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先憂後楽ブルース
嘘で塗り固めた嘘


「あ、あなたは…」

恐る恐る振り返った俺の視線の先にいたのは、その身に纏うゴールドのドレスに負けないくらい美しい、フランカ様の姿だった。ぶら下がって落ちかけている俺を見ても、フランカ様はいたって冷静に優雅な物腰で階段を登り始める。思いもよらぬ人物の登場に俺の頭はパニック状態だったが、彼女は落ち着き払った様子でこう言った。

「あら驚いた、あなたアウトサイダーの子じゃない。何してるのー? ……そんなところで」

フランカ様は初めて聞いたときとまったく同じ透き通った美しい声をしていたが、口調から受ける印象が少し違った。生粋のお嬢様にしては天真爛漫すぎる気がするが……いや待て、今はそんなことどうだっていい。俺はまさにこの瞬間、落ちて怪我をするかどうかの瀬戸際なのだ。ここは俺達の関係性にある些細な問題など無視してなんとか助けてもらいたい。

「お、俺は今、足をすべらせて落ちかけてます。できたら助けていただきたいです」

「え? なぁんだ、好きでそこにぶら下がっているのかと思ってたー」

「んなわけないじゃないですかー…」

口調は間延びしているが俺は必死だ。引きつった笑いを見せる俺に、フランカ様は口元に微笑を浮かべながら手すりにもたれかかった。俺を助けようとする気配はいっさいない。まさかこの人、このまま見捨てる気じゃないだろうな。

「実は私も、アウトサイダーにお願いしたいことがあるんだぁ」

「…な、何でも言ってください」

おいおい交換条件かよ!あくどいな! と心の中で毒づく俺に、フランカ様は可愛く手を差し出した。

「サインちょうだい」

「――…は?」

「だからー、サインちょうだいって言ってるの。アウトサイダーに会ったこと、友達に自慢するんだから」

「書けるかこんな状態で! 落ちるだろーが!」

「書いてくれないの…?」

はっ、やばい! 年上の美麗権力者に楯突いてしまった。だって頼みっていうから、てっきりダヴィットのことは諦めろとか私の邪魔はするなとかそんなことだろう思ってたのに、サインって。助けてもらわなければならないはずの相手に、思わずタメ口で突っ込んでしまったじゃないか。

「ああっ、生意気な口聞いてすみません! 俺なんかのサインでいいならいくらでも書きますんで、どうか俺を引き上げてください!」

「わかったー」

「え。わ、わかった?」

意外とすんなり頼みをきいてくれたフランカ様は、俺がつっかえた柵の間から細い腕を通し、俺の手首をつかむ。

「もー、引き上げてほしいなら早くそういえばいいのにー。別に腕だけで身体を持ち上げられないのは恥ずかしいことでもなんでもないんだぞ。ふふっ、この照れ屋さん」

「別に照れてないです」

彼女はクスクス笑いながら握っていた俺の手首を引いていく。え、嘘。まさかそのまま俺を引き上げるじゃないだろうな。絶対無理だろ、そんなか細い腕じゃ。

「よっこらしょ」

だが俺の杞憂をよそに、フランカ様はおっさんくさいかけ声と共に腕一本で俺の身体を支え持ち上げた。そんな力がどこにあるのか、華奢でか弱そうなフランカ様に易々と助けられ、俺はそのゴリラのような腕力に言葉が出てこなかった。

「どうしたのー? 怖かったの? 大丈夫?」

「だ、大丈夫です」

「なら早く、早くサイン書いて。ねっ」

フランカ様は懐からペンとメモ帳を取り出し、俺にぎゅっと握らせる。勢いに圧倒された俺は諸々の疑問を放置して自分の名前を書いた。

「フランカさんへでよろしくー」

「カタカナでいいですか? 筆記体下手なんで」

俺のつたない字のサインを書いたメモ帳を返すとフランカ様は目をキラキラさせながらそれを受け取った。

「ありがとう。一生大切にするね」

素早い動きで手を握られ満面の笑みで俺と握手をかわすフランカ様。いったいなんなんだ、この状況。

「フランカ様、ここで何なさってたんですか?」

「んー、散歩」

「散歩…」

「楽しいよ? 散歩。ここのお城の構造おもしろいし、頼んだらどこにでも入れるようにしてくれたし」

ああ、なるほど。だからフランカ様がこんなところにまで来れたのか。だが日本はこのお姫様に対して寛大すぎやしないだろうか。

「で、そういうリーヤ君は何なさってたんですか?」

フランカ様は俺の口真似をしながら楽しそうに訊ねてきた。どうやら俺の名前覚えていてくれたらしい彼女に、俺は好感を持ち始めていた。遠くから見るだけでは美しいだけの人だが、話してみるとこんなにも可愛らしい。フランカ様に名前を覚えてもらえるなんて、身に余る幸せだ。

