先憂後楽ブルース
危険なハイキング
次の朝、早くからゼゼに弁当作りを手伝ってもらい、ジーンが帰ってくる頃にはすべての準備が完了していた。ネットで調べた情報によると、保護植物園とも呼ばれているその人工山はそれほど高さもなく、片道3時間程度で1日もあれば往復して帰ってこれる山なのだそうだ。しかしそれは麓から頂上までの話で、この家から歩いてスタートすると話が違ってくる。そういうわけで、少々邪道ではあるが山の麓までジーンの車に乗って移動することになった。
「すっげぇー…」
車を近場の駐車場に停止させて、俺はむし暑い日差しの下、目の前の植物園にいたく感動していた。生い茂った木々が綺麗に紅葉している。どこからどう見ても人工とは思えない、自然の山だ。
「これって本当に全部人工?」
「全部じゃないよ。植物は本物だし、元々あった丘を山にしたものだから。多分リーヤが想像してるような人工とは違うんじゃないかな」
「へぇー…」
この山を紹介しているサイトによると、近くで見なければわからないが山全体が薄い膜で覆われているらしい。書かれていた説明を深くは読み込まなかったため、細かいことは知らない。もう少しちゃんと調べてから来れば良かったと後悔しつつ、俺は比較的舗装されている山道へと足を進めた。
「あれ、なんか涼しい…」
「この境界線から先は温度設定されていて、地下扱いだからね。そのおかげで何時間でも動き回れるよ」
重そうなリュックを担ぎ上げ、ジーンが俺に笑顔で説明する。足元を見るとすぐ後ろにうっすら引かれた線が見えた。ネットにもそういった類のことが書かれてあった気がする。
「初心者でも楽に登れるって載ってたから、迷うことはないと思うんだけど」
「迷っても携帯さえあれば助けが呼べるし、大丈夫だよ」
「? 何いってんだジーン。山じゃ携帯は圏外だろ」
「ケンガイ…? ああ、あの電波が届かなくなるやつ。心配ないよ。前来たときもずっと通じてたから」
「マジ?」
もしかして、この世界には電波の届かない場所はないのだろうか。よくよく考えてみれば、本来なら電波の届きにくいはずの地下で普通に電話したりしてたしな。
「でも山と地下じゃ勝手が違うような……つーかジーン、歩くスピード速すぎないか」
「ほんとに? もっとゆっくり歩いた方がいい?」
「いや、ジーンがいいならいいけど。後で疲れても知らないぞー」
その後も、俺達は取りとめのない会話をかわしながら、緩やかな坂を登っていった。あまり人がいないことだけが少し気になったが、道は遠足に使われるだけあってなかなか登りやすいコースになっている。ここから先、頂上まで一本道だ。問題なくたどり着けるだろう。
地面を一歩一歩踏みしめ、木漏れ日が降り注ぐ森林の中をひたすら歩き続ける。たわいない話を繰り返しながら、俺達は固い地面に沿って歩き頂上を目指していった。
「俺ね、大きくなったら化石を発掘する仕事がしたかったんだ」
「化石?」
「そう! 登山部に入ったのも実はそれが理由で…あっそうだ聞いて! この前、ダヴィットが俺に新種の貝の化石をくれたんだよ」
「わぉ、それはすごいね」
「だろ? しかもダヴィットの奴、その化石に…」
……あれ。
俺、さっきから自分のことしかしゃべってなくないか…?
歩き始めてから約30分、ジーンの悩みのなの字も聞けてない。何のためにハイキングに誘ったんだよ、俺。これじゃまったくの自己満足じゃないか。
「あっ、なんかすごい色の花があるよ! 見てリーヤ!」
途中まで、どうすればジーンの心が軽くなるかを真剣に考えていた俺だが、珍しい花が咲いているのをジーンが見つけ、俺もそっちに気を取られてしまった。ハイビスカスに似た、赤色の派手な花だ。こんな山道には似つかわしくない、南国に咲いてそうな姿をしている。
「この花、こっちの世界にしかないのかな。初めて見た」
「僕も初めてだよ。山にしか咲かない花なのかもね」
「だとしたら見られてラッキー……ん?」
花を近くでよく観察しようと目を凝らしたとき、すぐ横の土の不自然なくぼみに気がついた。この適度な大きさの丸は、まさか…
「く、熊の足跡!?」
「嘘っ」
2人して獣が残したであろう痕跡を覗き込む。眉をひそめるジーンの横で、俺は熊に遭遇したときの対処法について必死に思い出そうとしていた。
「つか、熊が出るってマジだったのか…しかもこんな麓に」
「僕、例の校外学習のとき見たよ。よく観察する間もなくフィースが倒して、みんなで逃げちゃったけど。その事件がきっかけでアイツ、熊殺しのフィースってあだ名がついたんだ」
「すごいなフィース…。ほんとに人間かよ…」
それからすぐ、あの足音は見なかったことにして、俺達は再び歩き出した。熊と遭遇する確率は低いと考えあまり気にしていなかったが、これはマジで鉢合わせてしまうかもしれない。拭いきれない不安を抱えてふと横を見ると、ジーンが険しい表情で地面に顔を向けていた。
「ジーン、大丈夫?」
速度を落とすことなく足を進めながらも、俺の言葉に無反応なジーン。心ここにあらず、といった感じだ。
「実は僕…中学のとき、いきなり現れた熊を見て…」
「うん」
「…気絶しかけた」
「えっ」
驚く俺の前でジーンは顔を青くさせ、さらにふさぎ込む。俺は熊を目の前にしたことがないからわからないが、そんなに恐ろしいものなのだろうか。
「もう僕びっくりして、襲われると思ったらショックで気が遠くなったんだ。そしたらフィースが熊をぶん殴ったのが見えて、一瞬で引き戻されたけど」
「そ、それトラウマとかになってないか? やっぱ下山した方が…」
「それは嫌だ。せっかくリーヤが誘ってくれたのに、絶対最後まで登るよ」
「………」
ジーンは強い決意を持って言い切ったが、表情には不安がちらついている。彼が本当は怖がりだったことをすっかり忘れていた。この山を選んだのは選択ミスだっただろうか。いや、もし本当に熊が現れても俺がジーンを守ってやればいいだけのことだ。ここに彼を連れてきたのは他ならぬ俺だ。熊だろうがなんだろうが、ジーンには指一本触れさせるものか。
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