先憂後楽ブルース
Because of you
「あんのクソ男! 女のカッコじゃないと嫌なんてっ、そんなこと普通言う!? 最低よ!」
「イ、イル、落ち着いて。そりゃ相手の男が全面的に悪いけど…」
「でしょ!? あたしだってね、こういうカッコするときだってあんのよ。なのにっ、これじゃ一緒に歩きたくないってどういう意味よ! 信じらんない…!」
「イルはその姿も似合うよ。一緒に歩きたくないなんてこと、絶対にない」
「う、うあぁああん!」
俺の胸でわんわん泣くイルはいつもの強気な態度とはまるで違う、まさに女の子だった。見た目は男なのに、俺には今までのどんなイルよりも女らしく見える。
「うっ、うっ、う…」
しばらく俺の肩口で泣きわめいていたイルだが、流す涙がなくなったのか突然顔を上げた。けれど泣いているのにも関わらず、イルは顔も目も真っ赤ではない。まるでドラマの中の女優のような泣き方に、俺は関心もしていた。
「イル、大丈夫?」
「う、うん」
ちょうど近くにあったティッシュを差し出すと、ぐずりながらもイルは大粒の涙をぬぐう。豪快に鼻をかむあたりは男っぽかった。
「ありがとう、リーヤ…」
失恋のショックですっかり殊勝になってしまったイルの身体を、俺はもう一度強く抱きしめた。いつもなら問答無用で蹴り飛ばされそうだが、今はむしろ強くすがりつかれている。
「イ、イル、あんま押すと、俺倒れる、かも」
彼女の身体を支えようと腰を上げたのがまずかった。中腰になった瞬間、俺はイルの体重に負けて後ろにあったソファーに派手に倒れ込んでしまったのだ。イルはけして重くはないが、かといってずっと乗っけていたくなるほど軽くもない。
「ちょ、イルどいてっ。苦しい! いや、重いって意味じゃないけどね!」
「リーヤって優しい…」
「──は?」
あっという間に俺の下腹部に乗り上げたイルが、涙を上品に拭いながらにっこり笑む。企みを隠そうとしないその表情に、俺の口元が引きつった。
「ね、お礼してあげる」
「お、お礼!? いやそんな、おかまいなく」
はっきりと断りを入れてすぐさま逃げ出そうとしたが、イルは俺の抵抗なんて無視して遠慮なしに頬に触れてきた。な、なんなんだこの超展開は!
「ごめんイルっ、俺そういうのは、ちょっと」
「なんで? 男なら喜ぶとこでしょ? それとも、やっぱり女の格好してなきゃダメ?」
「違う! それは全然関係ない!」
「あら、そ? じゃあ一体何が不満なのよ。……あー、そういえばリーヤって、男が好きなんだっけ」
「へ!?」
いや、俺は普通に女の子が好きですが…? いつの間にそんなことに。おそらく八割方ダヴィットとフィースせいだろう。やや、待てよ。この場合そう思わせといた方がいいかもしれない。中身が女の子のイルは俺の対象外なんですって理由なら、誘いを無碍に断って彼女を傷つけたりしないし。
「じ、実はそうなんだ。だから俺イルとは…」
「だったら」
突然、今まで押し倒しつつも甘えるような仕草を見せていたイルが、乱暴に俺の身体に乗り上げた。自分の可愛さを全面的に押し出すような笑顔は、獰猛な獣の笑みに変わっている。
「俺が男になってやってもいいけど」
「えっ、えぇえ!?」
俺がそうやって驚愕している間に、イルによって雑に服を剥ぎ取られそうになる。その荒々しい手つきと瞳孔の開いた目は確かに男で、イルではない誰か別人のように見えて、恐かった。
「待って待って。俺そんなつもりじゃ」
「焦らすなよ。酷くしたくなんだろ」
キャ、キャラが違いすぎる!!
拒否しようにもイルの力が強すぎて、まともに抵抗もできない。いま唯一の武器である口を開けば、怖いこと言われるし。もうどうしたらいいんだ。
絶体絶命のピンチに悲鳴をあげそうになっていた時、天からの助けか玄関から足音が聞こえてきた。
「リーヤ? どうしたんデスか、そんなに騒いで…」
買い物カゴをぶら下げたゼゼが、もみ合う俺達を見て石化した。ヤバい! この状況はヤバい! 全然天の助けなんかじゃなかった!
慌ててイルをどかせようとするも、彼女も彼女で固まってしまっている。
「な、なにやってるんデスか…」
「違うゼゼ! 俺は別にイルには何も…」
「イ、イルちゃんのバカァァ!」
しどろもどろになりながら言い訳しようとした俺を無視して、ゼゼはカゴに入っていたリンゴを思いっきりイルに向かって投げつけた。
「リーヤに手をだすなんて最低デス! バカバカバカ!」
「ご、誤解だ! 待ってくれゼゼ!」
「ぐえっ」
リンゴをすんでのところでかわしたイルは、俺の腹を膝で踏みつけてゼゼに駆け寄る。ひ、ひどい。
「もう知らナイ! イルちゃんとは口ききたくないデス!」
必死になるイルを拒絶してゼゼは部屋を飛び出してしまう。俺とイルがすぐさま追いかけるも、ゼゼはあろうことかトイレに閉じこもってしまった。
「ゼゼ出てこいよ! 俺が悪かったから!」
イルがどれだけ必死に叫んでも反応はない。なんだこの浮気がバレた彼氏のような態度は、と俺が困惑しているとイルの行き場のないイライラの矛先がこちらに向いた。
「てめぇのせいでゼゼに嫌われたじゃねーか! どうしてくれんだよ!」
「ええっ、俺悪くなくね…?」
トイレのドアにへばりつきながら睨んでくるイルに、さっきまでの面影はない。八つ当たりされて理不尽に思いながらも、俺はやっぱりこっちの方がイルらしいなぁと微笑ましくも感じていた。
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