「俺は気分転換でここにいます。ローレンが誘ってくれて…彼とすれ違いませんでしたか? ほら、あのダヴィットの弟の」

「知ってるよー、ローレン君。私の国にいた子だもーん。でもリーヤ君と仲良しなのは知らなかったなぁ」

「いや、昨日会ったばっかりなんですよ。でも俺が落ち込んでたのに気づいて、気を使ってくれたみたいで」

「ふーん、お人好しなんだねー」

楽しそうに頬杖をつくフランカ様の腕はほっそりとして今にもポキンと折れそうだ。この腕が俺の全体重を支えていたのかと思うと怖いものがある。

「…フランカ様って、すごく力持ちだったんですね。びっくりしました」

「え? あー、だってもし私みたいなキレーなお姉さんが弱かったら、すぐ男に襲われちゃうと思わない? ね、リーヤ君だってそうでしょー?」

「へ!? いや、俺は襲わないですけど」

「やだ、襲う方じゃないよー」

「襲われる方!?」

フランカ様の発言に軽くショックを受けた。俺はまるでこの人に男扱いされていないようだ。

「そう。だってリーヤ君、同性愛者でしょ」

「うっ、それはちょっと違…」

「隠すことないよー、みんなが知ってることだもん」

みんなが知ってる!? なんだそれ、初耳だぞ。あれか、ダヴィットと婚約してるなんてことになってたからなのか。

「結構可愛い顔してるから、リーヤ君を抱きたいって男の人はたくさんいるんじゃなーい? ダヴィットと別れてすぐだから、今はフリーなわけだし」

「……っ」

ねー? と可愛く小首を傾げるフランカ様を見て、俺はお互いの立場を思い出した。そう、彼女はいわば敵なのだ。恋敵…とは違うが、俺は彼女とダヴィットの婚約が破棄になることを望んでいる。

「フランカ様、いくつか質問してもよろしいですか」

「ん? いいよー」

「…フランカ様は、ダヴィットのことが好きなんですか」

俺が緊張しながらも勇気を出し訊ねた質問を聞いて、世界一の美女は可笑しそうにクスクスと笑った。

「なにそれ。恐ーいお顔してたから何かと思えば、それってそんなに大事なことー?」

なにがそんなに可笑しいのか、フランカ様は笑い続ける。ようやく笑顔を引っ込めたと思えば、うろたえる俺の前に人差し指を突き立てた。

「答えはノーよ、リーヤ君。私は彼を愛してはいないわ」

「な……」

フランカ様の美しい瞳は真っ直ぐ俺を見つめ、嘘偽りないことを物語っていた。彼女がダヴィットに一目惚れしたという話を馬鹿正直に鵜呑みにしていた俺は自分のことのようにショックだった。ダヴィットにもフランカ様にもその意志がないのに、なぜ2人は結婚しなければならないのか。

「じゃあどうして、フランカ様は好きでもない男との結婚を申し出たんですか」

「やだ、怒らないでリーヤ君。だって私のテオが困っていたし、私は今年で24なんだもん。どの道すぐに否が応でも見知らぬ男と結婚させられるんだから、どうせならテオの役にたちたーいと思ったの」

「テオ?」

「私の弟、すんごく可愛いんだから」

ああ、そうだ。たしかフランカ様の弟、テオドールがDBの今の国王だとローレンが言っていた。2人は異母姉弟ではなく、同じ母親から産まれた姉と弟だ。

「つまりあなたは、テオドール陛下のために結婚するっていうんですか? でもフランカ様が何もしなくても、レイチェル様とダヴィットが結ばれればそれでいいのでは」

納得できない俺に対して、フランカ様はつまらなさそうに形の良い唇をぎゅっと結んだ。

「………ほんとはね、リーヤ君を口説けたらそれが一番いいの」

「え?」

突拍子もない話に俺は頭がついていかない。俺を口説くって、この美しいフランカ様が?

「だってそうでしょー? 今回の結婚はアウトサイダーと日本の固ーい結びつきを消すためだもん。あなたをこちらのものにできたのなら、結婚なんてする必要ない。DBもそれを期待して私をここに来させたんだから。馬鹿みたいな話だけどー」

すっと顎に手をかけられ俺はすぐにでも逃げ出したくなった。けれど彼女の色香のせいなのか一歩も動くことができない。そんな俺を見て、フランカ様はすっと双眸を細め手を下ろした。

「でも、それは無理そうね。私はダヴィットを頂くことにするわ。この景色があなたの失恋の痛みを癒やしてくれるはずよ」

「…失恋の痛み?」

「ええ。私のせいで愛する男と引き裂かれ、哀れな貴方はこれ以上ないほど落ち込んでるでしょ?」

「……」

何だろう、今なにか引っかかった。俺は本当はダヴィットと恋愛関係にはなかったが、そのことを知っているのは俺の親しい人とフィースのレジスタンスチームの人間、そしてダヴィット本人だけだ。俺とダヴィットが婚約していると思われているからこそ、DBが手を打ってきたのだから。フランカ様の言葉におかしなところはない。でも、だとすればなぜ――

「それじゃあ私はダヴィットのところに行かせてもらうわ。ごめんなさいね、リーヤ君」

「……っ」

去り際に頬に軽くキスをされ、言葉にならない叫びがこみ上げてくる。硬直し唖然とする俺を残して、フランカはひらひらと手を振りながら去っていった。


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