブルース
運命のコンタクト
それは、フランカ様達が来日して数日ほどたった日の午前中、俺が運動不足を解消するため長い廊下を歩いていたときのことだった。護衛はいらないとはっきり言ってある俺は1人であてもなくぶらぶらしていたわけが、前方に見慣れぬ黒服集団が通り道を塞いでいるのが見え思わず立ち止まった。彼らは俺の存在に気がつくと背筋を伸ばして敬礼した。
「アウトサイダー様、申し訳ございません。ただ今ここを通ることができぬ状態になっておりまして――」
「何かあったんですか?」
「それが…」
言葉を濁す男の向こうを覗くと、そこには数人の黒服の男と1人の赤毛の女性がうずくまっていた。どこかで見たことあるような後ろ姿だと思った俺は、顔を見るため彼女に近づこうとした。
「あの、ちょっとすみま――」
「「動かないで!」」
足を踏み出そうとした瞬間、その女性と黒服達がいっせいに叫んだ。あまりのヒステリックな反応に、俺は地雷でも埋まってるのかとちょっとビビった。
「な、何…?」
「ごめんなさい! 私、ここにコンタクトを落としてしまって…っ」
四つん這いになっている女性が泣きそうな声で事情を説明する。驚くべきことに彼女はあのダヴィットの婚約者候補の1人、レイチェル・D・ブルー様だった。
「だったら俺も一緒に探します」
「えっ、いえ、そういうわけには…」
「手伝わせてください。どうせ暇ですから」
「…すみません、ご親切にありがとうございます」
黒服集団には止められたが俺もレイチェル様と同じように床に這いつくばって目を凝らした。踏み潰さないよう慎重に少しずつ前へ進んでいく。
「ここで落とされたのは間違いないんですか?」
「はい。お手数をおかけして本当にすみません。それにしても、あなた様の声……失礼ですが、もしかしてアウトサイダーのリーヤ様でしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「まあ! 私ったら、気づかず申し訳ございません! 今はまったく見えていないもので…」
「いえいえ」
レイチェル様は謝りながら俺がいる方向とはややズレたところを見ていた。どうやら目が悪いというのは本当のようだ。しかもかなり重度に見える。
前回はフランカ様に気をとられていたので、こうやってレイチェル様をじっくり見たのは初めてだが、思ったよりもずっと綺麗な方だった。そしていい人そう。フランカ様のような華やかさはないが、笑うととても愛嬌があって……あれ。
「すみません、少し失礼します」
首もとに小さく光るものが見えた俺はレイチェル様に断りを入れ、手でそっとつまむ。丸い小さなそれは間違いなくコンタクトだった。
「レイチェル様、襟のところについていたこれ、違いますか?」
「え?」
レイチェル様の手のひらに光るコンタクトをのせると、彼女はそっとそれに触れる。次の瞬間、彼女の肩の力がすっと抜けた。
「これですリーヤ様! ああ、良かった! まさかこんなところにあるなんで…」
受け取ったコンタクトを慣れた手つきで目の中に入れると、レイチェル様は俺の方を見て涙目になりながら頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございますリーヤ様! 何かお礼をさせてください」
「いえいえ、そんな大げさなことじゃないので、お気持ちだけもらっておきます」
「そういうわけにはまいりません。このコンタクトはとても貴重なもので、小さな島が一個買えてしまう程の値段がするんです」
「ええっ!」
お金持ちはお金の使い方が違う、とかいう問題ではない。そんな馬鹿高いコンタクト、俺ならば怖くて目の中になんか入れられないだろう。
「あの…これは普通のものとは用途が少し違うんです」
驚きがよほど顔に出ていたのか、レイチェル様が指で目を指しながら細かく詳しく説明してくれた。
「…実は私、10歳ぐらいのときに重い病気にかかって、それ以来目がまったく見えなくなってしまったんです」
「えっ? でも今は…」
「はい、今はリーヤ様のお顔がしっかり見えていますよ。このコンタクトのおかげで。私にとってこのコンタクトは視覚の補助ではなく視覚そのものなのです」
「……す、すごいですね」
このときの俺はレイチェル様が目が見えていなかったことよりも、その最先端技術を駆使したようなコンタクトに感嘆していた。この世界の数ある未来道具の中でも特に素晴らしいものの1つに入るだろう。
「それをつければ全て見えるようになるんでしょうか? 色とかまで?」
「はい、色は見えますが鮮明ではないんです。すべてぼやけてしまうので、小さな字は読めませんしリーヤ様のお顔だちもはっきりとはわかりません。水の中にいるようなものだと言えばわかりやすいでしょうか」
ぜひ俺の世界に持ち帰りたいと申し出たかったが、島1つ単位の値段だということを思い出し断念する。難病の治療法とは違うのだ。メカニズムがわかったところで俺のいた世界で開発できるとは限らない。できたとしても莫大な費用がかかるだろう。
「これは一度なくしてしまえば替えがきかない貴重なものなのです。リーヤ様、ぜひとも何かお礼を。でなければ私の気が済みません」
「……」
レイチェル様の言葉を聞いて断るつもりだった俺の頭の中にいい考えが浮かんだ。俺はできるだけ印象がよく見えるような笑顔をレイチェル様に向けた。
「ならば1つお願いを。俺に少しレイチェル様の時間を頂けませんか? 是非あなたと話がしたいんです」
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