先憂後楽ブルース
デッドライン
「リーヤったら思い詰めた顔して、そんなにレジに行きたくない?」
俺の懸念の直中にいるジーンは、形の良い唇から笑みをこぼす。この時の俺は頭の中に様々な思いを抱える一方で、根本的な部分ではジーンのことばかり考えていた。
輝くブロンドに青い瞳、シャープな顔立ちのジーンは、まるでお伽話に出て来る王子様のような容姿をしている。そしてそれを凌ぐほどの優しさや思いやりもある。だが、どんなに完璧に見える人間にも悩みはあるはずだ。けれど事情のわからぬ第三者がそれに首を突っ込んでもよいのだろうか。それがデリケートな問題であれば尚更。
「…俺、ジーンに聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
そうちゃんと理解しているはずなのに、ジーンの顔を見ると訊かずにはいられなかった。好奇心、と表現するほど軽い気持ちではなかったが、気になるのが本音だ。
「なんだよリーヤ、改まって。いいよ、何でも聞いて」
さすがのジーンにも今の俺の考えはよめていないらしい。それとも、すべてが俺の取り越し苦労なのだろうか。
「もしかして、ジーンとタビサさんって何かあるの…?」
「何か?」
ジーンの表情がオーバーに崩れる。予想に反して、かなり剽軽な反応だ。
「何かって、そりゃあ色々あるけど。例えばどんな?」
「…いや、なんかジーンがどことなくタビサさんを避けてる気がしたから。気のせいかもしれないけど」
ちょっとびっくりしたようなジーンの顔。きっと普段は鈍そうな俺が細かいことを気にしているのが意外だったのだろう。
「避けてないといえば、嘘になるね」
ジーンはあっけらかんとした態度でそう言いのけると、俺の横を通り過ぎデスクから何かを掴む。戻ってきたジーンが俺に差し出したそれは、以前より気になっていた女の人の写真だった。
「リーヤにはいつか話さなきゃと思ってたんだ。家族も同然だからね。これを見て」
「これって…」
「うん、僕の母さん」
「母さん!?」
俺はジーンから受け取った写真を穴があくほど見つめる。確かにそう言われてみると、髪の色といい瞳の色といいジーンに似ている部分はあるが、決定的に若すぎる。
「昔の写真なんだ。その頃まだ二十代だと思う」
俺の戸惑いを察したジーンが写真を覗き込みながら説明してくれた。彼の母親だというその人から、俺はしばらく目が離せなかった。
「…綺麗な人だね」
「ああ、だってそれ一番よく撮れてるやつだもん。プロのカメラマンに撮ってもらったらしいよ。母さんのお気に入り。これ以外の写真を飾ったら、天国から蹴りを入れられそうだ」
「それって…」
ジーンは頷く。悲しみも憤りもない、何もかも達観したような顔で。
「僕が10歳のとき、事故で亡くなったんだ」
「そんな…」
「リーヤが悲しむ必要はないよ。僕はもうとっくに受け入れてるからね。7年も前の話だし」
ジーンは本当に何でもないような顔をしていたけど、けして軽く流せるような話ではなかった。当時のジーンの悲しみは計り知れないものだったはずだ。
「見た目に反してめちゃくちゃ怖い母親でね、怒られてた記憶ばかり残ってるんだ」
「怒られてた? ジーンが?」
「そうだよ。僕も小さい頃は悪ガキで、友達を泣かしては母さんと謝りに行ってた」
笑いながら母親との喧嘩話を語るジーンに、ざわついていた俺の心は落ち着いてきた。母親と過ごした時間は、大切な思い出としてジーンの中に存在しているのだろう。
「叱られた記憶ばかりあるのに、母さんのこと大好きだったのはちゃんと覚えてる。もっとたくさんのことを覚えていられたら良かったのに」
ジーンは俺から再び写真を受け取り、元の場所に戻した。写真を見るジーンの瞳はとても優しい色をしていた。
「母さんを亡くして、1人になった僕を父さんが引き取ったんだ。もちろんずっと前に離婚してるんだけどね。父さんは僕にすごく優しかったけど、仕事が忙しすぎて家では毎日1人だった。そしたらある日、タビサさんが一緒に暮らそうって言ってくれて」
ジーンの口からタビサさんの名前が出て、本来の目的を思い出した。そういえば、俺はもともとタビサさんとジーンの話を聞くつもりだったのだ。
「タビサさんとラスティさんは、僕のこと実の息子みたいに可愛がってくれた。それ以上に目をかけてくれていたかもしれない。末のエクトルは可愛かったし、半分血の繋がったクロエは色んな意味でやんちゃだったけど、比較的すぐに僕のことを兄貴って呼んでくれた。…幸せだったよ」
その時のことを思い出しているのか、俯き気味のジーンの目は遠くを見つめている。ジーンがこんな大切な話をしてくれている、ということが俺は嬉しかった。
「でも、僕はどうしても家族の一員にはなれなかった。タビサさん達が悪いんじゃない。僕の方が壁を作ってたんだ。あの家では僕だけ血が繋がってなかったからね。そんなこと気にする必要ないってわかってたけど、高校入学と同時に父さんに頼んでこの家を買ってもらった。逃げたんだよ、僕は」
微笑むジーンに、俺は返す言葉がなかった。ジーンがタビサさんの家から逃げた気持ちは分からなくはない。俺も少なからず、似たような理由で家族から離れた人間なのだ。だが似ているだけで、けして同じではない。
「クロエとエクトルの2人だけといるときは、何も思わないんだけどね。遠慮もしてないし。けれどタビサさんがいると、どうしても疎外感を感じてしまう。…結局、タビサさんのことは一度も母さんとは呼べなかった。彼女がどんなにいい人でも、僕の母さんは母さんだけだったから」
「ジーン……」
俺が想像していた話の顛末とはまるで違う。でももう十分だ。どうやら、俺はかなり酷い勘違いをしていたらしい。
「それにしても、僕がタビサさんを避けてるなんてよく気づいたね。そんなにあからさまだったかな。本人にはバレてないといいんだけど」
「たぶん気づいてないと思うよ。俺だって、普通なら気づけなかっただろうし」
「普通ならって?」
不思議そうな顔をして身を乗り出してくるジーンを見て、俺は気まずく思いながらも正直に暴露した。
「…実は俺、てっきりジーンがタビサさんに恋愛感情でも持ってるんじゃないかと疑ってたんだ。おかしいだろ?」
ありえない、と笑いながら否定してくれると思っていた。ジーンならそんな馬鹿な勘違い、笑い飛ばしてくれると思ってた。けれどジーンは苦笑する俺の肩を突然、乱暴に掴むと壁に無理やり押し付けた。
「いっ…、 …ジーン?」
「なんで…」
絞り出すようなジーンの声に俺は思わず息を呑む。
「なんでわかった…!?」
肩の痛みなんて、一瞬で吹き飛んだ。この時のジーンの真っ青な顔を、俺はきっと忘れないだろう。
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