先憂後楽ブルース
優しく哀しい心
「ラスティさんのことだって、あの人には本当によくしてもらったのに、どうしても好きになれないんだ。憎いとまではいかないけど、きっと妬んでるんだろうと思う」
「でも…それは仕方ないことだろ。ジーン自身がどうこうできる問題じゃない」
「いいや、僕は最低な人間だよ。クロエのことにしたって…」
「クロエ?」
なぜ彼がこの話題に出てくるのだろう。うなだれるジーンの肩に手を置きながら、俺は小さく首を傾けた。
「クロエがいる限り、僕は彼女に息子としか見てもらえない。僕は紛れもない、クロエの血の繋がった兄だから。ついそんな風に考えてしまう。…ほんとはわかってるんだ。クロエがいなくたって、タビサさんは僕のことを好きにはなってくれないって」
「ジーン、それは」
「ラスティさんとかわれるなら、何を捨ててもいいとさえ思える。…最低だよ、僕は」
うっすらと涙を浮かべるジーンに気づき、イルの言葉がよみがえる。男なら、抱きしめるか慰めるかしなさいよ! と耳元で怒鳴られた気がして、俺から顔をそむけるようにしてうずくまるジーンの肩を優しく抱きしめた。
しかしこう言ってはなんだが、俺にはジーンが心底惚れぬいているタビサさんのよさがあまりわからない。いや、すごく美人だし性格も家族思いで、欠点といえば口が悪いところぐらいなのだろうが、俺としてはゼゼのような子の方が魅力的な気がする。そこまで頭を悩ませなくとも、もっとジーンにお似合いの子がいるのではないか。勝手ではあるがついついそうやって考えてしまう。まあ、単に好みの問題だろうが。
「そんなこと気にする必要まったくないのに。むしろジーンみたいな良い人に、俺は会ったことないぐらいだよ」
俺としては思ったことをそのまま口にしただけなのだが、ジーンはそうは受け取らなかったのか力なく微笑んだ。
「リーヤ、慰めてくれるのは嬉しいけど…」
「慰めじゃない。だってジーンは、俺をあの家に住まわせてくれたじゃんか。他にも色々よくしてくれた。ジーンがいなければ、俺はここで生きていけなかったかもしれない」
「大袈裟だよ。それにリーヤを助けたのは、僕じゃなくてクロエだ」
「もちろんクロエにも感謝してるけど、ジーンに助けられたのは事実だろ。それに、ジーンは俺だけじゃなくてゼゼも助けたって聞いた」
得体の知れない奴を居候させ食事を与えるなんて真似、俺には絶対できない。あれで俺は本当に救われたのだし、ゼゼも心から感謝していた。
「…みんな、買いかぶりすぎなんだよ。僕のこと。僕がゼゼやリーヤをあの家に受け入れたのは、ほとんど自己満足だ」
「なんだよそれ、どういう意味?」
自己満足の意味がわからなくて思わず眉を顰める。俺がジーンの肩から手を離すと、彼はぽつりぽつりと話し出した。
「あの家は父にお金を出してもらって買った家なんだ。母さんは父さんから一切お金をもらわなかったのに、僕は我が儘をいって大金を使わせてしまった。子供が親の援助を受けるのは当たり前なのかもしれない。でも本来なら、あのお金は母さんのために使われるべきだったんだ。母さんは父さんに頼ることなく、ずっと一人きりで俺を育ててくれたのに」
後悔が滲み出るような声だった。ジーンの性格が消極的で意外だ、などですむ話ではない。彼の気持ちもわからなくはないが、子供なのだからもっと自分勝手に生きてもいいはずなのに。
「だから僕は、父にあの家を買わせた理由がほしかった。誰か自分以外の人のためになるなら、ここに住んでいて良かったと思えたから」
「……っ」
「…リーヤ?」
気づけば俺はジーンの肩を抱いていた手を引き寄せ、その身体を思い切り抱きしめていた。
まさか、ジーンがここまで追いつめられているとは思わなかった。彼は優しすぎるから、嫉妬や自己嫌悪でおかしくなっていく自分に耐えられなかったのかもしれない。
「俺はジーンに会えたことすごく感謝してるよ。この世界を好きになれたのだって、ジーンがいたからだ。ジーンが仲間に入れてくれたから安心できた」
一時、もう帰りたくないと思ってしまうほど、ここでの暮らしは満たされていた。それもこれも、すべてジーンが家族として受け入れてくれたおかげだ。
「リーヤは…僕を、わかってない」
「わかってるよ。俺のことを助けてくれた。それが本当のジーンだろ」
「……」
寄り添うように俺の肩に頭をのせ、ジーンはそれきり黙り込んでしまう。俺はすぐ隣にあった土で少し汚れた手に自分の手を優しく添えた。
「…リーヤ」
「うん?」
「話、きいてくれてありがとう」
「──うん」
俺の肩に寄り添うジーンが、いまどんな顔をしているかわからない。ひょっとして泣いているのだろうか。泣き虫のジーンのことだからあり得るかもしれない。俯くジーンとは対照的に、肩に彼の温もりを感じながら俺は空を見上げていた。まわりに街灯もネオンもないこんな真っ暗な場所では、星がすごく綺麗に見える。しばらくしてジーンが落ち着いたら、この夜空のことを教えてあげよう。きっととびっきりの笑顔を俺に見せてくれるはずだ。
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