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先憂後楽ブルース
寝床争奪戦




「はぁあ!? 来られないだって!?」

リビングじゅうに、受話器を持ったエクトルの叫び声が響き渡る。椅子に座ってエクトルを見つめていたタビサさんのこめかみがピクリと動いた瞬間を、俺は見逃さなかった。

タビサさんが離婚宣言をしてからすぐ、息子であるエクトルは父親に電話をかけた。二回かけなおしてようやく電話口に出た父、ラスティに母親が来たことを告げるも、彼の返事はけして良いものではなかった。

「だからー、学会なんかどうでもいいからコッチに帰ってきてってば! 母ちゃんマジで離婚するって言い張ってんだから! …えぇ? 俺に母ちゃんを止められるわけないだろ!」

「……」

俺にはラスティさんの声は聞こえないが、エクトルの言葉から察するに大事な用事があって来られないのだろう。躍起になったエクトルは、あれだけ好きだったはずの父を激しい口調で攻め立てていた。

「だから俺じゃ駄目なんだって! 父ちゃんは今すぐ来て…あ? ああ、わかった。――母ちゃん、父ちゃんが代わってくれって」

「……」

それを聞いたタビサさんはすぐにエクトルのもとまで歩いていき、そのやけに細い受話器をひったくって耳にあてた瞬間、怒鳴った。

「このクソッタレ! その冴えねえツラ二度と見せんな!」

その見た目からは想像も出来ないようなタビサさんの声色に、俺の身体はビクッと震える。やはりクロエの母親。気が強い。ラスティさんとの会話は、まさにアンタ仕事と私どっちが大事なのよ! 状態だ。

「ちっ、奴とのもめ事をこっちに持ち込むなよな…」

誰もが彼女の剣幕に圧される中、ようやく口を切ったのはイラついた様子のクロエだった。クロエはこれ見よがしに母親に向かって悪態をついている。険悪なムードに、俺はいよいよ居たたまれなくなってきた。

「クロエのお母さん、大丈夫かな?」

「知るかよ。ていうか何でわざわざこの家に来てまで夫婦喧嘩なんか………うわっ、ひでぇ」

話の途中で、クロエがタビサさんを見つめながら顔をゆがませる。どうやら彼女の罵倒はクロエをも圧倒させるらしい。タビサさんは先ほどから俺には理解できない言葉で、声を荒げていた。

「いま何て言ったの?」

「……『そんなに研究が大事なら、帰る家はないと思え。このクサレチンコ、その貧弱なブツを再起不能にしてやろうか』」

「うわっ」

酷い、しかもかなり下品だ。あんな美人な人が、あんな弱々しそうな人に対して何てことを。ラスティさんの泣く姿が目に浮かぶようだ。いったいこの夫婦に何があったのだろう。

「やっぱ、クロエはあの言葉がわかるんだな。タビサさんってスペインの人?」

「いいや。LGの人」

どこだそれ。

「あのオバサン、昔から家では2か国語しゃべってたから、俺も自然に覚えたんだよ」

「はあ、なるほど」

だからクロエはスペイン語が堪能だったのか。それならば…と横目でちらりとエクトルの姿を盗み見ると、やはり三男もタビサさんが何か言うたび口を手で覆い、うなだれている。相当ショックを受けているらしい。言葉が理解できるのも考え物だ。

ひととおり怒鳴り倒した後、タビサさんは受話器をガシャンと下ろし強制的に会話を終わらせた。その浅黒い肌から血管が浮き出て見えそうだ。

「か、母ちゃん。父ちゃんならすぐに帰ってくるよ。だから考え直して…」

「そうだね、エクトル。離婚届用意して待っとこうか」

なんとか説得を試みようとしたエクトルを、タビサさんは笑顔で一蹴。彼女の決意は固く、誰もその怒りを軟化させることは出来そうになかった。

「てゆーかオバサン、今日泊まる気かよ」

「オバサンってだあれ? ちなみに私は泊まる気満々だけど」

「ババアの寝るとこなんてないっての」

その瞬間、ゴチン! とクロエの頭にタビサさんの拳骨がとぶ。クロエは痛みに悶えながら頭を押さえてうずくまった。

「二度は見逃さないよ。寝るとこなら、いつもみたいにソファーでいいじゃない」

「リビングはリーヤが使ってるんですよ」

そうやって口を挟んだジーンは困ったような笑みを見せる。彼の言うとおり、いくらクロエ達の母親とはいえ、今日会ったばかりの女の人と2人きりの部屋で寝るなんて、おかしいよな。

「じゃあ、俺またタワーに戻って…」

「んなことさせるかよ! アンタはエクトルの部屋ででも寝ればいいだろ!」

クロエの提案にタビサさんは目を輝かせたが、エクトルはものすごい勢いで首を横に振った。断固お断りらしい。

「じゃあ、僕が1つ解決策を」

人差し指を揺らしながら立ち上がったジーンに、皆が注目する。なぜか俺は妙な胸騒ぎがした。

「タビサさんはこのリビングでハンモック使って寝て、僕のベッドをリーヤとクロエが使って」

「俺とクロエ? ジーンはどうするの?」

「友達の家にでも泊めてもらうよ」

ジーンはほんとに何でもないことのように言ったけれど、俺はすんなりとは納得できなかった。だがそれは周りも同じだったようで。

「ジーン、私はそんなことしてくれなくても大丈夫だよ。いざとなったらクロエの部屋で寝るから」

「何ふざけたこといってんだよ兄貴、明日はレジがあるんだぜ。わかってんだろ。あと俺の部屋には絶対入れさせねえからな」

「クロエ! あんたがそんな風に頑固だから、ジーンが外泊するなんて言い出すんだからね」

「うるせぇ! そもそもオメーが泊まらなきゃいい話だろうが!」

「2人とも、落ち着いて。僕は別に嫌々出て行くわけじゃないんだから」

火花を散らす互いに瓜二つな親子をジーンがなだめにかかった。この様子じゃ、ジーンが出て行くということで落ち着いてしまいそうだ。

「だったらジーン、ゼゼの家きマスか? ジーンの寝る部屋ありマース」

クロエ達がうだうだと揉めている間にゼゼがとんでもないことを言い出したが、イルによってすぐにゼゼの口は塞がれた。

「ゼゼはだーめ。ジーン、良かったらあたしんちに来ない? シズニも喜ぶし」

「ありがとう、助かるよ。お言葉に甘えて、さっそく準備してくるね」

イルの提案を笑顔で受け入れ、すぐさま自分の部屋に向かおうとするジーン。その背中を見ながら、クロエがぼそりと悔しそうに呟いた。

「あの野郎…逃げやがったな」

考えている理由は違えど、俺もクロエと同意見だった。


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